対馬の白嶽
対馬の白嶽、標高は518mにすぎませんが、山頂からは360度の大展望。北側には、双耳峰の雌岳が眼前に、奥にはリアス式海岸の浅茅(あそう)湾が見えます。雌岳岩峰の左下部には白嶽神社奥社の鳥居が、正面、浅茅湾手前に金田城の城山が小さく見えています。
山麓から白嶽
登山口の手前の州藻集落には白嶽神社があり、正面やや左が白嶽です。白く輝く2つの石英斑岩の岩峰は麓や周辺の海からもよく見えるので、古くから信仰の対象となり、山岳修験の霊山であり、九州百名山の1座でもあります。手つかずの原始林は天然記念物です。
岩のテラスから
厳原から登山口までは車で30分、山頂までのコースタイムは登り1時間半、下り1時間です。山頂手前から右へ、脇道に入ると展望のよい台地状の「岩のテラス」に出ます。左が雄岳、右が雌岳で、一般コースとして登れるのは左の雄岳です。冒頭の写真は左の岩峰の上から右側の雌岳を眺めた写真です。
鞍部から雌岳
岩のテラスから鞍部直下に戻り、鞍部を越えて反対側から雌岳を眺めます。祠の左奥、岩の割れ目の手前に白嶽神社奥社の鳥居がありました。
鞍部から雄岳
雄岳方向には祠が二つ、手前が地蔵菩薩、奥が不動明王のようです。正面奥に見えている岩峰が雄岳で白嶽山頂となります。
雄岳と雌岳
前の写真の雄岳の左の肩の奥まで登って振り返ります。右側に雌岳が見えてきました。ここから時計回りに雄岳に登っていきます。
雄岳から雌岳
急傾斜の岩壁をよじ登り、最後に3mほどのほぼ垂直な壁を3点確保で登ると雄岳の山頂に到着しました。山頂は6畳ほどの広さで圧倒的な高度感です。左に青いテープで囲まれているところに三角点がありますが怖くて近寄れませんでした。
金田城壁石垣
西暦663年、倭国は朝鮮半島の白村江で唐・新羅連合軍に惨敗します。667年、中大兄皇子(天智天皇)は防衛の最前線として朝鮮式山城の金田城(かなたのき)を築城し、防人に守らせました。総延長2.8kmの石垣と建物の柱穴跡が残る日本最古級の城址は国指定の特別史跡、続日本百名城です。
城山の砲台跡
対馬の下島で浅茅湾の南側にあるこの城山(275m)は戦略的に重要な場所なのでしょう。飛鳥時代に金田城が築かれた城山の山頂部には明治政府が日露戦争に備えて建設した砲台跡があります。
城山から浅茅湾
登山口から25分で石垣、さらに30分で砲台跡、さらに10分で城山山頂(標高275m)に到着です。浅茅湾は西側に開いており、空気の澄んだ日には韓国の山並みを見ることができるそうです。南側には白嶽が見えます。
二ノ城戸城門跡
城山の陸地側は天然の要害で城壁は東の浅茅湾の海岸線に面して南北に延びており、3か所の城門があります。二ノ城戸は残存状態がよく良好に復元されています。
大吉戸(おおきど)神社
金田城の北側で浅茅湾に面している場所に大吉戸神社があります。901年に完成した日本三代実録に記載されている古社です。吉戸は城戸の転訛でしょう。浅茅湾はシーカヤックが盛んで、シーカヤックでここに上陸して城を探訪するツアーが人気です。
烏帽子岳から浅茅湾
上対馬の烏帽子岳には山頂部に展望台があり、浅茅湾を北側から眺めることができます。浅茅湾は溺れ谷という地形で川が流れ込む入り江には集落と港(津)が形成され、津が多いことから津島、転訛して対馬となった由です。白嶽や城山も見えます。
日露友好の丘
上対馬の比田勝の東側の殿崎、この沖合の対馬海峡で日本海海戦がありました。海戦100周年を記念し2005年にレリーフが建立されました。負傷したロジェストベンスキーを東郷平八郎が見舞っています。反対側にはロシアが建立した慰霊碑もあります。
韓国展望台
対馬の最北端に韓国をイメージした展望所があります。右側の海栗(ウニ)島には自衛隊の基地があります。正面左が釜山で距離はわずか49.5km、空気の澄んだ日には街並みが見えます。
姫神山砲台跡
対馬には砲台跡が31か所あります。この砲台は下対馬北東の対馬海峡を見下ろす山中に明治34年に造られました。手前にはレンガ造りの弾薬庫も良好に残っています。天空の城ラピュタのような雰囲気です。
和多津美神社
浅茅湾の北側の入り江の奥に鎮座する神社です。祭神は彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)=「山幸彦」と妻の豊玉姫命(とよたまひめのみこと)です。失った釣り針を探しに来た山幸彦はこの龍宮の地に来て3年滞在しました。入り江の2基の鳥居は満潮時には下部が海中に沈み、干潮時には基部まで姿をあらわします。
宗助国公騎馬像
厳原町西岸の小茂田浜は元寇の古戦場で、ここで元軍を迎え撃ち全滅した宗助国の騎馬像や彼を祭神とする神社、説明版があります。
椎根の石屋根
板状の石で屋根を葺いた高床式の倉庫で対馬でしか見られない珍しい建築物です。屋根石は対馬で採れる頁岩で長崎県指定の有形文化財です。米・麦・雑穀・衣類・什物などの物品の貯蔵庫です。
対馬藩お船江跡
対馬藩の御用船を係留した船溜まりで、船の修理や造船も行われました。1663年の造成で、4基の突堤と5つの船渠が見えます。鎖国の江戸時代、平戸の出島が有名ですが、厳原のこの地も朝鮮貿易と朝鮮通信使の往来に使用され、江戸時代の港として貴重な遺構です。
対馬朝鮮通信使歴史館
以前、滋賀の雨森(あめのもり)芳洲庵で朝鮮通信使について解説を読みました。厳原の金石城の南隣、通信使が滞在した場所にこの歴史館はあり、歴史や貿易や文化交流のみならず、「誠信の交隣」に代表される両国の優れた古の外交官の思想に触れることができます。
ツシマヤマネコ
絶滅の危機に瀕するツシマヤマネコは推定生息数100頭ほどですが、保護政策が効を奏し、目撃情報や目撃範囲が増えているそうです。対馬北西部にある野生生物保護センターはヤマネコがコロナに感染することから閉館中で見学できませんでしたが、京都動物園が展示と繁殖に取り組んでおり、生態や繁殖の現状を学ぶことができます。
対馬博物館
建築中の新しい対馬博物館は4月30日開館予定でした。かわりに、観光情報館で歴史やツシマヤマネコ等の生物や金田城の展示を見ることができました。また、峰町歴史民俗資料館や豊玉町郷土館で、土器、銅矛、ガラス玉など魏志倭人伝の時代の遺物を見学しました。