国立民族学博物館「シルクロードの商人(あきんど)語り」

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 サマルカンド近郊のカフィル・カラ遺跡から発見された木彫板には、ゾロアスター教の女神ナナを中心に供物を捧げる人々や音楽隊が描かれており、6~8世紀頃のソグド人の文化や宗教観を今に伝えています。カフィル・カラはアラビア語で「異教徒の城塞」。イスラム教徒であるアラブ人の侵攻で、カフィル・カラは8世紀初めに焼失しました。遺跡のレンガの短辺の長さは唐の1尺と一致し、唐の遺跡からはソグド隊商の俑が出土しています。安禄山の乱を起こした安禄山はソグド人でした。この特別展では現代のウズベキスタンの結婚式、楽器、刺繍なども展示されていました。

企画展「ドルポ」

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 ドルポは西ネパールのドルパ郡の北に広がる高地です。仏教僧で探検家の川口慧海はネパールのドルポを経由して当時鎖国していたチベットのラサに潜入し現地の大学で仏教を学びました。明治30年から4年間の大旅行でした。ドルポが外国人に開放されたのは1992年とのことで、今もネパール政府の特別許可証と現地スタッフ同行が義務付けられている由です。ヒマラヤの最奥地、標高4000mの高所に村々が点在する天空の秘境です。

グリルみんぱく ウズベキスタン料理

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 レストランでは特別展にちなんで、ウズベキスタンや周辺地域の名物料理が提供されていました。プロフ(ピラフ)はペルシア発祥で、アレキサンダー大王がサマルカンドを占領した時も食したそうで、羊肉をダシにして大鍋で炊き上げられます。ラグマンは麺料理で中国の拉麺はラグマン由来とのことです。インドのサモサは揚げ料理でが、ウズベキスタンのサムサはタンディール窯で焼かれます。羊肉がメインではありますが、牛肉や馬肉も食されるようです。

ミャクミャクと太陽の塔

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 夢洲の万博会場にいたミャクミャクたちは吹田の万博公園に引っ越ししていました。太陽の塔と素敵なコラボですね。

むーもん館 大平山元遺跡(おおだいやまもといせき)展示施設

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 「むーもんは狸ですか。」と聞いたら「むささびです。」と。なるほど無文土器のむーもんでムササビかと納得しました。中学生が拾った石斧がきっかけで遺跡は注目され、本格的に発掘すると、無文土器片が出土し、付着した炭化物から世界でも最古級、1万5千年前の土器片と判明しました。展示されている、石器、無文土器片、石鏃(矢じり)、石刃(ナイフ素材)などの出土品は2025年に重要文化財に指定されています。

大平山元遺跡(おおだいやまもといせき)

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 ここは津軽半島の外ヶ浜町にあり、後期旧石器時代から縄文時代草創期の遺跡です。2021年に世界遺産に登録された「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産で、1万5千年前ですから、もちろん建物や石造品などはありませんが、採集、漁労、狩猟を生業に、それまでの移住生活から定住生活に移行していく縄文再初期段階の貴重な遺跡です。

十三湖中の島ブリッジパーク

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 十三湖は「じゅうさんこ」と読み、しじみが名物、しじみラーメンいただきました。十三湊は「とさみなと」と読みます。藤原秀衡が「遠長湊」(とおおさのみなと)と命名し、それが短くなったようです。現在の十三湖は、10世紀頃には砂嘴のある内海で、そこに港が成立し、奥州藤原氏の滅亡後は安東氏(津軽安藤氏)によるアイヌや朝鮮半島や中国との貿易港として栄えます。15世紀半ば安東氏が南部氏に敗れて蝦夷地へ追いやられると、十三湊は堆積による湖化も相まって、中継港としての機能を急速に失ってしまいます。

