熊野古道 果無集落
熊野古道を歩いてきました。高野山と熊野本宮を結ぶ熊野参詣道を小辺路(こへち)と言い、ここは小辺路の果無集落、むこうは高野山です。ここを少し降ると「天空の郷」として有名な果無集落です。今は車道がありますが、昔は十津川温泉から古道を登降していました。平維盛や護良親王が落ちのびた伝説の道、奥の細道で芭蕉に同行した曾良も歩いた道です。
川湯温泉の仙人風呂
川湯温泉の冬の風物詩、仙人風呂です。昨年の台風20号で、道路沿いの旅館の1階まで浸水したとのことで、道路も復旧作業中、まだ休業中の旅館もありました。河原を覆った土石を取り除き、復興にむけて仙人風呂オープンに何とかこぎつけたとのことでした。
花窟神社(はなのいわやじんじゃ)
伊弉冊尊(イザナミノミコト)が火神・軻遇突智尊(カグツチノミコト)を産み、灼かれて亡くなった後、熊野の有馬村に埋葬されたと日本書紀に記されています。右側の巨岩がご神体で、下部に「ほと穴」があり、そこがイザナミの御陵とされています。神社名は「花を供えて祀った岩屋」に由来。上部に「御綱掛け神事」の大綱が見えます。3つの縄潘は、岩側から天照大神、月読尊、素戔嗚尊を表しています。
神倉神社参道
新宮市の神倉神社は熊野速玉神社の摂社ですが、御朱印には「熊野三山元宮」と記載されています。神倉神社に対する新しい宮、新宮が速玉神社であり、地名の由来です。山上の神社へは源頼朝の寄進と伝えられる538段の花崗岩の急勾配の石段を登ります。
勇壮な火祭りとして知られる2月の御燈祭(おとうまつり)では、白装束姿で腰に荒縄を巻き付けた「上り子」と呼ばれる男たちが、燃えさかるたいまつを手に、この急な石段を駆け下ります。熊野に上陸した神武を高倉下(たかくらじ)がたいまつで出迎えたのが始まりとされています。
ゴトビキ岩と神倉神社
山上にはヒキガエルを意味するゴトビキ岩がご神体として祀られています。「古事記」「日本書紀」に東征の際に神武が登った天の磐楯の記載がありますが、平安末期から鎌倉時代にかけてこのゴトビキ岩が天の磐盾と見なされ、征夷大将軍である頼朝による石段の寄進に結び付きます。
無量寺・串本応挙芦雪館
この旅のもう一つの目的、無量寺です。南海トラフ地震である1707年の宝永地震の大津波で全壊した無量寺は天明6年(1786年)に再建され、住職の友人であった円山応挙と弟子の長澤芦雪が襖絵を描きました。応挙の「波上群仙図」、芦雪の「龍虎図」を含む55面の障壁画のデジタル再製画がこの本堂にあります。
長澤芦雪の虎図
本堂のデジタル再製画です。対になった龍図ともども、お寺の障壁画の常識を吹き飛ばしてしまう、マンガのようなユーモラスな画、さすが「奇想の画家」です。隣接する串本応挙芦雪館の美術館には若冲や山雪、白隠などの作品、また、熊谷守一が住職に宛てた直筆の年賀はがきが展示されています。そして、収蔵庫の頑丈な耐火扉の向こうには、本堂にあった方丈障壁画全55面(重要文化財)が展示されており、感動のアート空間を体験できます。
宇和島城
現存12天守の一つ、宇和島城天守(重要文化財)です。縄張りは藤堂高虎で最初の天守は1601年に完成。1614年に伊達政宗の庶長子、伊達秀宗が10万石で入封、ちなみに仙台伊達家の2代藩主忠宗は異母弟です。現在の天守は2代藩主宗利が1666年に3重3階に改修したもの。城下では大名庭園である天赦園、市立伊達博物館、道の駅「きさいや広場」などを見学しました。
遊子水荷浦の段畑(ゆすみずがうらのだんばた)
宇和島市内から車で小1時間、三浦半島から宇和島湾に突き出した岬の小さな遊子集落の人々が営み続けた畑で、国の重要文化的景観に選定されています。半農半漁の生活を支えるために先人が築いた石段の壮観に頭が下がります。イワシ漁に一喜一憂した藩政時代から、時を経て豊穣の海には、真珠、ハマチ、タイの養殖筏が輝いていました。土井真珠さんで、アコヤ貝への核入れ見学と真珠の取り出し体験をさせていただきました。
顔真卿(がんしんけい)の祭姪文稿(さいてつぶんこう)
王羲之を越えた名筆?この書がなぜ中国の至宝なのか、また、この機会を逃すと10年は公開されないだろうということで、鑑賞してきました。
顔真卿は唐時代の書家で官僚。玄宗皇帝末期、安史の乱に直面した顔一族は反乱軍を敢然と迎え撃つも、唐王朝とその佞臣からの援軍はなく、親族30数名が殺されます。乱の終息後、亡くなったいとこの子供(甥でなく姪)を祭(祀)る文章、即ち追悼文の草稿です。親族を殺戮した「賊」に対する「怒り」、「天」すなわち朝廷とその佞臣に対する「義憤」、親族に対する「哀悼」。下書きが後世に残ったことは顔真卿には不本意かもしれませんが、人間の感情を書に反映させることは顔真卿から始まったことが読み取れると言うのです。
正直者がバカを見ると知りつつ、信義を貫いた顔真卿の書に、伊集院静氏がパンフレットへ寄せたこの文章はなるほどふさわしいと理解しました。
眺めているだけで、こころが洗われる。人間が潔く生きるとは、
このようなかたちかと顔真卿は書で教えてくれる。(伊集院 静)