会津駒ケ岳と駒の大池
会津駒ケ岳は福島県南会津郡桧枝岐(ひのえまた)村にあります。北陸道を8時間で魚沼の小出インター、さらに桧枝岐村まで2時間半。道の駅で仮眠して7時に登山開始。2時間で樹林帯を抜け草原の稜線部に出ました。さらにゆるやかな木道を登ると天上の楽園に到着です。
燧ケ岳(ひうちがたけ)と至仏山(しぶつさん)
駒の大池の手前の木道から南側の展望、池塘のむこうに尾瀬の燧ケ岳、右に至仏山です。
会津駒ケ岳山頂
駒の大池から20分で山頂につきました。標高は2,133m、登山口からの標高差は1,200m、標柱には一等三角点としての2132.4mが記されています。日本百名山80座目です。
桧枝岐歌舞伎舞台
12時に桧枝岐村に降りてきました。そば粉100%の名物「裁ちそば」をいただき、温泉「燧の湯」でほっこり。民俗資料館で山村の歴史と暮らしを見学して、有名な歌舞伎舞台(重要有形民俗文化財)を訪れました。年3回の公演日には階段状の客席が満員だそうです。入口手前にある歌舞伎伝承館「千葉之家」では、元役者さんの83歳男性から、270年の伝統芸能であること、11演目が継承されていること、衣装、化粧、義太夫などすべて村民の手作りであること等々、貴重なお話を伺い、国立劇場出演時の写真なども拝見しました。
山人(やもうど)料理
桧枝岐村では山人料理でもてなしてくれます。高地にある稲作に適さない村で、地元産品をおいしく食べる工夫で生まれた「そば」「山菜」「きのこ」「イワナ」などを使った郷土料理です。貴重な蛋白源であった山椒魚を期待したのですが、この夜のメニューには残念ながら登場しませんでした。
西吾妻山 天元台リフト
8月下旬の山行です。猪苗代インターから西吾妻ドライヴウェーで天元台ロープウェイ乗り場へ。あたり一帯、冬はスキー場です。ロープウェイと3本のリフトをのりつぐと、標高1,820mの北望台です。眼下に見えるのは山形県の米沢です。
大凹(おおくぼ)より西吾妻山
吾妻連峰は福島県から山形県にかけて2,000m近い山の連なる山地です。山塊全体、また個々の山々も、あずまやに見えることから吾妻山と呼ばれるようになりました。山上部は草原と低木林がまじりあった穏やかな地形で初夏には花が咲き乱れます。正面は吾妻連峰の最高峰、日本百名山の西吾妻山(標高2,035m)です。
西吾妻山天狗岩
北望台から1時間半ほどです。天狗岩という一つの岩があるのではなく、溶岩の拡がる広場のような場所です。吾妻山も山岳修験の山で左奥に吾妻神社が鎮座しています。左に磐梯山、正面に飯豊山、右に朝日連峰、月山、鳥海山が見えるのですが、この日は雲に見え隠れしていました。
西吾妻山山頂
天狗岩から20分ほどで到着。低木の中で展望のない山頂ですが、景色は途中で充分楽しめました。9月の会津駒ケ岳よりこちらが先で8月末に訪問、日本百名山79座目でした。
米沢城址の上杉鷹山像
新高湯温泉に宿泊して翌日米沢を訪れました。米沢城址には米沢上杉博物館、謙信や鷹山の銅像、上杉神社と宝物館があります。信長が謙信に送った狩野永徳の国宝「洛中洛外図屏風」はレプリカですが細密で、アニメ展示による解説も楽しめました。9代藩主上杉鷹山の改革を取り上げたシアター上映や鉄砲撃ちの疑似体験など、よく工夫された博物館でした。
「なせば成るなさねばならぬ何事もならぬは人のなさぬなりけり」で有名な鷹山ですが、政治家は事業計画と人材登用に優秀であるとともに何よりも清貧であるべきという、儒教の教えそのままに生きた彼の美しい人生が米沢の訪問でよくわかりました。
鳥越(とりごえ)一向一揆歴史館
道の駅「一向一揆の里」にある石川県白山市立の歴史館です。「百姓のもちたる国=加賀一向一揆」がどのようにして生まれ、発展し、そして最期には滅ぼされてしまったのか。考古学や歴史学の科学的な視点で解説されています。
鳥越城址
鳥越城は、石川県白山市の手取川と大日川の合流点の丘陵に築かれており、標高約300m、面積は東西400m、南北1,200m。織田信長の攻勢に最後まで抵抗した白山麓一向一揆の拠点となった城跡。1582年、織田方の佐久間盛政により鎮圧され、300人余りが礎刑に処され、加賀一向一揆は壊滅しました。「一揆破れて山河在り」のレプリカに手を合わせました。
平泉寺白山神社(へいせんじはくさんじんじゃ)
平泉寺は白山信仰の越前での拠点として、養老元年(717)に泰澄によって開かれました。
最盛期の戦国時代には8,000人もの僧兵が居住、当時の日本では最大規模の宗教都市として繁栄しましたが、天正2年(1574)に越前一向一揆勢に攻められ、全山焼失。歴史探遊館「まほろば」で平泉寺の歴史を学べます。それにしても、さすが「越前の苔寺」といわれるだけのことはあります。人が少ない夕方に訪問、荘厳さに満ちた静寂な空間でした。
至上の印象派展 ビュールレ・コレクション
絵画史上、最も有名な少女像ともいわれる《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢(可愛いイレーヌ)》、を名古屋市美術館で見てきました。当のイレーヌさんはこの絵があまり好きでなかったと、テレビの美術番組で聞いてビックリ。私の中では、東京のルノワール展で鑑賞した「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」と並んでルノワールの最高傑作です。