亀ヶ岡石器時代遺跡

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 江戸時代から多くの甕(かめ:口の広い大きな壺)が出土し「亀ヶ岡文化」という言葉ができました。石器時代遺跡という名前ですが、時代は約3,000~2,400年前、縄文晩期です。明治20年に、低湿地から大型の遮光器土偶が出土し1957年に重要文化財に指定され、東京国立博物館に所蔵されています。「しゃこちゃん」の愛称で有名ですが、出土状況が不明なため、国宝指定されていないとのこと。目はイヌイットが雪中の光除けに着用する「遮光器」にそっくりですが、目を強調した表現であり、遮光器ではないというのが通説です。台地上に墓域、低湿地が祭祀場、と分離したのが縄文晩期の特徴だそうです。

鶴の舞橋

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 廻堰大溜池は江戸時代に用水源として造られ、津軽富士見湖の愛称で親しまれています。この橋は、平成3年から3年かけて青森産の「ひば」で作られました。岩木山と三連太鼓橋の絶景スポットは吉永さゆりさんが出演のJR東日本のCMでも紹介されました。

白神矢立(やたて)の温泉宿

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 NHKの新日本紀行「三重連の峠~秋田・青森県境矢立峠」で知った矢立峠。1970年に矢立トンネルが完成するまでは、急こう配の難所を3台のSLが連なり、貨車を引く雄姿を眺めることができました。番組では矢立峠周辺の温泉も紹介されていました。青森側に八甲田山、秋田側には八幡平や岩手山があり、ここの地下にもマグマがあるのでしょう。

宿泊したのは明治26年創業で以前は「秘湯を守る会」加盟の温泉宿でした。一旦廃業しましたが、「東北の草津」と言われる「硫黄」「塩化物」「二酸化炭素」を含む素晴らしい泉質を惜しむ声が強く、2017年にリニューアルオープンしたそうです。男女別の内風呂・露天風呂のほかに、数か所の貸し切り風呂があり、にごり湯三昧でした。

堀越城跡

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 鯵ヶ沢の種里城を本拠地としていた南部光信は1502年に大浦城を築城。子孫の大浦為信は、周囲の諸勢力を滅ぼすとともに、いち早く秀吉に臣従して1591年には津軽支配を認められ、津軽氏を名乗ります。1594年に堀越城に本拠を移転。この堀越城は、1611年に高岡城(弘前城)へ移るまでの17年間、初代弘前藩藩主 津軽為信の居城でした。

仏ヶ浦

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 本州最北、青森県下北半島佐井村の国名勝および天然記念物、仏ヶ浦です。青森空港から約100km、レンタカーで3時間かかりました。約400万年前、海底火山の噴火で海底に堆積してできた凝灰岩が地殻変動により徐々に上昇して地表に出現し、風化浸食を受けて奇岩となりました。緑色凝灰岩はグリーンタフと呼ばれ本州の日本海側やフォッサマグナ地域に広く分布しています。

大間崎と下風呂温泉

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 マグロ漁で有名な大間崎には「マグロ一本釣りモニュメント」があります。大間崎から東へ車で20分ほど走ると「下風呂温泉郷」です。井上靖の小説「海峡」で有名になり、作家が宿泊して「海峡」を書きあげた旅館の跡地に日帰り温泉「海峡の湯」があります。「烏賊様レース場」はイカ漁の盛んな夏の3カ月のみの開催とのことで残念でした。

恐山(おそれざん)

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 幼いころ、先祖の霊がイタコに乗り移って会話ができるとテレビで見たことを鮮明に覚えています。イタコは民間の霊能者で、今では大祭と秋詣りの時のみ、ここにやってくるとのことで、恐山円通寺とは関係ない、と「下北ナビ」に記載されています。恐山円通寺は、慈覚大師円仁により862年に開かれたとされ、10世紀頃、天台修験者が入山、戦国時代には荒廃しますが、16世紀半ばには曹洞宗円通寺として再興されます。

 活火山であり、火山岩や砂礫から噴気や源泉の湧く「地獄」とエメラルドグリーンの水面が美しいカルデラ湖(火口湖)の「極楽浜」を、昔の人は霊場と感じたのでしょう。

恐山温泉

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 本堂手前に3棟の温泉小屋があり、入山料を払って入山すると、自由に入浴できます。扉を開けると脱衣場と浴槽が見えるシンプルな小屋で洗い場はありません。かなり強い酸性、硫化水素型の超濃厚な硫黄泉で10分以内の入浴が推奨されています。後日調べると、源泉はすべて別で、宿坊の裏側にもう1棟、メタケイ酸の多い湯の温泉小屋もあるようで、素晴らしい温泉パラダイスです。宿坊には洗い場つきの内湯があるようです。

