村上隆 お花の親子

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 現代アートで抽象的なものは正直に言うとよくわからないし、綺麗と感じられないものは好きになれません。ルイヴィトンのボックスの上に立つ「お花の親子」は見るものすべてを笑顔にしますよね。お上りさんのような素直な笑顔とぽっこりのおなかが素敵です。

村上隆 もののけ京都

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 京都市京セラ美術館開館90周年記念展として村上隆の個展が開催中です。村上隆は伝統的日本美術とアニメ・マンガの平面性を接続した現代視覚文化の概念「スーパーフラット」を提唱して高く評価されているそうです。岩佐又兵衛の洛中洛外図を喜ぶお花さん、「奇想の系譜」を表わした師匠の辻惟雄さんになんだか似ている風神雷神、曽我蕭白リスペクトの雲竜赤変図、尾形光琳にヒントを得た金屏風のお花のお題は「金色の空の夏のお花畑」、金屏風を金色の空ととらえた視点にハッとさせられますね。

特別展 空海

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 奈良国立博物館で空海の生誕1250年を記念する特別展が開催されました。写真は京都の安祥寺に伝わる最古の五智如来坐像(国宝)です。法界体制知、大円鏡知、平等性知、妙観察知、成所作知、が五智。そして、もう一つのメインは国宝の高尾曼荼羅(九世紀 神護寺)でした。大日経を視覚化したものが胎蔵曼荼羅、金剛頂経を視覚化したものが金剛界曼荼羅。前者は真理を実践的現象的世界として、後者は論理的精神的世界として捉えているそうです。難しいから視覚化したと言われても・・・難しいですよね。

生石高原

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 和歌山有田川町と北側の紀美野町にまたがる生石高原です。山頂部はススキなどの草原となっています。山頂部の笠石から山頂の生石ヶ峰(870.0m)を眺めています。インターから45分ほどのドライブで、笠石のすぐ北側の駐車場です。右奥には、護摩壇山など奥高野の山々が見えています。反対の西側は六甲山や淡路島を眺めることができます。

あらぎ島

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 和歌山県有田川町清水、有田川中流にある棚田で「日本の棚田百選」に選ばれています。江戸時代に3km南の湯古川から用水路を造ってこの棚田を築いたそうです。先人は米を作りたい一心だったのでしょうが、その苦労は美しい棚田の景観を残しました。

筏津登山口

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 愛媛県新居浜市と四国中央市の境界に聳える東赤石山(日本二百名山)を目指します。別子銅山の筏津坑跡見学用駐車場にはきれいなトイレがあります。銅山川沿いを戻って、県道沿いの登山口から登り始めます。木橋で沢を渡り、沢沿いにまず八巻山を目指します。

八巻山への登山路

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 危なっかしい木橋を何度か渡り、滝など眺めながら登山口から1時間半登ると標高1500mで植物相が変わり周囲の木が低くなりました。稜線を見上げると赤味を帯びた岩、かんらん岩が連なっています。ユキワリソウに励まされて、八巻山1698mに着きました。

八巻山から東赤石山へ

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 八巻山から進行方向には東赤石山が眼前です。振り返ると西側には、笹ヶ峰、瓶ヶ森、石鎚山。稜線は北アルプス並みのややハードな登山道、黄色い花は、キバナツクバネウツギです。かんらん岩の山は特徴的な高山植物が咲きますが、時期が少し早かったようです。

東赤石山三角点

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 八巻山から40分足らずで、東赤石山三角点(1706m)に着きました。瀬戸内海側は低い空に雲がたちこめ残念ながら見えませんでした。振り返ると、特徴的な沓掛山の左に日本百名山の石鎚山(1982m)が霞んで見えます。やや広いので、ここでおにぎりを食べました。

香川・徳島方面の眺め

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 高松方向に延びる山脈は法皇山脈。平清盛が後白河法皇のために三十三間堂を建立した時、この山脈の木を切りだしたそうです。右の谷には銅山川が流れ、はるか東の大歩危のあたりで吉野川に合流します。右正面には、四国のもう一つの百名山、剣山が聳えます。

