上高地の岳沢湿原

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 梓川下流の沢渡(さわんど)に駐車して、シャトルバスで上高地に入ります。歩いてすぐに河童橋、さらに5分で岳沢湿原です。明神池へと続く遊歩道のウッドデッキから、正面に六百山(ろっぴゃくざん2,470m)、手前に立ち枯れの木々、澄んだ湧水が流れていきます。

明神池と穂高神社奥宮

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 岳沢から1時間、明神岳の湧水が、梓川の旧流路にたまってできた池が明神池です。水は常に澄んでおり、鏡池とも呼ばれます。カラマツの森に囲まれた池の左奥に明神岳最南峰がそびえています。安曇野の人々は豊かな実りを与えてくれる山を穂高の神と尊崇しました。

上高地嘉門次小屋のイワナ

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 明治の初め、猟師の上條嘉門次は明神池湖畔に小屋を建てます。明治中頃に日本近代登山の父、イギリス人宣教師ウォルターウェストンが、嘉門次に山の案内を頼み、槍ヶ岳に登頂。ウェストンは嘉門次の人柄と登山技術を著作で激賞し、彼は一躍有名になります。

現在の建物は大正時代の建築で登録有形文化財。囲炉裏には嘉門次の猟銃とウェストンが贈ったピッケルのレプリカが飾られています。現品は大町山岳博物館に展示されています。囲炉裏でじっくり焼かれたイワナは頭から尻尾まですべて食べることができます。

白骨温泉

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 沢渡駐車場から乗鞍高原方面に車10分ほどで白骨温泉です。この温泉の白いお湯をもたらすのは炭酸カルシウムを豊富に含んだ石灰岩。熱帯のサンゴ礁が2億数千万年という長い時間をかけて太平洋プレートの移動で、白骨温泉の地下にやってきたのです。

ひだ宇宙科学館カミオカラボ

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 原子核は陽子と中性子で、さらにそれらも物質を構成する最小単位の素粒子から構成されています。素粒子には、クオークとレプトンとゲージ粒子とヒッグス粒子。レプトンの中で電荷をもたないものがニュートリノ・・・。

 飛騨市神岡鉱山内の地下1000mにあり、約1.3万本の光電子増倍管と呼ばれる光センサが壁に設置された、5万トンの水を蓄える、直径高さともに約40mの円筒形水タンクが、スーパーカミオカンデで、ニュートリノの性質の全容を解明できると期待されています。

 超新星爆発で放たれたニュートリノを観察したことで小柴昌俊先生、ニュートリノ質量の存在をしめすニュートリノ振動を発見したことで梶田隆章先生が、それぞれノーベル賞を受賞されています。

熊野古道伊勢路 馬越峠(まごせとうげ)

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 紀北町と尾鷲市を結ぶ峠が馬越峠で尾鷲ヒノキの美林の中に伊勢路で最も美しい石畳が続いています。徳川吉宗が紀州藩主だった頃に整備されたそうです。紀北町の海の駅海山(みせん)から標高325mの馬越峠まで徒歩60分、苔むした石畳は風情がありますが、滑るので少し大変でした。峠から進路を右へ便石山(びんしやま599m)を目指します。

 なお、熊野古道が世界遺産に登録されたのは2004年、本年は20周年の記念年です。

便石山の象の背

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馬越峠から降りたり登ったり、約1時間で便石山の山頂に着き、山頂の南側斜面から突き出したゾウさんの背中のような大きな一枚岩の「象の背」に向かいます。岩の真ん中を歩いて先端まで行くことができますが、左右は45度の傾斜で岩の下は断崖絶壁です。

象の背からの展望

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 右は尾鷲湾、左は紀北町で奇跡の清流と呼ばれる銚子川が熊野灘に向かって流れ、その左奥は紀伊長島方面です。正面は天狗倉山(てんぐらさん522m)で天狗倉山の中腹が馬越峠です。

象の背

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 SNSでは先端でジャンプしている写真がたくさんありますが、ワタクシには無理です。

