2020年5月25日現在、新型コロナウイルス対策で、県境を跨ぐ移動について自粛要請が続いています。今回の高千穂峰登山等のブログは、自粛要請以前の3月訪問の紀行です。

 

高千穂峰(たかちほのみね)の天逆鉾(あまのさかほこ)

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高千穂峰は天照大神の孫のニニギノミコト(瓊瓊杵尊)が、葦原中国(あしはらのなかつくに)を治めるために降臨(天孫降臨)したとされる山です。天逆鉾は江戸時代にはすでにあったと書物に記載があり、幕末に坂本龍馬が妻お龍と登った時、天逆鉾を抜いたことが姉乙女宛の書簡に記されています。桜島の左遠方には百名山の開聞岳も見えました。

御池(みいけ)から高千穂峰

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 高千穂峰(たかちほのみね)は、宮崎県と鹿児島県の県境にあり韓国岳(からくにだけ)に次いで、霧島連峰の第二峰、日本二百名山で、標高は1574mです。西側の火口湖、御池からの高千穂峰です。古事記の成立した8世紀、高千穂峰から南は熊襲や隼人の地でしたから、ここを降臨の地と記して周辺への影響力を誇示したのでしょう。

新燃岳と韓国岳

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 山頂から西を展望すると手前には2011年に噴火した新燃岳、奥には霧島連峰の盟主、韓国岳が聳えています。韓国岳は2018年1月に登っています。霧が出ると、ふもとからは霧に浮いた島々のように見えるので霧島連峰と呼ばれています。

御鉢(おはち)からの展望

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20時過ぎに神戸をでて福岡のSAで車中泊。昼前に登山口の高千穂河原に着いて登りました。御鉢直下や頂上直下は火山岩が散在する中の砂利の道で登りにくい急登です。中間部の御鉢の火口縁の登山道は景色もよく快適でした。

御鉢から桜島

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 御鉢は直径約600m、深さ約200mの火口をもつ円錐形の火山です。明治大正時代には頻回に噴火があり多くの登山者が亡くなったようです。御鉢は現在も火山性微動があり、気象庁が噴火警戒レベルを設定しています。

高千穂河原・古宮址(ふるみやあと)

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新湯温泉 新燃荘

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湯の峰の壺湯、燕、蔵王、八幡平の蒸ノ湯など濁り湯の名湯は数々ありますが、これぞ本物の温泉です。淡いブルーがかった純白の濁り湯で、トロトロの感触があり、ゆでたまごのいい香りがします。湯上り後の肌のスベスベ感と血行促進によるポカポカ感も最高でした。硫黄濃度が高く、長時間入浴は注意、の張り紙がありました。慢性皮膚病専用の湯船もあり、各種皮膚病に効果があるのもうなずけます。火山と向き合う新燃荘関係の方々は大変でしょうが、噴火のないことを祈るばかりです。必ず再訪したい温泉でした。

都井岬の岬馬

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日向灘の南端の都井岬の馬は「岬馬およびその繁殖地」として国の天然記念物に指定されています。江戸時代に高鍋藩が軍用馬飼育のため、放牧を始めたものが、半野生化したそうです。ちなみに高鍋藩6代藩主の次男が米沢上杉家に養子で入った上杉鷹山ですね。彼もここで馬追いに参加していたかもしれません。

弥五郎どん

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曽於市の弥五郎まつり館にある実物大の「弥五郎どん」です。弥五郎どん(殿)は、奈良時代の720年(養老4年)に勃発した「隼人の乱」で律令政府に対抗した隼人側の統率者とされています。鎮圧後に、隼人を供養する放生会が行われ、これが、毎年秋の各地の「弥五郎どん祭り」の起源のようです。奇しくも720年は日本書紀が完成した年です。球磨・曽於(クマソ)、隼人(ハヤト)のリーダーが「弥五郎どん」で、大和朝廷側の軍事力のシンボルが天の逆鉾ですね。私は「判官びいき」ならぬ「弥五郎どんびいき」を選択します。大阪の民族学博物館に行けば「弥五郎どん」に会えますよ。