(1)車坂峠から八ヶ岳

中央道岡谷インターを降りて小諸へ。浅間山の登山口である車坂峠にやってきました。ここは、群馬県嬬恋村と長野県小諸市の間にあり、標高1973mです。満天の星空の下、車中で仮眠。朝6時、佐久平は雲海で覆われており、八ヶ岳が浮島のようでした。

(2)トーミの頭から浅間山

車坂峠から登り始め、1時間ほどでトーミの頭という岩峰に到着。朝日に照らされた浅間山はうっすら冠雪しています。天気予報は12時まで晴れ。テンションが上がります。

(3)トーミの頭から黒斑山(くろふやま)

北に目を転じると左の高い山が黒斑山。屏風のように崖が右へカーブし、外輪山と呼ばれていますが、浅間山より古い火山である旧黒斑山の「山体崩壊」でできたものです。崖には溶岩の重なりでできたシマ模様が見えます。崩壊以前のこの火山はシマ模様から成層火山(コニーデ式火山)であり、巨大な円錐形だったはずです

(4)草すべりから湯の平

湯の平は黒斑山の山体崩壊でできた、すり鉢状の地形です。唐松の紅葉がきれいです。浅間山への登山道はここから「草すべり」という崖を一旦下ります。湯の平へ降りていくうちに、あれよあれよというまに、浅間山はガスってしまいました。

(5)前掛け山火口

写真(4)の左上から浅間山頂部まで標高差400mの登りでした。「六根清浄・御山快晴」と天候回復の呪文を唱えながら登りましたが・・・残念!真っ白でした。浅間山は前掛山の火口のなかに釜山が盛り上がっています。ガスの切れ間を撮影、左側が浅間山(釜山)山頂2568mですが、ガスは晴れませんでした。

(6)浅間山(前掛山)山頂

釜山火口は盛んに噴煙を上げており、噴火警戒レベルが1に下がったとはいえ、火口から500m以内は立ち入り禁止なので、この前掛山山頂が浅間山山頂とされています。標高は2524m、日本百名山81座目です。

(7)鬼押出し園から浅間山

7月の谷川岳登山後に鬼押出し園に立ち寄った時の浅間山の写真です。この時は噴火警戒レベル2で湯の平口から先は立ち入り禁止でした。江戸時代、天明の大噴火の時に嬬恋村方向へ押し出した溶岩流が冷えて固まったものが鬼押出し園の溶岩群です。

(8)小諸城址三の門

「小諸なる古城のほとり雲白く遊かなしむ」で始まる島崎藤村の千曲川旅情の歌は中学生の頃から大好きでした。小諸城は仙石秀久が現在の縄張りを完成、明治以降は、懐古園という公園となりました。この三の門の「懐古園」の大額は徳川16代家達の筆です。

(9)惜別の歌

学生時代のワンゲルの歌集に載っていて、格調の高い歌詞だなと思っていました。後に、小林旭でヒットしたと知りましたが、今回、ここを訪問して、藤村の詩の抜粋であること、作曲者の藤江英輔は、学徒出陣の友のために作曲したこと、を知りました。

(10)山中城の障子掘

ここ山中城は、秀吉の小田原攻めの際に北条の重要な支城でした。箱根の関の西側、旧東海道の街道沿いにあり、障子堀が遺構として良好に保存されていることで有名です。空堀の中に仕切り(障子)を設けることで防御力が高まるそうです。なお、仙石秀久はこの山中城攻めに「無」の馬印で先陣を勤め、小諸五万石の大名に返り咲いたのです。

(11)浅間縄文ミュージアム

小諸の東隣、御代田町にある博物館です。1階が御代田町出土の重要文化財指定、5000年前の焼町(やけまち)土器を中心とした縄文土器の展示、2階は浅間山の自然と噴火についての展示で、私にはとても楽しいミュージアムでした。

(12)世界最古の磨製石器

長野県千曲市にある長野県立歴史館には、八ヶ岳山麓の縄文のムラや鎌倉時代の善光寺の門前町が再現されています。秋季企画展「最古の信州ブランド黒曜石」で展示されている世界最古の磨製石斧(3万年前)です。日本の加工技術には3万年の歴史があるのですね。

(13)森将軍塚古墳

科野(しなの)の里歴史公園は、縄文後期から続く集落及び水田遺跡と森将軍塚古墳を中心にして、古墳館、県立歴史館からなる複合公園です。この古墳は4世紀の築造、長野県では最大、全長100mの前方後円墳です。光村図書の教科書に採用されていることでも有名です。領地を一望できる低い丘陵上にある地域の首長に特徴的な古墓です。古墳館からシャトルバスがでています。