道の駅 紀伊長島マンボウ

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 2005年に紀伊長島町と南隣の海山町が合併して紀北町になっています。道の駅ではマンボウが絶妙のバランスで立って(泳いで?)います。右真ん中がマンボウの串焼き、左下がマンボウのフライ。グミのようなやや弾力のある食感、白身で味はあっさりしていました。

南伊勢町

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 伊勢志摩の西隣の海沿いの地域が南伊勢町で、海岸の多くは伊勢志摩国立公園に指定されており、鵜倉園地からのハートの入り江などドライブスポットが並んでいます。

写真右上は河村瑞賢の銅像です。彼は、明暦の大火の際にいち早く材木を確保して財をなし、東廻海運・西廻海運を整備しました。また、淀川下流の治水工事を請け負うなど、多くの業績を残しました。江戸初期に活躍した豪商は、この地域の東宮の出身です。

鬼怒沼

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 標高が高く低温で平らな場所では植物が育ちにくく、かつ腐敗しにくいので、泥炭が大量に蓄積して高層湿原が形成されます。鬼怒沼山火山の旧火口にできた湿原は、東西410m、南北720mの広さ。緑に拡がる草原と輝く池塘。ここには貴重な植物が育ちます。

尾瀬、苗場山、火打山などの美しい湿原にくらべても遜色のない雲上の楽園です。

根名草山と日光白根山

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 土曜午後から11時間のドライブで鬼怒川の最深部、夫婦渕の駐車場へ。仮眠して、4時半に歩き始め、奥鬼怒温泉郷を経由して、標高差900mを登り、8時に標高約2000mの鬼怒沼に登りつきました。湿原の真ん中まで木道を歩くと南側に根名草山を、そして写真の右端には、半分雲に隠れていますが日光白根山を池塘越しに見ることができました。

鬼怒沼から燧岳

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 進行方向の北側には尾瀬の燧岳(2356m)が見えます。天気がよければ左奥に至仏山が見える日もあるようです。梅雨の真最中ですが、9時までは展望が期待できるという予報だったので、早起きをして急いで登った甲斐がありました。

モウセンゴケとミズゴケ

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 尾瀬など多くの湿原に行きましたが、これほどたくさんのモウセンゴケを見たのは初めてです。群生している様子はまさに毛氈(モウセン)でした。地面から放射状に出た円形の葉の周囲に粘液のついた毛を拡げています。可愛いような怖いような、何とも魅力的な姿です。地面はミズゴケで覆われ、緑はヌマガヤでしょうか。貴重な植物に出会えました。

日光澤温泉

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 鬼怒川源流部に奥鬼怒温泉郷(奥鬼怒四湯)があります。一般車や路線バス終点の夫婦渕から、加仁湯と八丁湯は宿泊者にマイクロバス送迎をしていますが、手白澤温泉と日光澤温泉は送迎がなく、登山道を1~1.5時間歩きます。登山者用の秘湯と言えるでしょう。

奥鬼怒温泉郷

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奥鬼怒への旅は、初日早朝のみ晴れ予報だったので、9時過ぎの送迎バスを待たず、奥鬼怒温泉郷まで歩き、さらに鬼怒沼へ登りました。下山途中から雨となり、○○湯にチェックインすると雨は激しくなりましたが、下山してすぐの生ビールと露天風呂は最高でした。

日光市二宮尊徳記念館

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 二宮尊徳(金次郎)は江戸時代の末期、関東から南東北の農村復興に尽力しました。藩の財政再建や荒廃した村の復興などの手段が報徳仕法です。「新田開発のために心田を耕す」とう言葉を残しています。尊徳は70歳のとき、この地で生涯を終えました。

SL大樹

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 最近、各地でSLが復帰していますが、東武鉄道「SL大樹」は2017年から下今市駅を起点として鬼怒川温泉駅や日光駅間を運転しています。レトロな機関庫から転車台で向きを変え、本線へ出ていくところを見学できました。右側の車両は「いちご王国」栃木県の誕生150年を記念する「いちごスペーシア」です。