飯豊山(いいでさん)山頂

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あまり意識していませんでしたが、2013年までに百名山を37座登っていました。2014年に放映された「グレートトラバース日本百名山一筆書き」で求道者のように歩き続ける田中陽希さんを見て、自分も百名山を登ろうと決めました。2015年から、多い年は1年で15座登った年もあり、7年かけて残りの63座を登り、今日が100座目です。

山頂では同じ道を登ってきた「日帰り組」の数名が次々に到着しました。100座目と思わず呟いてしまうと、皆さんからお祝いの言葉をいただき、その中のお一人の声掛けで居合わせた6名で記念写真となりました。下山後は駐車場で「お見送り」までしていただき、写真は後日、フォトフレーム入りで郵送されてきました。飯豊山の魅力だけでなく、東北の皆さんの人情にも感動した山行でした。集合写真は個人情報なのでネット上には掲載できませんが、診察室に飾っています。

剣が峰から日の出

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9月の連休、北陸道・磐越道を9時間走り、会津坂下(ばんげ)へ。道の駅で仮眠して深夜に飯豊山登山口の御沢(おさわ)駐車場へ車を移動。午前3時からヘッデンをつけて登り始めました。2時間半登ると、剣が峰の手前で吾妻山付近から日が昇りました。

朝焼けの剣が峰

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学生時代、ワンダーフォーゲル部で北アルプスを2回テント縦走。また職場仲間や子連れ登山で、2013年時点で百名山を37座登っていました。今回、距離に気を取られコースは危険なしと高を括っていましたが、北アルプスのような険しそうな岩稜に足がすくみます。

三国小屋から飯豊山(いいでさん)

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予想外に高度感のある岩稜帯を慎重に通過し、標高570mの御沢から、1644mの三国岳へ3時間で到着しました。越後、会津、出羽の三国の境で三国岳、山頂の三国小屋の左奥に飯豊山が見えます。9月だというのに雪が残っています。

種蒔山(たねまきやま)付近から飯豊山

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三国岳から1時間登りました。登山道は、平安後期に山岳信仰の修験者が開きました。しかし、江戸時代には民間の飯豊信仰が盛んになり、多くの参拝者が豊作祈願や成人儀礼のために訪れ、登山道にコメや銭を撒いたのが、種蒔山の名の由来です。正面が飯豊山の東峰で本山小屋と飯豊山神社があります。左奥が飯豊山西峰で飯豊山山頂となります。左手前の山は草履塚で、泥草履を捨て、足を清めて新しい草履を履き、飯豊山神社(権現)の清浄な花崗岩砂礫の境内へ向かう入口でした。

福島県の名峰

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振り返ると東方向となり、右から磐梯山、安達太良山、吾妻山、と福島の名峰が美しく並んでいます。磐梯山の右手前は会津、吾妻山の左側は米沢です。

姥権現(うばごんげん)

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さらに1時間、草履塚から一旦下って姥権現です。春になると山の神が、山から降りてきて田の神となり、秋には再び山に戻るというのが山の神信仰です。山の神は女神でどういうわけか醜女です。民話では、十三参りで神隠しにあった息子を探しに来た母親がここで力尽き石になったとか女人禁制を破ろうとして石にされたなど、「まんが日本昔話」でも放映されました。姥権現の奥に見える岩稜が御秘所(おひそ)で、鎖のない北側(山形県側)は断崖となっており飯豊参りでは男子の成人通過儀礼とされたそうです。

御前坂(おまえざか)から登山道

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姥権現からは樹木のない偽高山帯となり高原歩きとなります。御秘所を越えると飯豊山への最後の登り、御前坂(おまえざか)です。振り返ると歩いてきた三国岳からの登山道が見えます。標高が上がるにつれ、磐梯山等、福島の名峰を眼下に眺めるようになってきました。

本山(ほんざん)小屋と飯豊山神社

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9時に飯豊山(飯豊本山)の東峰にたどり着きました。登山口から6時間かかりました。本山小屋は避難小屋とはいえ2階建ての立派な小屋で手前にはきれいなトイレ棟があります。小屋の北隣に飯豊山神社が鎮座しており、晴天を感謝し登山の無事をお願いしました。

飯豊山と大日岳

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「山容飯を豊に盛るが如き」と江戸時代の文献に記され、残雪の白い山塊は麓からは白い御飯を豊かに盛り上げたように見え、飯豊と呼ばれました。「いいとよ」と書いて「いいで」と読むのには諸説ありますが、古代においては蝦夷との境界の出端(いでは)の山であり、「いでは」が訛って「いいで」となり「飯豊」が後付けされたという説に共感します。右側に山頂へと続く道が見えています。多くの人が達成感をかみしめながら登った道です。

飯豊山山頂

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小屋から10分、9時20分に飯豊山(飯豊本山2105.1m)の山頂につきました。北西方向には新潟村上あたりの日本海、画面の右端には朝日連峰、その奥に鳥海山も見えています。

山頂から御西岳、大日岳

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山頂部のこのなだらかな山容は周氷河地形で、岩石・土壌中の水の凍結・融解の繰り返しや風雪による浸食などによってつくられました。正面奥の大日岳は飯豊山系の最高峰(2128m)で、大日如来の山という意味です。飯豊山神社の麓宮には鎌倉時代の五大虚空蔵菩薩坐像が安置されており、飯豊を遥拝し最初に登山道を開いたのは真言密教の修験者でしょう。

朝日連峰

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北側には7月に97座目として登った山形県の朝日連峰が見えます。紅葉の左上の岩稜の尾根はダイグラ尾根で山形県小国町から飯豊山へ直登する上級者向きのコースです。

月山と鳥海山

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朝日連峰の向こうには右側に月山、左側には鳥海山が見えます。

日光や尾瀬の山々

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南側には左に女峰山(にょほうさん)や男体山など日光連山、正面に尾瀬の燧ケ岳(ひうちがたけ)、至仏山(しぶつさん)です。ここ数年登ってきた百名山の数々が四周から、手を振ってくれているような気分になりました。

 

切合(きりあわせ)小屋のテント場

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山頂で景色を眺め、おにぎりを食べ、登山者どうし山の話を楽しみ、記念写真撮って、50分ほどを過ごし、名残を惜しみつつ下山します。1時間と少しで、姥権現と種蒔山の中間部の切合(きりあわせ)小屋まで降りてきました。往路では宿泊者が数名いただけですが、この時間になると、登ってきた小屋泊りやテント泊まりの人で混雑し始めていました。

豊臣政権時、会津藩主の蒲生氏郷の命で神仏習合の登山道を再興してからは、会津側では一ノ木川入を、米沢では大日杉(飯豊町岩倉)を表参道として隆盛期を迎え、山麓の村々をはじめとして広く参拝者を集めました。切合は、伐開してきた道の両方が出会った意味です。今もここで山形県側の大日杉登山口からの登山道が合流しています。

磐梯山と猪苗代湖

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さらに1時間で三国小屋まで降りてきました。朝、雲海に覆われていた喜多方や会津の町とその上に猪苗代湖が見えます。左の高い山が磐梯山です。

剣が峰

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登りの時は写真を撮る余裕がありませんでしたが、剣が峰の下りはこんな感じです。高所恐怖症気味なのでさっさとやり過ごしたいのですが、歩行時間は9時間近くになっており、思うように足が動きません。時間をかけて慎重に降りました。その後樹林帯を2時間以上降り続け15時に無事下山、御沢からの飯豊本山往復日帰りはちょうど12時間でした。緊急事態宣言中なので、下山後の日帰り温泉はなしです。9時間のドライブで神戸へ帰りました。