八甲田バックカントリー

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青森県の八甲田山は、ロープウェイを利用して、自然のままの斜面を滑走するバックカントリーツアーで有名です。厳冬の雪山に入る技量がなくても、ツアーに参加すれば夢の世界を体験できます。一瞬の晴れ間でした。左から赤倉岳、井戸岳、大岳(1584.5m)です。

田茂萢(たもやち)岳西斜面

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ロープウェイ10分で氷点下10度以下の別世界です。滞在した4日のうち、初日はホワイトアウト、2,3日目は強風でロープウェイ運休。最終日も強風で昼過ぎの最終便、50名定員の47番目で何とか山上へ。強風ですが晴天の八甲田山を体験できました。

田茂萢岳東斜面

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ロープウェイ山頂駅からスキーを担いで10分で田茂萢岳山頂です。最初の写真のように山頂でスキーを履き、東の八甲田温泉方面へ滑っていきます。東斜面は西風の影響が少なく、スノーモンスターを眺めながら粉雪の斜面を滑りました。

スノーモンスター

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今度は、滑り止めのシート、クライミングスキン(シール)をスキー板の裏に取り付けて、スノーモンスターの間を歩きます。深雪の中で装着するのは初めてで、1本目はガイドさんに貼り付けてもらいました。参加者は皆さんベテランで、装備など色々と勉強になりました。

黒石市こみせ通り

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青森や秋田で「こみせ」、新潟で「雁木」と呼ばれるひさしで有名なこの通りには重要文化財「高橋家住宅」(江戸中期)や、造り酒屋、蔵などが立ち並び、電線は地中化されています。青森市の「ねぶた」や弘前市の「ねぷた」のように、黒石市をアピールしたいと始まったのが「こけし灯ろう」です。夜はライトアップされます。

浜田の石見神楽

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石見地方西部、浜田、益田、津和野を旅しました。浜田駅から徒歩20分、大祭天石門彦神社(三宮神社、さんくうじんじゃ)が浜田の夜神楽の会場です。人口20万の石見地方に130あまりの神楽団体があるそうです。躍動感あふれるお囃子と舞に元気を頂きました。

石見畳ケ浦

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広い磯は砂岩層が波に削られてできたもので波食棚(はしょくほう)といいます。この砂岩には1600万年前の貝類、流木、クジラ骨などの化石が含まれています。腰掛けのように並ぶ丸い石はノジュールと呼ばれるもので、地層にしたがい、規則的に並んでいます。

ノジュールの貝化石

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ノジュールは貝殻に含まれる炭酸カルシウムが周囲に溶け出してコンクリート状になったものです。地質学的にも貴重なもので、畳ヶ浦が天然記念物に指定された理由の一つとなっています。1600万年前は、大陸から分離した陸地が日本列島の位置に到達した時期です。

浜田藩追懐の碑

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続日本百名城の浜田城は、大坂の陣の後の1619年に長州藩に対する抑えの城として築かれました。幕末に長州軍の侵攻で焼失しますが、麓から続く石垣は見事で、天守のあった山頂の広い本丸に登ると、東側には、北前船寄港地の外ノ浦がよく見えます

城山入口には、幕末にここを攻めた大村益次郎が主人公の「花神」執筆が縁で、司馬遼太郎による「浜田藩追懐の碑」があります。「石見人はよく自然に耐え、頼るべきは、おのれの剛毅と質朴と、たがいに対する信のみという暮らしをつづけてきた。石見人は誇りたかく、その誇るべき根拠は、ただ石見人であることなのである。」

石州和紙会館

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重要無形文化財「石州半紙」を含む伝統的工芸品「石州和紙」は文化財修復用の特殊和紙としても用いられ、まさに石見の誇りでしょう。ここは石州和紙を学び、体験し、買えるスポットです。石見神楽の大蛇も石州和紙でできています。伝説に過ぎないかもしれませんが、江戸時代の文献に「慶雲・和銅(704年〜715年)のころ柿本人麻呂が石見の国の守護で民に紙漉きを教えた」と記されています。

唐音水仙公園

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益田市鎌手の日本海を見下ろす丘に広がる200万球のスイセンは地元の人々が植えたというから驚きです。唐音海岸の岩場の中を大蛇のように黒褐色の安山岩の岩脈が貫いており、唐音の蛇岩(からおとのじゃいわ)と命名され、天然記念物に指定されています。

益田市萬福寺庭園

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雪舟は晩年を益田の東光寺で過ごし、そこで没したとされ、跡地の「雪舟の郷記念館」には、雪舟筆「益田兼堯像」があります。市内の医光寺と萬福寺には庭園が残されています。写真は、中央の須弥山石を中心とした萬福寺の石庭で、多くの石に名称があり意味があります

高津柿本神社

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石見のや 高角山の 木の間より わが振る袖を 妹見つらむか(『万葉集』巻1-132、通称「石見相聞歌」) 鴨山の 岩根しまける 吾をかも 知らにと妹が まちつつあらむ(『万葉集』巻2-223、石見國に在りて臨死(みまか)らむとせし時、自ら傷みて作れる歌) 神社は高角山に鎮座しており、左に人麻呂像があります。人麻呂終焉伝説の鴨山を見下ろす場所です。

津和野の鷺舞

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重要無形民俗文化財。1542年に津和野城主吉見正頼が疫病鎮護を目的に京都から山口に伝えられていた鷺舞を津和野でもはじめたものの、一旦途絶。1643年、津和野藩主が京都の八坂神社に人を派遣して復興させました。今日、鷺舞は津和野にのみ伝承されています。

鷺舞の像の奥に見えているのは「郷土館」です。

津和野城址

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1295年源範頼の子孫、吉見氏が築城。1554年,陶晴賢に包囲されるも籠城戦を勝利。関ケ原後の1601年には、坂崎直盛が入城し現在の石垣が完成。1617年、亀井政矩が入城。山麓からの標高差は200mで、リフトで上がると、立派な石垣、竪堀、曲輪が現れます。本丸からは青野山と津和野の町を一望できます。我が国の山城の中でも屈指の眺望です。

森鴎外記念館

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生家の隣に記念館があり、川向こうには津和野城が見えます。2022年は鴎外生誕160年・没後100年です。藩医の家に生まれ、6歳から論語の素読(そどく)、8歳で藩校養老館、16歳で東大医学部入学、19歳で卒業という秀才でした。医学、文学の両分野で活躍し、晩年には帝室博物館館長、帝室美術院院長を歴任、奈良正倉院の管理も行ないました。

日本最古の石

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津和野は小さい町ですが、藩校「養老館」、歴史や偉人たちを顕彰する「郷土館」、名所や郷土芸能を紹介する「日本遺産センター」、「安野光雅美術館」など、見所がいっぱいです。郷土館には、2017年に津和野で発見された25億年前の石が展示されていました。しかし、山口県で最近、27億年前の石が発見されているようです。

うずめ飯

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うずめ飯は津和野の郷土料理です。お茶漬けのように見えますが、刻んで煮付けられた、しいたけや野菜、かまぼこ、高野豆腐などが埋められ、出汁がかけられています。春神楽や様々な行事の酒宴後に出される格調高い料理です。具に含まれる「根わさび」と「せり」の香りが料理のおいしさを一層引き立てています。