神仏の山 吉野・大峯

奈良国立博物館で開催された特別展です。大峯山脈の山上ヶ岳(1719.2m)山上にある大峯山寺本堂は江戸中期の建築で最高地点にある重要文化財です。修験道の祖、役小角(えんのおづぬ 634~706)がこの地で蔵王権現を感得したことで修験道の聖地となりました。役小角はその姿を桜の木に刻み祀りました。それで桜がご神木として吉野に植えられたのです。この大峰山寺の秘仏本尊(蔵王権現立像)が山を降りて御開帳されるということで話題になりました。たくさんの蔵王権現像が展示されましたが、秘仏本尊を含めほぼ同じお姿と大きさです。撮影可能なカウンティ美術館の蔵王権現像は頭上に桜の冠飾りをつけています。
藤原道長は1007年に山上が岳に登り金銅経筒を奉納、元禄時代に発掘され、国宝「藤原道長経筒」と呼ばれています。また、2023年に発見された道長自筆の国宝「紺紙金字阿弥陀経」も修理・展示されており、丁寧な字体に感心しました。
学生の時、狼平・八経ヶ岳・釈迦が岳・前鬼を縦走したのが大峯との出会いでした。夏の神童子谷遡行や、正月の山上ガ岳・大普賢岳・和佐又山の縦走も楽しい思い出です。正月、積雪の登山道を登りきると、山上ヶ岳山上に修験関係者の姿はなく、厳かな寺院建築と純白の雪につつまれた清浄で静寂な世界に感動しました。「大峯山・大峯奥駆道」は2004年に世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に登録されています。
日本最高所野天風呂 雲上の湯

ここは最も標高が高い野天風呂です。八ヶ岳SAで仮眠し、本沢温泉登山口駐車場に移動。3時間弱歩いて本沢温泉小屋に到着。宿泊用の荷物を預け、トレランスタイルで硫黄岳を目指し、本沢温泉小屋から10分ほど山側へ登ると野天風呂です。緩やかではありますが登山道を登らないとたどり着けない秘湯です。八ヶ岳東麓の本沢温泉露天風呂の標高は2150mです。硫黄岳の幾重にも重なる溶岩壁が見えます。
高所露天風呂の2位は白馬鑓温泉(2020m)で登山口から徒歩5時間、夏季のみ営業。3位は小諸市、浅間山脈の高峰温泉(2000m)、ここは車で行けます。
八ヶ岳 硫黄岳(2760m)

本沢温泉野天風呂から1時間で稜線上の夏沢峠、さらに30分ほどで、硫黄岳の大岩壁が近づいてきました。過去の噴火や山体崩壊で削り取られた東西450m、南北1kmの巨大な爆裂火口の岩壁です。もうひと頑張りで登りついた山上は広大な台地で、大岩壁縁の中央からすり鉢状地形が撮影できました。すり鉢の底に、先ほど通過しhた本沢温泉野天風呂が、また正面には浅間山が見えています。
硫黄岳山頂からの展望

硫黄岳は南北に20km続く八ヶ岳連峰の中央に位置しています。北側には二百名山天狗岳の向こうに日本百名山の蓼科山、奥には北アルプスの峰々、左端に諏訪湖。下の写真は南側の展望で、左手前に横岳、画面中央に八ヶ岳最高峰で日本百名山の赤岳(2899m)、その右に阿弥陀岳など、南八ヶ岳の山々です。古い火山なので浸食されて険しい山容になっています。奥には南アルプスの山々が見えます。
八ヶ岳 湯元本沢温泉

建物は八ヶ岳最古の温泉宿として明治15年の創業で、内湯は掘削湯ですが赤さび色の源泉かけ流しです。温泉宿なので個室がたくさんありますが、食堂の雰囲気などは山小屋です。登山後の生ビールが最高です。
北八ヶ岳 白駒池 高見石

本沢温泉に宿泊した翌朝、登山道を降りて、車を白駒の池駐車場に移動しました。「苔の森」の木道を歩いて、標高2115mにある天然湖の白駒の池へ、さらに少しスリリングな高見石へ登ると、さきほど湖畔を歩いた白駒の池の向こうに榛名山や妙義山が見えます。白駒池周辺と奥入瀬渓流と屋久島が「苔の三大聖地」だそうです。
北八ヶ岳 高見石小屋の揚げパン

高見石小屋名物のあげパンは、きなこ、ココア、抹茶、チーズ、黒ゴマの5種類。外はカリッと香ばしく中はふんわり。コケモモジュースとコーヒーもオーダー。テラス席は多くのハイカーで満席です。小屋内のテーブル席でいただきました。
本州最南端 潮岬

天候不順の週末、山をあきらめ、晴れ予報の南紀へ行きました。本州最南端の潮岬には「望楼の芝」という芝生広場が拡がり「潮風の休憩所」があります。休憩所ではなく、資料館でした。明治から昭和にかけて串本町から多くの人々がオーストラリアの木曜島に高級ボタンの原料になる白蝶貝を求めて移住した歴史が展示されています。移民が従事した潜水は当時「世界一危険な職業」と呼ばれる過酷な作業でした。
南紀熊野ジオパークセンター

