三峰山(みうねやま)の霧氷

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奈良県御杖村の霧氷で有名な三峰山へやってきました。登山口までは名阪国道針インター経由で2時間ほどです。きれいに植林されたスギ林の尾根を根気強く2時間登って稜線につくと、ヤシオツツジの群落の枝が美しい霧氷のトンネルになっていました。

三峰山山頂

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霧氷のトンネルを10分ほど進むと山頂です。標高は1235メートル、日本三百名です。山頂から北方向には展望があり、伊勢街道の通る御杖村や室生火山群の倶留尊山などが見えました。はるか遠くに御嶽山が見えることもあるそうです。

三峰山の八丁平

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山頂の南側は八丁平というなだらかな平原状の鞍部になっており、三重県の高見山や大台ヶ原の展望が拡がっていました。登ってきた北側は風の影響でできた木々の霧氷が実にきれいです。軽アイゼンをつけて慎重に下り、道の駅併設の温泉でほっこりして帰りました。

御上神社

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近江富士の別名がある三上山をご神体とする滋賀県野洲市にある神社で、『古事記』開化天皇の段に「近つ淡海の御上祝がもちいつく天之御影神(あめのみかげのかみ)」と記されています。鳥居をくぐると狛犬と楼門(ともに重文)があり、境内には、拝殿(重文)、本殿(国宝)、若宮本殿(重文)が建ち並んでいます。天之御影神は製鉄・鍛冶の神であり、付近の大岩山からは有名な野洲銅鐸が出土しています。

三上山山頂の磐座(いわくら)

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富士型の標高432mの山頂に、天之御影神が降臨された磐座があります。御上神社から整備された登山道を1時間ほどのハイキングでした。栗東の竜王山や京都の愛宕山が見えます。藤原秀郷(俵藤太)のムカデ退治の伝説でも有名ですがムカデはいませんでしたよ。

高田山専修寺(せんじゅじ)

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専修寺は三重県津市にある真宗高田派の本山です。手前の御影堂は和様、奥の如来堂は禅宗様の建築様式で江戸時代の仏教建築として極めて高い価値をもつとして平成29年に国宝に指定されています。宝物館は改装中でしたが、国宝の西方指南抄、三帖和讃はじめ、現存している親鸞の真筆文書の4割強を収蔵しています。

松阪城跡

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北畠氏が信長に滅ぼされた後、松ケ島城に入城した蒲生氏郷は、城下町の発展を考え1588年(天正16)に松阪城を築城しました。穴太衆による野面積みの美しい石垣が残っています。松阪城跡の石碑は裏千家第15代家元・千宗室が揮毫したもので千利休の次男・小庵を氏郷が助命した縁とのことです。氏郷は近江日野の商人や、伊勢大湊の豪商角屋氏を呼び寄せ、参宮街道を付替えて商人の町松阪発展の基礎を築きました。彼がいなければ、江戸時代の三井家や本居宣長の活躍はなかったかもしれません。

本居宣長寓居「鈴屋」

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本居家は北畠氏の元家臣ですが、江戸時代には豪商でした。しかし彼は医師となり、昼は医業に勤しみ、夜に日本の古典を研究しました。当時読み方がわからなかった古事記を解読し、また源氏物語研究では「もののあはれ」を唱えました。鈴のコレクターであり、寓居の2階の書斎には柱に鈴をかけて音を楽しみながら研究や講義をしたそうです。寓居と本居宣長記念館は松阪城内にあり、彼の業績や逸話を学ぶことができます。

  しき嶋の やまとごころを 人とはば 朝日ににほふ 山ざくら花

「日本人である私の心とは、朝日に照り輝く山桜の美しさを知る、

その麗しさに感動する、そのような心です。」

松浦武四郎生誕の地

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三重県松阪市小野江の松浦武四郎の生家(復元)です。三重の三大偉人は松尾芭蕉、本居宣長、松浦武四郎とのことですが、『永遠のニㇱパ、北海道と名付けた男 松浦武四郎』を見るまでは知りませんでした。ロシアの南下を知り蝦夷地を探検したこと、アイヌ語の「カイ」=この地に住む人、から「北加伊道」(北のアイヌの住む土地)を提案したこと、北海道の自然と、自然と共に生きるアイヌ民族に感動したこと、松前藩役人のアイヌ民族への蛮行を幕府に訴えたこと、など彼の探求心と正義感がよくわかる記念館でした。アイヌ語のニシパは「尊敬する人」「大切な人」です。アイヌからも親しみをもってそうよばれたのです。

船形埴輪

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松坂の市街地から南に3kmほどの丘陵に、伊勢地方最大の前方後円墳、宝塚古墳(全長111m)があります。築造は、2019年に世界遺産登録された「百舌鳥・古市古墳群」と同時代の5世紀前半です。この船形埴輪など宝塚古墳出土品は2006年に重要文化財に指定されており、松坂市文化財センターの「はにわ館」に常設展示されています。