十和田現代美術館

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 旧陸軍軍馬補充部があった官庁街通りの別名は「駒街道」。色とりどりの花で覆われた1頭の馬《フラワー・ホース》が美術館の入口で訪問者を迎えてくれます。美術館の常設展は1室に1作品の構造でそれぞれの作品世界に没入できます。美術館のHPにはすべての作品についての解説があります。ナルホドと頷いたり、ワカランと落ち込んだり・・。

八甲田山雪中行軍遭難資料館

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 映画「八甲田山」で明治時代に起こった悲劇を知りました。数年前の年末年始、バックカントリー目的の城ヶ倉温泉滞在で、八甲田の豪雪を、身をもって体験しました。一晩で駐車場に停めていたレンタカーは完全に埋もれました。冬に線状降雪帯状態になれば、このような遭難が起こることは充分予想できたのではと感じます。助けを求めてだた一人麓の方向へ進み、吹雪の中で仮死状態となっても立ち続けて倒れず、捜索隊に発見されたことで、遭難場所を伝えた後藤伍長のエピソードと銅像に胸を打たれます。

善知鳥(うとう)神社

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 江戸時代、ここに善知鳥村があり、港のある北西側には小高い森があって漁師たちが「青森」と呼んでいました。津軽二代目藩主時代の藩港開発に伴い、「青森村」と改名されたことが、青森県という県名につながったとのことです。

鳥頭大納言藤原安方が流罪となり、外ヶ浜でその霊魂が善知鳥になって親鳥がウトウと鳴くと雛鳥がヤスカタと答えるという説話から、和歌や能が創作されました。

「みちのくの 外ヶ浜なる 呼子鳥 鳴くなる声は うとうやすかた」(藤原定家)

棟方志功はこの神社の近くで生まれ、能「善知鳥」の幽玄と青森の風土を融合させて、若き日の代表作、「勝鬘譜善知鳥版画曼荼羅(しょうまんふ うとう はんがまんだら)」を制作しました。青森県立美術館が所蔵しています。

浅虫水族館

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 長さ15mのトンネル水槽「むつ湾の海」にはホタテの吊るし養殖が展示されています。稚貝採苗からパールネット、籠ネット、耳吊りなど、多くの手間がかかることや、八甲田山からのミネラル豊富な水が陸奥湾のホタテを育てていることを学びました。岩木山からの清水による「幻の魚イトウ」の養殖の様子や、前日の夜に津軽三味線居酒屋で食したガサエビ(シャコ)やトゲクリガニも展示されていました。

三内丸山遺跡

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 県営野球場建設の事前発掘が始まって2年後の1994年7月に直径2mの巨大な柱跡と直径1mのクリの柱が六文銭の形で出土し、縄文時代に高層建築物があったのかと大変な話題になりました。長さ32mの大型竪穴建物も稀有です。年代は5,900年前から4,200年前で温暖な縄文海進の時期であり、遺跡の北側はすぐ海でした。タイやマグロの骨が出土し、それらを漁で採っていたこと、クリを栽培していたことも明らかになりました。

三内丸山遺跡の重要文化財

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 縄文中期ですから土偶はまだ素朴な形態です。糸川産の大きなヒスイや北海道や長野からもたらされた黒曜石の矢じり、動物の骨や角を加工した釣り針や針、縄文ポシエットと呼ばれる網籠など「時遊館」に美しく展示されています。

青森県立美術館

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 シャガールによるバレエ「アレコ」のための巨大な舞台背景画、「あおもり犬」はじめ奈良美智のコーナー、成田亮の「ウルトラマン」、棟方志功の「勝鬘譜善知鳥版画曼荼羅(しょうまんふうとうはんがまんだら)」「花矢の柵」など、感激の美術館です。