道路沿いにはジオパークセンターがあります。南紀に点在する奇岩の絶景の成り立ちが解説されています。
フィリピンプレートがユーラシアプレートに沈み込むことで、海底堆積物は陸側に強く押し付けられ、地層が褶曲した付加体となり、持ち上げられて大地となります。すさみ町の「フェニックス褶曲」が有名です。海中にある付加体上の浅いくぼみに河川が運んだ土砂が堆積した地層が前孤海盆堆積体でこれも押し上げられて大地となりました。押し付けられないので地層はまっすぐです。白浜の「千畳敷」、「橋杭岩」の周囲の海蝕棚、「滝の拝」などがこの地層です。
「海金剛」は海底火山による火成岩が地上に持ち上げられ浸食されて現在の姿になりました。また、1500万年前のカルデラ噴火による火砕流で形成された溶岩は「古座川の一枚岩」や「ゴトビキ岩」です。マグマが前孤海盆堆積泰の砂岩類岩地層の割れ目に貫入し固まった後に地上に持ち上げられ浸食されてできたのが「橋杭岩」です。
潮岬灯台

1866年(慶応2年)に英仏蘭米は江戸条約を幕府と締結。観音埼、剱埼、野島埼、神子元島、樫野埼、潮岬、佐多岬、伊王島の8灯台建設を約束し、フランス人技師により日本最初の西洋式煉瓦造の観音埼灯台が1869年(明治2年)に完成しました。
リチャード・ブラントンは、スコットランド出身の土木技術者で、明治政府に雇われて灯台26基を設計し「日本の灯台の父」と呼ばれています。潮岬灯台も彼の設計で我が国最初の洋式木造灯台として明治6年に点灯しました。この灯台は登ることが出来ます。「のぼれる灯台」は、全国に16基あります。1階は資料館になっています。
海金剛 樫野崎灯台

串本節に「ここは串本 向いは大島 仲を取り持つ 巡航船」と歌われたのも今は昔、平成11年に完成した「くしもと大橋」であっという間に島に入れます。海金剛は朝鮮半島の名勝金剛山からその名をとった、鋭く切り立った岩礁に荒波が砕け散る迫力満点の景勝地です。真ん中の写真は海金剛の東側に続く岩礁で船甲羅。明治23年にトルコ軍艦が座礁した海の難所です。下の写真はそのすぐ東にある樫野崎灯台でリチャード・ブラントンによる日本最古(明治3年)の石造りの灯台です。
トルコ記念館

1890年(明治23年)9月16日、日本を表敬訪問したトルコ軍艦エルトゥールル号がその帰路に大島樫野崎の沖合で台風に遭遇し船甲羅に座礁して沈没しました。乗員は海面を照らす樫野埼灯台へと泳ぎましたが、656名のうち587名が死亡、生存者はわずか69名でした。台風で天候不良の深夜にもかかわらず島民は全力で救助・介護をしました。悲惨な事故ですが、この救援活動がトルコに伝えられ、日本とトルコの友好関係がここに始まりました。銅像はオスマン帝国崩壊後にトルコ共和国を建国し、イスラム法を廃止するなどトルコを近代化した初代大統領、ムスタファ・ケマル・アタテュルク。彼の依頼で遭難記念碑が建立されました。トルコ記念館は1974年(昭和49年)に建設され、エルトゥールル号の模型や遺品、写真が展示され、当時の様子が解説されています。写真11の真ん中の「船甲羅」は2階の展望台からの写真です。
橋杭岩

前孤海盆堆積体、熊野層群の割れ目にマグマが貫入して流紋岩類となり地上に現れ海蝕で形成された岩脈が橋杭岩です。手前の岩は橋杭岩から崩れ落ち、巨大津波で海蝕棚上を移動した「津波岩」です。干潮時に訪問したので岩脈まで歩けました。プレートの衝突がつくった絶景です。
滝の拝(たきのはい)

古座川支流小川(こがわ)の滝の拝まで橋杭岩から車で30分です。約200メートルにわたり、橋杭岩周囲の熊野層群と同じ砂岩質互層の河床が拡がり、河水や砂礫(されき)によって円形や舟底型や壺型に侵食されたポットホール(甌穴:おうけつ)が無数にあって壮観です。左岸側に滝が後退してできた水路状の瀞(どろ)があり、奥に落差約8メートルの滝が見えます。『紀伊続風土記』では「波伊(はい)の滝」といわれ、自然信仰「タキオガミ」が名前の由来とされます。また、滝つぼで川の女神に出会った地元の侍、滝ノ拝太郎の伝説もあります。トントン釣りというアユの引掛け漁や、ボウズハゼやヨシノボリが岩肌をよじ登る様子は初夏の風物詩となっています。
勝浦漁港

マグロで有名な勝浦漁港です。「にぎわい市場」には、新鮮なまぐろを提供する食堂や土産物屋が並び、右奥が卸売市場です。休暇村に宿泊して朝食後に訪れたので「せり」は終わっていましたが、マグロはまだ並んでいました。天然生まぐろの水揚げ高は日本一とのことです。休暇村の夕食はまぐろ三昧でした。
すさみ町立エビとカニの水族館

