筑波山(つくばさん)
日本百名山68座目は茨城県の筑波山、写真は、東側の女体山(標高877m)から眺めた西側の男体山(標高871m)です。秋葉原駅で筑波山きっぷを購入。つくばエクスプレス、直行バス、ケーブルをのりついで、山頂をハイキングしました。晴れた日には、稜線の左側にスカイツリーや157km遠方の富士山が見えるそうです。
ガマの油売り口上
筑波山神社の境内では「ガマの油売り口上」を見学できました。江戸時代初期に山麓にある新治(にひばり)村の兵助が始めたといいます。
また、筑波山梅林の周辺には「筑波嶺の峰より落つる男女川 ・・」の歌碑や「連歌を筑波の道と呼ぶ由緒についての説明板もあり、筑波山の歴史を感じることができました。
「新治 (にひばり) 筑波を過ぎて幾夜か寝つる」 日本武尊 (やまとたけるのみこと)
「かがなべて夜には九夜 (ここのよ) 日には十日を」 火ともしの翁 (おきな)
「古事記」より
JAXA 筑波宇宙センター
筑波宇宙センターに立ち寄りました。展示館スペースドームにある、国際宇宙ステーション「きぼう」日本実験棟の実物大モデルです。歴代の人工衛星やロケットエンジンが展示され、日本の宇宙への挑戦の歴史を実感できます。
東京都写真美術館
恵比寿にある東京都写真美術館です。土門拳の室生寺、入江泰吉の明日香、白川議員のアルプス、私が写真と聞いて思い浮かぶのはそんなところです。いつもの携帯で撮影したのですが、アート気分でコバルト色の加工写真をチョイスしてみました。
生誕100年 ユージン・スミス写真展
沖縄戦の撮影中に砲弾を浴びて生死の境を彷徨うほどの傷を受け、もう2度とカメラを握れないかも知れないという絶望の淵で、小さなわが子が光の中へと進んでいくうしろ姿をみて思わずシャッターをきったという1枚がこの「楽園への道」です。
子供のころ、水俣病のドキュメンタリー番組を見て衝撃を受けました。「チッソ」という企業の垂れ流した有機水銀で被害を受けた猫や子供たちの映像です。「医者になって治してあげるよ」とつぶやきました。大学生になってユージン・スミスの写真集「水俣」を見て、その名を覚えていたので、今回、写真美術館を訪問しました。もちろん「水俣」も「フォト・エッセイ」として展示されていました。
京都 金剛能楽堂
能鑑賞にデビュー、金剛定期能の平成30年の初会です。最初に謡があり、続いて能の「草紙洗」、狂言の「鬼瓦」、休憩のあと仕舞、そして能「野守」でした。風情ある能楽堂の佇まい、ピント張り詰めた空気、響き渡る笛や鼓の音、舞の美しい動き、能面、衣装・・・ニッポンの芸能に感激しました。
藤田嗣治 本の仕事
西宮の大谷美術館です。乳白色の裸婦像の画家。エコールドパリって? レオナール・フジタってどうして? どうして戦争画を描いたの? かなりわかりました。今年は没後50年です。夏には東京で、秋には京都で、史上最大級の大回顧展が予定されています。
第52回 京の冬の旅
写真は相国寺の塔頭、林光院です。紀貫之ゆかりの「鶯宿梅」、そして「蛤御門の変」「鳥羽伏見の戦い」で活躍した薩摩藩士の墓地があります。
京の冬の旅のパンフレット表紙を飾る絵は猫ではなく虎。薄目をあけて反対側の龍を見据えています。建物内部の障壁画は平成29年に完成したばかりで作者は藤井涌泉、1964年中国・江蘇省生まれ。蘇州大学美術学院で水墨画を学び、デザイナーに。その後、1992年に来日し、京都市立芸術大学大学院に留学、日本人女性と結婚して日本国籍を取得したそうです。「龍」「松」「りす」「ぶどう」など、見事な障壁画でした。
ゴッホ展
存命中に1枚も絵が売れなかったゴッホ。家庭が崩壊するほどに兄を援助し続けた弟のテオ。変わった兄を支え続ける優しすぎる弟だと思っていた私は間違っていました。
ゴッホは浮世絵に強く心を動かされ、それを西洋絵画として表現しようと努力しました。平坦で鮮やかな色面を使った彼の画風は、浮世絵の研究を通じて生まれ、テオはそれを理解していたのです。色彩を求め「フランスにおける日本」である南仏へと旅立ったゴッホが描いた1枚が写真の『アイリスの咲くアルル風景』です。テオへの手紙にこう綴ります。
「黄色や紫の花が満開の野に 囲まれた小さな町。ほんとうに日本の夢のようだよ。」