月山リフト上駅

鳥海山登山の翌日、月山リフトのある姥沢駐車場へ移動。のんびりリフトに運ばれること20分で標高1520mのリフト上駅、このあたりは夏スキーで有名な月山スキー場のゲレンデです。豪雪のため4月にオープンして7月初旬まで。お盆のこの時期、さすがに雪はありません。この日は快晴で正面に朝日連峰、その左に福島県の吾妻連峰も見えます。

登山道から月山

登山道を20分ほどで月山を正面に望みます。小さな雪渓の右上の稜線鞍部が牛首、そこから右へ鍛冶月光(かじがっこう)という名の急坂、山頂直下に鍛冶小屋跡があります。奥の細道に「此国の鍛冶霊水を得て為に潔斎して剣を打つ 終わりに月山と銘を切りて・・・」とあります。あの坂を古(いにしえ)の月山派の刀工たちも登降したのでしょう。

月山牛首から鳥海山

30分で稜線上の牛首に到着。北西を展望できます。左に出羽三山の一つ、羽黒山。その向こうに鶴岡の町をふくむ庄内平野、さらに日本海、右端には鳥海山が見えます。

月山より湯殿山

鍛冶月光を走ってみました。20分で山頂部に。振り返ると右手前に鍛冶小屋跡、稜線上の登山道の先端が姥沢岳、その左下がリフト上駅、姥沢岳の右が湯殿山、その右が薬師岳、薬師岳の右下に湯殿山神社が見えます。

月山 芭蕉句碑

この先に芭蕉の句碑がありました。芭蕉は羽黒山から月山を超えて湯殿山へ、再び月山を登り返して羽黒山へと参詣登山をしています。その行程がわずか1泊2日です。曾良も日記に疲労困憊と書いていますが、それにしても昔の人は健脚だったのですね。

   雲の峰 いくつ崩れて 月の山   芭蕉

月山頂上

山頂部は広い台地で、北端にある頂上部は月山神社本宮境内になっています。右は月山小屋、左に鳥海山。石畳の参道を登って入り口で参拝料を納め、登拝認定書と人形(ひとがた)をいただきました。20人ほど集まるとお祓いがあり、月読命(ツクヨミノミコト)が祀られている本宮に参拝しました。月山、標高は1984m、日本百名山78座目です。

羽黒山五重塔

車で羽黒山へ移動。山頂部の出羽神社(いではじんじゃ)にお参りして出羽三山歴史博物館で月山銘の太刀や芭蕉直筆の賛を鑑賞。今度は山麓に移動して国宝の五重塔を見学しました。明治の廃仏毀釈までは天台宗の寺院だったので五重塔があります。ここには、羽黒町立の「いでは文化記念館」があり、修験道を視覚的にわかりやすく解説していました。

湯殿山

元々の出羽三山は、羽黒山・月山・葉山。湯殿山は「三山」を超えた別格の存在で、修行した真言宗の山伏が即身成仏する聖地でした。ご神体は温泉の噴出する茶褐色の大きな岩。お祓いを受けて素足ですすむと足湯もあり、癒しのスポットでした。昔から「語るなかれ、聞くなかれ」の言い伝えがあり、芭蕉は詳述せずに次の句を残しています。

   語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな   芭蕉

なお、ご神体の奥山の一つ、薬師岳の左手にある坂道が、湯殿と月山を結ぶ遙拝道(登山道)の入り口です。この坂が薬師岳(薬師如来)の左の脇侍の位置なので月光菩薩の坂で月光坂、上部に水月光、金月光、さらに鍛冶月光と急坂を月光と名付けたのですね。

大日坊の仁王門

明治の廃仏毀釈以前、神仏習合の湯殿山には真言宗の別当寺4か寺がありましたが、2つは神社となり現在この大日坊と注縄寺が真言宗の寺として残っています。特筆すべきは即身仏です。木食行で肉体の脂肪分を落としていき、死期に近づいたことを悟ると、生きたまま土中の石室または穴に入り、錫(すず)を鳴らし仏の名を称えながら入滅。そして死後三年三カ月を経て取り出され、乾燥させて、即身仏となるのです。大日坊内に安置されている即身仏真如海上人を参拝しました。信仰心の力強さに圧倒されました。

最上川 芭蕉乗船の地

最上川は月山と鳥海山の間を流れています。ここは新庄市の本合海(もとあいかい)です。芭蕉はここから船に乗って最上川を下り、幕末の志士清河八郎の清川で下船して、羽黒山へ向かいました。船中で詠んだのが、五月雨をあつめて早し最上川、です。

鶴岡市立加茂水族館

写真のクラゲドリームシアターはヒーリング効果満点でした。この市立水族館は村上龍男さんが作り上げた「クラゲ世界一」水族館で、クラネタリウムでは30種類以上のクラゲを飼育・展示しており、発光するものなど、珍しいクラゲを楽しめました。なお鶴岡は庄内藩の城下町、藤沢周平の小説・映画の舞台として有名ですね。