奥入瀬渓流ホテル

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 十和田火山カルデラ湖の外輪山の一角が崩れて大洪水となり、溶岩台地が削られてできたU字谷が奥入瀬渓流です。約14キロにわたって、急流と穏やかな流れが連続し、車道と遊歩道が並走しています。渓流の最下部に拡がる平坦地にホテルはあります。館内の東西2か所のラウンジに岡本太郎の大暖炉「森の神話」と「河神(かがみ)」があります。

十和田八幡平国立公園

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 GWの最終日は晴天に恵まれました。上の写真は、七戸町営石倉山放牧場からの八甲田山。真ん中は、御鼻部山展望台からカルデラ地形の十和田湖と遠方に左から岩手山、八幡平、森吉山。下の写真は、奥入瀬渓流の有名な景勝地「阿修羅の流れ」です。

ねぶたの家 ワ・ラッセ

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 青森駅前にある、ねぶた祭りの歴史や魅力を体感できる施設です。「笑い」+「ラッセラー」から「ワ・ラッセ」だそうです。素晴らしい人型の大灯篭はいつごろから始まったのでしょう。享保7年(1722年)、五代藩主が弘前ねぷたを見物したとか、文化年間(1804~)に、ねぶたが大型化し、人形ねぶたが創案されたとか、天保13年(1843年)に記された旅行記に、能代の七夕祭りで「ねむたながし」という高さ3丈(10m)の神功皇后や加藤清正の人形灯篭を地車でひいている、とあるそうです。左下は、棟方志功による、「港まつりねぶた」のポスターです。

特別展「北野天神」

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 京都国立博物館4/18-6/14の特別展です。国宝絵巻といえば、源氏物語、鳥獣人物、伴大納言、信貴山縁起、平治物語・・・たくさんありますね。「北野天神縁起絵巻(承久本)」(京都・北野天満宮蔵)については、認識していませんでしたが、巻第六の「宮中清涼殿落雷」は教科書や歴史資料集で見たことを思い出しました。道明寺天満宮所蔵の国宝「伝菅公遺品」にも驚きました。9世紀後半の櫛、ベルト、硯、文房具としての刀子、牙笏など、天神信仰のおかげで、千年以上も守り伝えられたのです。

源氏の重宝

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歌舞伎の助六では曽我五郎が源氏の重宝「友切丸」を探します。源頼光が酒呑童子を退治した刀は「鬼切丸」など、聞いたことがあります。さて、源満仲が作らせた刀は「髭切」と「膝丸(膝切)」でこれらが源氏の重宝です。北野天満宮と大覚寺に伝わる「髭切」と「膝丸」が、この展覧会では並んで展示されています。

北野天満宮所蔵の「太刀 銘安綱」は、最初の名前が「髭切」、後に渡辺綱の「鬼切丸」。一条戻り橋で空中へと掴まれたが、茨木童子の腕を切って無事に北野天神に落下したというお話。その後、頼朝から新田、斯波、最上家を経て、北野神社に奉納されました。

もう一つの太刀は、大覚寺所蔵の「膝丸・薄緑」。源満仲所有時は「膝切(膝丸)」、その後、源頼光が土蜘蛛を切ったので「蜘蛛切」、為義の時に熊野別当へ、後に、義経が熊野別当から贈呈され、熊野の山の色から「薄緑」、義経が箱根権現へ寄進して、曽我兄弟が手にしたときは「友切」、敵討ちの後、頼朝へ。田原氏や西園寺家をへて大覚寺へ。

ところで、為義が熊野別当に蜘蛛切を贈呈したときに、似せて作ったのが「友切」、これは義朝へ伝わり平治の乱に敗れたので「髭切」に変名、頼朝に伝わったという話もあります。これは為義の「髭切」ですが、最初の名前が「友切」です。

鴨川踊り

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 京都国立博物館から文化博物館への移動で久しぶりに先斗町を歩くと、鴨川踊りが開催されていました。当日券もあると聞いて、先斗町の歌舞練場に入ってみました。こちらは尾上流、みなさんよく稽古されていることが伝わってきます。舞妓さんの衣装はあでやかで京都の春を感じます。これで五花街の「踊り」をすべて鑑賞できました。

