特別展 古代メキシコ
中之島の国立国際美術館で開催中の特別展で展示されている「赤の女王のマスク」です。メキシコのユカタン半島で繁栄したマヤ文明の中で、5~9世紀に興隆した都市国家パレンケの神殿から発掘されました。女帝斉明天皇と同時代の7世紀のパレンケの王妃です。発掘されたときは真っ赤な水銀朱で覆われていたので赤の女王と呼ばれています。
城南宮のしだれ梅と散り椿
月ケ瀬梅林は染色用の鳥梅生産、田辺梅林は食用の南高梅生産が目的の梅林です。近年では、鑑賞目的の梅林がつくられています。城南宮は4月29日に平安の庭で開催される曲水の宴が有名ですが、2月下旬から3月初旬のしだれ梅と散り椿も見逃せません。この「春の山」は光源氏の大邸宅「六条院」の庭をイメージしたとパンフに記載されています。
基肄(椽)城跡(きいじょうあと)
基山は大宰府の南側にある456mの山です。663年に白村江で大敗した倭国は、唐・新羅連合軍の侵攻に備えて、対馬(金田の城)、大宰府(大野城)、岡山(鬼ノ城)など、朝鮮式山城を築城しました。ここもその一つです。
727年、大宰府長官として赴任した大伴旅人は「梅花の宴」を催し、「令和」という言葉の元になったことは有名ですが、妻を亡くしたときにこの山に登り歌を詠んでいます。
橘の 花散る里の ほととぎす 片恋(かたこい)しつつ 鳴く日しぞ多き
「花散る里」という言葉は、後に源氏物語で光源氏の恋人の名前として登場します。
五郎山古墳
九州中央部は装飾古墳の多い地域です。山鹿のチブサン古墳を初めて見たときの感動は忘れられません。この古墳にも、騎馬人物、祈る巫女、建物、棺を乗せた船、弓、靫、鞆などが、素朴ですが、生き生きとしたタッチで描かれています。6世紀前半、菊池川流域に始まった装飾古墳は6世紀後半には筑後川流域にも拡がります。基山の北側のこの古墳は、直径約32mの円墳、石室の全長は約11m、古墳館に実物大に再現された石室が秀逸です。
小鹿田(おんた)の里
日野市街北側の山間部にある皿山地区には9件の窯元があり、江戸時代中期から一子相伝で300年間、伝統が守られてきました。谷川の水を利用してのんびりと陶土をつき続ける唐臼(からうす)は小鹿田を象徴する景観をつくっています。足けりロクロで手作りされる陶器は、昭和6年に民芸運動の柳宗悦によって賞賛され一躍有名になりました。集落にあるお蕎麦屋さんでは、飛び鉋技法のお皿でおいしいお蕎麦をいただきました。
北里柴三郎記念館
「近代日本医学の父」と称され、世界的な細菌学者として名高い北里柴三郎は、熊本県小国町(旧阿蘇郡小国郷北里村)の出身です。破傷風菌の純粋培養やペスト菌の発見などのノーベル賞級の業績を残しています。彼は、北里研究所を設立し、また初代の日本医師会長でもあります。門下生からは「ドンネル先生(雷おやじ)」と親しみをこめて呼ばれていたそうです。7月に発行開始となる新千円札の顔は「雷おやじ」の北里柴三郎です。
黒川温泉
小国町の黒川温泉の露天風呂です。黒川温泉はミシュラン2つ星の人気温泉地ですが、和風旅館の統一的な街並みを人為的に作り、周囲の植生にも手を入れ、できる限り多くの露天風呂をつくるという旅館組合の戦略が、成功の源泉だったということを知りました。ひなびた昭和情緒あふれる温泉街というコンセプトが成功したテーマパークといえるでしょう。
天領日田
杉の植林に適した山地に囲まれ、有明海につながる三隈川が流れる日田盆地は、江戸時代初期から天領として栄えてきました。豆田町には伝統的建造物群保存地区があり、醤油、酒蔵、日田下駄等老舗が軒を連ねます。また、広瀬淡窓による私塾「咸宜園」は、高野長英や大村益次郎を輩出しました。博物館では地質や川と文化など素晴らしい展示を楽しめます。
野間崎灯台
知多半島を旅しました。知多郡美浜町にあるこの灯台は大正10年(1921年)に設置された愛知県最古の灯台で、伊勢湾を航行する船舶を見守ってきました。白亜の美しい灯台は国の登録有形文化財に指定されています。
源義朝公の墓
知多半島の真ん中あたりの伊勢湾側に野間大坊という真言宗豊山派の寺院があります。平治の乱に敗れた源義朝はここまで逃げ延びましたが、家臣の裏切りにより、付近の寺の湯殿にて殺されます。「木太刀の一本なりともあれば」という最期の言葉から、お墓には願い事を書いた木太刀が供えられています。東国へ逃げ延びていたら歴史は変わっていました。
大野城跡
知多半島常滑市北部の大野町にこの城(模擬天守)があります。戦国時代後期に佐治氏の居城があったところで、浅井長政の三女、お江が佐治一成に嫁いできた城です。佐治一成の母は信長の妹であり、かつ、お市の姉、つまり、一成とお江は従兄妹です。一成は小牧長久手の戦い後に秀吉により、ここを退去させられ、城は廃城。お江とも離縁させられました。
鈴鹿の森庭園
200本のしだれ梅が咲き誇る鈴鹿市の農園です。2014年に開園した新しい観光スポットで梅の開花期間のみ営業しています。背後の正面の三角形の山は鈴鹿山脈の鎌が岳、その右に御在所岳が見えます。
高社山
長野県の中野市から高社山を眺めます。志賀高原へ向かうときに門番のように聳える山です。右斜面にはよませ温泉スキー場の斜面が見えます。今日は、あの斜面からとりついて山頂を目指します。この山の北側は木島平でそこにも旧木島平スキー場があります。
よませ温泉スキー場
3本のリフトがあるのですが、山頂リフトが営業を終了しており、スキー場の最上部を歩いて登ることになってしまいました。左は竜王スキー場、正面に志賀高原の横手山、右のなだらかな二つの山が、日本百名山の四阿山(あづまややま)と根子岳です。
頂上への稜線
スノーシューで山頂を目指します。以前、四阿山にスノーシューで登って以来、2回目のスノーシューです。左は善光寺平の絶景なのですが、急な斜面が2か所あり、少し冷や汗をかきました。
北信五岳
1時間20分で山頂につきました。写真に見える反対側の尾根を登る道が古代からある修験の道ですが、距離もあり急斜面もあるので、楽な登山道を登ってきました。右は妙高山、その手前に斑尾山、正面が黒姫山で左のギザギザが戸隠山、一番左の雪のついていないのが飯綱山、これらが北信五岳と呼ばれています。
妙高山と斑尾山
正面が中央火口丘の妙高山で左や右奥に外輪山が取り巻いています。手前のスキー場があるのが斑尾山です。
北信濃の名山
左から、飯綱山、戸隠山、高妻山(日本百名山)、それに黒姫山です。
柳沢遺跡
左上が中野市博物館、右上が柳沢遺跡と高社山です。この遺跡からは銅剣と銅鐸が出土しており、このような遺跡は、出雲市の荒神谷遺跡、神戸市の桜が丘、そしてここ中野市の柳沢遺跡の3か所のみです。弥生時代、この近辺にかなりの規模のクニが存在したと考えられます。遺跡の南には、高社山の岩窟をご神体とする高社神社と神宮寺の谷厳寺があります。