利尻山山頂

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北海道の北西端にある利尻島、その利尻山(標高1721m)の山頂です。日本百名山98座目となりました。山頂には利尻神社奥宮が鎮座し、漁や航海の安全を祈願して船のプロペラが奉納されています。神社は東面しており、西側は雲海でした。

長官山から利尻山

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4時にホテルを出てレンタカーで鴛泊コース登山口の北麓野営場へ。4時半に登り始め6時半に長官山(標高1218m)に到着。某長官がここ8合目まで登ったので長官山だそうです。鬼脇集落に続く左の東稜は風化浸食が目立ちます。7月下旬、雪渓が残っています。

9合目のお花畑

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写真2の右稜線を1時間少々登ってきました。9合目を越えて山頂は目の前です。左側斜面はお花畑です。白いのがエゾシシウド、薄紫はイブキトラノオ、黄色はバイケイソウです。

リシリヒナゲシ

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さらに登ると火山の砂礫地が現れ、固有種のリシリヒナゲシと思われる黄色い花が咲いています。我が国唯一のケシ科ケシ属で利尻山頂近くの砂礫地のみに生える貴重な花です。ちなみに島の平地の花壇などに咲いているそっくりな花はチシマヒナゲシとのことです。

9合目からの展望

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お花畑を見下ろします。左上部に鴛泊港、その右に姫沼。Youtubeで見ることのできる利尻山でのバックカントリーはこの斜面のように思います。私にも滑ることはできそうですが、登山口からの標高差は1500mで、ここまでスキーをかついで登るのは大変そうです。

山頂から北東側

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登山口から3時間半、8時に登頂。山頂部の西側に神社があり、ご神体が眺めているのはこの東側の景色です。島全体が利尻山火山で山頂からは360度の展望です。ほぼ円形の島の海岸線が弧を描いています。雲海の下は北海道の稚内やサロベツ原野と思われます。

山頂から南側

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利尻山は双耳峰で左の南峰は1723mで最高峰なのですが、浸食により危険で立ち入り禁止となり、神社のある北峰が利尻山頂とされています。右側はロウソク岩で利尻火山の旧火道とのことです。南側は一面雲海です。山頂を満喫して8時50分に下山しました。

シマリス

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10時20分に長官山を通過、さらに樹林帯を10分下ったところで、私の5mほど先にシマリスがいました。トムラウシ山、後方羊蹄山(羊蹄山)、大雪山系の黒岳に続いて4匹目のシマリスさんです。登山道の土の地面を好む性質があるようです。

登山道のシマリス

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くるりと回転して向こうへ走りましたが、さらに5mほどのところで石に上ってポーズをとってくれました。このあと、さらに下方で別のシマリスにも会えました。

日本百名山ひと筆書き

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利尻富士町の富士野園地はアドベンチャーレーサー田中陽希が2014年に実施した日本百名山ひと筆書き・完全人力踏破(交通機関を一切使わず、海はカヌーで渡り、山と山の間もすべて歩く)のゴール地点です。正面は利尻山、左には鴛泊港のペシ岬が見えます。

沓形岬から利尻山

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私が利尻に滞在した7月下旬、陽希さんは今回、日本三百名山ゴール直前、しかし沓形岬へのゴールは8月2日、会えず残念でした。「島全体が一つの頂点に引きしぼられて天に向かっている。こんなみごとな海上の山は利尻岳だけである」(深田久弥 日本百名山)

左の歌碑「出船の港」は利尻出身の時雨音羽の作詞、スイッチを押すと吾等のテナー藤原義江による歌唱が流れます。作曲は中山晋平で、初めて聞いた時の感銘を思い出しました。

利尻昆布と利尻山

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利尻と言えば利尻昆布。1周60kmの外周道路沿いに小砂利を敷いた昆布干し場が点在しています。写真で左下から右上へ帯状に並んでいるのが干されている昆布です。この昆布だしのきいた利尻ホタテラーメンや、新鮮なウニは美味でした。