鳥羽水族館でのジュゴン長期飼育で有名な森拓也さんが仕掛け人となり、すさみ町立となったユニークな水族館です。大小さまざまな珍しいエビ・カニがいっぱいで、水槽のタカアシガニやイセエビやカブトガニは、触ることができます。「金脈はないが人脈はある」と森前館長。新発見されたパンダ模様のヨコエビなどユニークな展示も面白く、全国の研究者、水族館、近隣の漁師、すさみ町ほかのサポーターの協力で運営されているとのことです。子供連れのファミリー層も多く、エビとカニを楽しそうに眺めている子供たちの姿もほほえましい水族館でした。
蛇塚古墳

嵐電「帷子ノ辻(かたびらのつじ)」駅から徒歩5分、古墳時代後期(600年頃)築造の全長75mの前方後円墳ですが、宅地化により墳丘は失われ、現在残っている横穴式石室は、長さ17.8m、高さ5m。石室の規模は明日香村の石舞台古墳に匹敵し、床面積で全国4位です。被葬者は渡来系氏族「秦氏」の有力者と推定されています。
福田美術館

2019年京都嵐山に開館した美術館は、松園や若冲など日本画を中心としたコレクションを所蔵し、館内の「パンとエスプレッソと・・・」では保津川と渡月橋を眺めながら、ゆったりしたカフェ時間をすごせます。奈良美智と加藤泉の作品が庭に新たに登場しておりビックリしました。
若冲の動物たち

若冲は鶏や動植綵絵など、神のごとき精密な描写が特徴ですが、ユーモラスな作品も残しています。鶏の正面顔はひょうきんで有名です。かわいすぎるへびの顔や亀(霊亀)の顔、そして構図は応挙や芦雪そっくりですが、ワルそうな目つきの子犬にはふきだしてしまいます。奈良美智の女の子の目つきを連想してしまいます。
果疏(かそ)涅槃図

若冲は錦市場の青物問屋の長男でしたが30代後半で家督を弟に譲り、画業に専念しました。彼は愛着のある野菜を主人公にしました。涅槃図は仏画の定番ですが、万物に仏が宿ると若冲はとらえていたのでしょう。この涅槃図は初公開です。
果蔬図巻と菜蟲譜(さいちゅうふ)

果蔬図巻はヨーロッパの個人が所有していましたが、2023年に福田美術館が入手し、修理を終え、展示されました。3mの長さの絹本に色とりどりの果物と野菜が描かれています。菜蟲譜は果蔬図巻の翌年に描かれ、佐野市の美術館が所有しており、重要文化財です。
果蔬図巻1

キクダイダイからトウガンまで51種類の果物と野菜が実に美しく繊細な色遣いで描かれています。動植綵絵の青物屋編ですね。
果蔬図巻2

パッションフルーツやジャックフルーツやライチと推定される果物が描かれていることに驚きました。オランダ船が持ち込んで京や江戸に届けられたのでしょうか?
描かれているものは美しいのですが、色々なことが少し気になります・・・。
嵯峨嵐山文華館 円山応挙と弟子

文化館は姉妹館と捉えていいのでしょうか。1階の常設展示は百人一首なのですが毎回見入ってしまいます。特別展では応挙と弟子や孫弟子の作品が並んでいました。上の3点は応挙です。素晴らしいとしか言えません。下は孫弟子にあたる矢野夜潮の鵜飼図です。ほのぼのとした良い絵だなあと思いました。
双ヶ岡1号墳と兼好法師旧跡

京都盆地の北側に気になる丘が2つあります。一つは船岡山。山頂には信長を祀る建勲神社がありますが、平安京が造られるとき中心線の起点になりました。そこから、金閣寺、龍安寺、仁和寺の3つの世界遺産が並び、仁和寺の南にある丘が双ヶ岡です。地質は両方とも付加体の硬いチャートです。双ヶ岡の頂上は円墳となっており、仁和寺が見えます。古墳の石室の石もチャートのようです。円墳で秦氏の首長墓なのでしょう。双ヶ岡の東麓には兼好法師旧跡があります。
京都市平安京創生館

平安京の中心線は船岡山を意識したのでしょう。現在の千本通と丸太町通りの交差点のすぐ北西に大極殿跡があり、その近くの生涯学習総合センターの中に京都市平安京創生館があります。平安京復元模型、大内裏にあった饗応施設の豊楽殿(ぶらくでん)模型、法勝寺復元模型、出土物や、食事や衣服の解説など、平安時代の平安京を視覚的に紹介するガイダンス施設です。
鴨川床

マニアックな京都巡りの締めくくりに鴨川床(かもがわゆか)に行ってみました。初めての鴨川床で創作和食のお店を予約しました。案内されて床に出ると、北側には比叡山、南側には歌舞伎座が見えます。先斗町歌舞練場の南側で四条からやや離れていましたが、日の入り前後の床で京都の情緒を味わうことができました。





