横手山より浅間山
志賀高原の横手山・渋スキー場、山上展望台から南側の展望です。手前から、草津白根山、四阿山、そして浅間山です。左奥には奥秩父の峰々の向こうに富士山も見えました。
日本で一番高いパン屋さん
横手山山頂は標高2,307mで日本のスキー場では最も高い場所です。山頂リフトを降りると横手山頂ヒュッテがあり、ここで焼いたパンが売られています。食堂のボルシチ&パンのセットが有名ですが、マスクなし会話の花が咲いており、コロナ終息までお預けです。あんパンとブドウパンをテイクアウトしました。
渋峠スキー場より榛名山
横手山の東側はなだらかな中斜面の拡がる渋峠スキー場です。正面に榛名山、左には赤城山さらに北側には、日光白根山や尾瀬の山々が続いています。景色も雪質も最高でした。
地獄谷野猿公苑
スノーモンキーで世界的に有名な野猿公苑に寄りました。地獄谷温泉の露天風呂に子ザルが入ったのをきっかけに母ザルも入り始めたそうです。餌付けされており、サルたちは観光客を気にしません。サル専用につくられた露天風呂でくつろぐ姿は幸せそうに見えました。
中山晋平記念館
志賀高原の麓、中野市新野は作曲家、中山晋平の故郷です。晋平は18歳で上京し、島村抱月の書生になり、苦学の末、東京音楽学校を卒業します。カチューシャの唄が大ヒットすると、以降、シャボン玉、波浮の港、東京音頭など数多くの名曲をつくりました。
高野辰之記念館
高野辰之のふるさと、中野市永江(旧永江村)の旧永田小学校跡地に立つ記念館です。高野辰之は苦学して国文学者となり「国文学史」、「近松門左衛門全集」、「日本歌謡史」、などの名著を著し、また、小学校唱歌教科書編纂委員として唱歌の作詞も手がけました。「故郷」「朧月夜」「春の小川」「もみじ」など彼がつむぎだした歌詞の原風景がここにあります。
柳沢遺跡
中野市立博物館の柳沢遺跡コーナーです。長野県北部の中野市の高社山の麓、千曲川沿いの柳澤で2007年、弥生時代に埋納された銅鐸や銅戈が出土しました。出土した遺物212点は、2014年に国の重要文化財に指定されています。島根の加茂岩倉遺跡や神戸の桜ヶ丘遺跡と同様の出土品は、弥生時代のネットワークの拡がりを明らかにしてくれました。
大文字山から京都市街
京都の大文字山をハイキングしてきました。銀閣寺の北側から小1時間で、ちょうど大の字の中心部分に到着です。左手前の緑地が金戒光明寺、正面が吉田山、奥が御所、正面奥の山は愛宕山。ここから南に歩いていき、南禅寺へ降りました。
勝龍寺城公園
長岡京市に残る戦国時代の城で櫓が再建され展示室になっています。三好三人衆と信長の合戦、三条西実澄(実枝)から細川藤孝への「古今伝授」、明智玉(細川ガラシャ)と細川忠興の婚姻、山崎合戦での光秀の逃げ城、など多くの歴史の舞台です。
恵解山古墳(いげのやまこふん)
大河ドラマ「麒麟が来る」で紹介された、長岡京市にある全長128mの前方後円墳です。秀吉との「山崎・勝龍寺城合戦」の際、光秀の本陣が置かれたとされています。古墳の周囲には住居や工場が立ち並び、古墳に登っても、南西にわずかに天王山が見えるだけでしたが、古墳公園として整備されており、子供たちの歓声であふれていました。
熊谷守一つけち記念館
映画『モリのいる場所』(2018年)、主演は山﨑努と樹木希林でした。単純な形態と明快な色彩によって構成される『モリカズ様式』は一度見たら忘れられません。記念館の壁には彼の代表作「白猫」が描かれています。彼の故郷、中津川市付知町に建つ美術館です。
苗木城
岐阜県中津川市、木曽川の断崖に聳える山城です。鎌倉時代に頼朝の命で加藤氏が恵那郡等、遠山荘の地頭となり、遠山氏を名乗ります。この地に築いた砦が苗木城のはじまりです。本家の岩村遠山氏は滅びますが、苗木遠山氏は戦国時代を耐え遠山藩1万石として幕末まで存続しました。ちなみに遠山の金さんの出自は親戚筋の明智遠山氏です。本丸の左奥には恵那山が見えます。
毛無山より新潟の山並み
45年ぶりの野沢温泉スキー場です。山頂の毛無山までリフトで登れるようになっており、山上部はツリーランをする上級者でにぎわっていました。360度の大展望ですが、北側には、左から、越後三山(八海山、越後駒ケ岳、中ノ岳)、尾瀬の至仏山と燧ケ岳、上越国境の朝日岳、苗場山など、有名な山々が並んでいました。
野沢温泉スキー場スカイラインコース
山頂から長坂ゲレンデへ続く4.5kmの尾根上のコースです。正面に妙高山と火打山を眺めながら快適な中斜面を滑ることができました。