東赤石山山頂

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 引き返して山頂(1710m)に戻ってきました。三角点のある場所より4m高く、こちらが日本二百名山、東赤石山の山頂です。右に八巻山、その左に西赤石山、さらに左の低い峰が銅山峰で別子銅山跡地です。山頂は赤いかんらん岩で山名の由来です。マントル由来の珍しい岩石で日本ではここと北海道のアポイ岳のみで、アポイ岳はジオパークとして盛んに喧伝しています。こちらは別子銅山があるので、ここのかんらん岩はあまり知られていません。

別子銅山

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 左下は筏津坑跡見学坑道。下中央は別子銅山記念館と山岳鉱山鉄道としては日本初の機関車でドイツクラウス社製1982年(明治25年)の別子1号。右中央は明治初期の別子銅山の招待所跡、右上の日暮別邸記念館は新居浜沖の四阪島にあった住友家別邸を移設したもので煙害対策等を解説しています。左上は東平(とうなる)の貯鉱庫・選鉱場跡。

あかがねミュージアム

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 新居浜駅前にある総合文化施設で新居浜発展の象徴である「銅」(あかがね)の銅板22,500枚で覆われており、特徴的な外観は新居浜市街からの銅山峰とその山並みを表現しているとのことで素晴らしい建築物です。新居浜太鼓祭りの山車の展示や観光シアターやカフェ、そして2階には美術館。「アーツ・アンド・クラフツとデザイン、ウィリアム・モリスからフランク・ロイド・ライトまで」が開催中でした。ウィリアム・モリスはテキスタイルデザイナー、作家、社会主義活動家で、アーツ・アンド・クラフト運動の主導者です。右下は「ユートピアだより」、下中央は「いちご泥棒」(インディゴ染め)。

広瀬歴史記念館

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 明治維新の混乱期に別子銅山の経営を守り、外国人技師の招聘、機械化、ダイナマイトの活用、山岳鉄道の導入で経営を効率化し、今日の住友グループの基礎を確立。それだけでなく、大阪商法会議所、大阪商船の設立に参画するなど殖産興業にも尽力した広瀬宰平。業績を展示する記念館と居宅及び迎賓館を兼ねた旧広瀬邸(重要文化財)を見学できます。

「先憂後楽」は、明治政府総裁、元老院議長、初代赤十字総裁などで活躍した有栖川宮熾仁親王の書、親王は和宮と婚約していたことでも知られていますね。

奥津温泉

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 院庄から北上、吉井川河原に湧く奥津温泉。鍵湯は川原の底から42度の湯が自噴しており、江戸時代初期、津山城主の森忠政が自分専用の湯治場として鍵をかけたことから名付けられました。奥津温泉には棟方志功もたびたび訪れ、いくつかの作品を残しています。

妖精の森ガラス美術館

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 奥津温泉から車で北へ15分ほどで人形峠です。その手前にこの美術館があります。微量のウランを着色に使用したウランガラスは紫外線を当てるときれいな緑色の蛍光を放ちます。ウランガラスは1830年代から1940年代に欧米で製造され、アンティークとして人気があります。左下はロシア皇帝家で使用されたゴブレットで左上は紫外線を照射したときに緑色の蛍光を放つ様子です。右下は妖精の森ガラス工房で制作された杯です。

人形峠アトムサイエンス館

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 人形峠で1955年(昭和30年)に日本で初めてウランの露天鉱床が発見され、採鉱、製錬、濃縮が行われました。民間への技術移転に伴い2001年(平成13年)に稼働を停止し、現在は施設の廃止・解体中とのことです。アトムサイエンス館で詳しく展示されています。右下は燐灰(リンカイ)ウラン石で、紫外線照射により蛍光色を放っています。

 さて、少量のウランをガラスに使うのは美しいのですが、周知のように原発を動かしウランを燃やすとプルトニウムができます。日本の場合、すでに45tのプルトニウムを取り出しており、その気になれば、計算上、長崎型原爆を5000発以上製造することができます。原発を再稼働すればさらにプルトニウムを作ることになります。プルトニウムという超危険物質の保存管理という負の遺産を後世の人々にどう説明するのでしょうか?