「原安三郎コレクション」と「令和8年新指定 国宝・重要文化財」

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 京都文化博物館の特別展は、北斎と広重の浮世絵です。ベロ藍を最初に使用したのは北斎。広重ブルーと称賛されたのは広重。北斎は面白い構図や人々の表情に驚かされます。広重の風景画はひたすらに美しく上品です。総合展示の「京の歴史」はリニューアルされていて楽しめました。総合展示室では「新指定・・・」が開催中で、「論語疏(ろんごそ)巻第六」「富本銭」「足利義輝像」など、大変貴重な「おたから」を拝見できました。

乗鞍岳(富士見岳)バックカントリー

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 5月になると乗鞍の雪解けがすすみ、乗鞍高原から位ヶ原山荘まで、アルピコ交通の春山バスの運行が始まります。朝8時半出発のバスはバックカントリーやアイゼン装着の登山客をバス3台で運んでくれます。春の乗鞍岳は2回目です。日差しのせいでYAMAPの地図が見えず、南西に進むべきところを西に進んでしまい乗鞍岳山頂部ではありますが富士見岳そばの稜線直下の雪渓を登ってしまい、急傾斜に冷や汗をかきました。

乗鞍岳(富士見岳)スキー滑走

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 最後には足がつってしまい、ここから夏道を、スキーをかついで乗鞍岳山頂へ歩いていく体力も気力もありません。この日は景色がよく、北東側には穂高連峰、東には美ヶ原や遠くには浅間山が見えました。最終のバスで帰るつもりでしたが、景色に満足し、12時過ぎのバスで帰ろうと予定を変更。スキーのシールを剥がして滑走モードに切り替え、震える足で登ってきた雪渓と裾野の雪面を位ヶ原山荘まで滑り降りました。右中の写真にはシュプールが写っています。大自然の雪斜面をスキーで滑走する爽快感は例えようもなくやみつきになってしまいました。乗鞍岳とアルピコ交通に感謝でいっぱいです。

乗鞍高原と乗鞍自然保護センター

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 予定より早く降りてきたので、カフェでアイスクリームを食べ、自然保護センターでライチョウや温泉や昔のスキーの展示をみました。お待たせしていた山の神を、乗鞍溶岩の末端崖にできた善五郎の滝と展望スポットのどじょう池にご案内しました。

白骨温泉

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 乗鞍高原から車で20分の白骨温泉です。かつては「白船(しらふね)」と呼ばれていましたが、中里介山が小説「大菩薩峠」で「白骨温泉」と記して、こちらが定着したそうです。炭酸カルシウムが豊富に含まれ、源泉は無色透明ですが、空気に触れると乳白色に変化します。浴槽の周囲は、鍾乳洞の千枚皿のような美しい模様になっています。

飛騨古川

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 翌日、飛騨古川に立ち寄りました。室町初期、南朝方の姉小路氏と北朝方の京極氏が対立しますが、京極家臣の三木氏が下剋上で飛騨を統一。しかし秀吉と対立し、金森長近に滅ぼされ、飛騨一国は金森氏の領地となります。長近は、高山に高山城、古川に増島城が築かれ、城下町も整備されます。江戸時代中期に始まった古川祭はユネスコの無形文化遺産などに登録されています。屋台やからくり人形や飛騨の匠の展示館があり、町を歩けば、瀬戸川と白壁土蔵、登録有形文化財に指定されている酒蔵など、昔ながらの町並みにゆったりとした時間が流れます。

三嶋和ろうそく店

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 私が飛騨古川を知ったのは、NHK連続テレビ小説「さくら」でした。主人公の下宿先のモデルがこのろうそく店です。撮影はこの店そっくりのロケ家屋で行われたそうです。

ドラマで紹介されている三寺まいりの巨大ろうそくも店内にありました。手作りの和ろうそく屋は全国で20数軒ほどあるそうですが、すべての工程を手作りでしているのは「三嶋ろうそく店」のみとのこと、仕事場や商品のろうそくに職人の心意気を感じます。