北横岳

ここは北八ヶ岳の北横岳山頂(2472m)です。私の真後ろは南八ヶ岳の峰々、右側は南アルプスです。北八ヶ岳ロープウェイが2230mまで運んでくれるので、山上駅から樹林帯の中の整備された登山道を1時間弱で登れます。

八ヶ岳連峰

長野県の八ヶ岳は、アルプスのような鋭い岩峰が連立する南八ヶ岳と比較的なだらかな峰々の間に森と湖沼が点在する北八ヶ岳にわけられます。南八ヶ岳の峰々がいわゆる八ヶ岳連峰で、中央やや左のピラミッドが主峰の赤岳2899mです。学生時代に左手前の硫黄岳から右奥の編笠山まで一気に縦走したのは、懐かしい思い出です。

蓼科山

北横岳山頂から北側には蓼科山(2531m)が見えます。諏訪からは富士山型に見えるので「諏訪富士」とも。この日、宿泊した蓼科高原の親湯温泉には「野菊の墓」で有名な伊藤佐千夫の歌碑がありました。
   信濃には八十の群山ありといへど女の神山の蓼科われは

ピラタス蓼科スノーリゾート

登山でお世話になった北八ヶ岳ロープウェイはこのスキーリゾートのロープウェイでもあります。1年を通じて登山に、夏は観光に、冬はスキーボードにと大活躍です。この日は下部の人工雪バーンのみのオープンでしたが、登山後に初スキーも楽しみました。

金子茶房

翌日、諏訪大社上社本宮に参拝。東参道前にあるのがこの金子茶房。おしゃれな外観にびっくり。それもそのはず、地元の光学メーカーのプロデュース、東京都現代美術館や東京オペラシティを手掛けた柳澤孝彦氏の設計でした。2階で八ヶ岳の絶景を眺めながらハーブティーをいただきました。

南座吉例顔見世

耐震補強を終えて3年ぶりに開場した南座、12月興行の夜の部を観てきました。義経千本桜より小金吾討死とすし屋、面かぶり、弁天小僧、三社祭でした。仁左衛門のいがみの権太、愛之助の弁天小僧はさすがの演技。三社祭の鷹之資が富十郎を彷彿とさせる、きれいな踊りで目頭が熱くなりました。

三渓園

横浜の三渓園です。実業家で茶人の原富太郎(原三渓)が1906年に横浜に造園した庭園。京都や鎌倉などの古建築を移築して庭園内に配置、重要文化財10件12棟が含まれるという建物博物館の先駆けのような場所。写真の聴秋閣は徳川家光が二条城に作らせて春日局に下賜した瀟洒な庭園建築。遠景に見えるのは京都府加茂町から移築の旧燈明寺三重塔。

神奈川県立歴史館

みなとみらい駅の馬車道駅を降りてすぐにある歴史館で旧横浜正金銀行。設計者の妻木頼黄(よりなか)は横浜赤レンガ倉庫や日本橋なども手掛けた明治建築界の巨匠。明治の建築物では最初に重要文化財に指定されています。展示内容は素晴らしく、鎌倉幕府、後北条氏など封建時代や黒船来航、横浜開港、鉄道建設に見る資本主義の夜明けなどを、資料や模型でたっぷり見せてくれます。

岡太神社・大瀧神社

福井県越前市にあります。越前和紙の里を訪問して、この神社を知り訪問しました。白山信仰の祖、泰澄がこの地に創建した大瀧兒(おおちご)権現。一方、約1500年前、大滝町の岡本川上流に現れ、村人に紙漉きの技術を伝えた『川上御前』を、和紙の神様・紙祖神(しそじん)として祀ったのが岡太神社。2神が祭られるこの本殿は1843年の建立、重要文化財です。重なり合う屋根が立派です。

永平寺

ゆく年くる年でしばしば放映される除夜の鐘の一つはここ永平寺の鐘です。雲水が早朝に拭き清めるあの階段や曹洞宗の開祖、道元が禅の奥義を記した国宝「普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)」を拝見しました。道元禅師の名言はたくさんありますが、「ただまさに、やはらかなる容顔をもて一切にむかふべし。」(ただただなごやかな顔つきで、すべてのことに接することが大切である。)論語の「恕」にも通じていますね。煩悩にはそれほど囚われていないつもりですが、悟りに達するには、登山より只管打坐が大切でしょうか。