「伊豆の踊子」執筆の部屋

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4年前に百名山の天城山を登った時、旧天城トンネルに立ち寄り、「伊豆の踊子」の冒頭の文章に心打たれました。検索すると川端康成が伊豆の踊子を執筆したのは湯ヶ島温泉の湯本館とわかり、訪問しました。この4畳半の南東角部屋が執筆の部屋です。

下田港内を航行するサスケハナ

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天城越えをして下田へ行きました。日米和親条約のために下田に来航したペリーが乗船していたのはポーハタン号ですが、観光船はペリーが最初に浦賀に来た時のサスケハナ号です。桟橋の対岸の弁天島は松陰と重之輔が小舟を漕ぎだしたところです。

吉田松陰と金子重之輔

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小さい櫓船を漕いで米艦に近づいた松陰と重之輔は乗船を拒まれ渡米できず自首。鎖国の掟破りの罪で松陰は萩の野山獄に、足軽の金子は風雨にさらされる岩倉獄に収監され病没。

日本を守るため西洋に学びたいという優れた若者を守れなかった大人の責任を思いました。

下田バーガー

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道の駅「開国下田みなと」1階のハンバーガーショップは、金目鯛バーガーが有名ですが、おすすめのカジキバーガーをオーダー。安心安全のテラス席で、大きくておいしいバーガーを二人がかりで食べました。4階のミュージアムでは下田の歴史が学べます。

戸田(へだ)造船郷土資料博物館

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プチャーチンはディアナ号で下田に入港。日露和親条約を結びますが、津波でディアナ号は損傷し、伊豆半島西側の戸田港へえい航中に沈没。韮山代官江川英龍(ひでたつ)の監督で日本初の洋式帆船が建造され、プチャーチンはヘダ号と名付けロシアに帰還します。奥には、深海魚博物館が併設されておりココリコの田中さんによる解説がとても面白かったです。

修禅寺

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空海の創建、門前には独鈷の湯。その隣の新井旅館で岡本綺堂は修善寺物語を書きました。7年前、初めて歌舞伎座に行った時、中車の夜叉王で修善寺物語を観ました。玉三郎と海老蔵の天守物語も・・・。宝物館には頼家の仮面(舞楽面)や肖像画があります。

指月殿(しげつでん)

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頼家は愛妾若狭局の比企一族と組むも、北条氏により修禅寺に幽閉され入浴中に暗殺されます。母の政子は、息子の菩提を弔うために指月殿を建立します。指は経典、月は仏法。左奥には頼家の墓があります。信長や家光など母が次男に肩入れする例は多くありましたね。

蛭ケ小島

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源頼朝が流された伊豆の蛭ケ小島です。どんな小島かと思えば韮山代官屋敷や韮山城のそばで、三島にも近く、伊豆の要衝でした。中州や微高地という記載も。頼朝と政子の視線の先は富士山です。来年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、大泉洋と小池栄子ですね。

願成就院

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政子の父、北条時政が奥州征討の成就を祈願して創建した願成就院です。宝物館には運慶作の国宝仏が、敷地内には時政の墓があります。時政は坂東彌十郎が演じますね。なお、戦国時代初期に、後北条氏の祖、北条早雲に滅ぼされた堀越公方足利茶々丸の墓もありました。

北条義時夫妻の墓

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政子の弟で、鎌倉幕府第2代執権、北条義時の屋敷があったと言われる江間の北条寺の敷地にあります。義時は若い時、江間の小四郎と呼ばれていました。「鎌倉殿の13人」の主人公で小栗旬が演じますね。義時の墓は鎌倉にもあり、ここは故郷の墓となります。

韮山反射炉

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幕末に韮川代官江川英龍が幕府に提言し建設開始、彼の死後、子の英敏が佐賀藩の協力を得て完成させ、カノン砲や野戦苞が製造されました。炉内部の溶解室天井に炎熱を反射させて鉄を溶かす構造なので反射炉と名付けられました。産業革命遺産として世界遺産登録されています。江川英龍の業績は江川塾、台場建設、ヘダ号造船、種痘実施など多岐に及びます。