ダイヤモンド富士
日の出のダイヤモンド富士です。道の駅「朝霧高原」で仮眠して本栖湖畔の竜ヶ岳登山者駐車場に午前5時に移動。ヘッドランプをつけて2時間かけて竜ヶ岳へ登りました。
竜ヶ岳から富士山
竜ヶ岳は富士五湖の一つ「本栖湖」の南岸にそびえる標高1,485mの山で、山梨百名山です。登山口からの標高差は600mほどで、ハイキング道はよく整備されています。間近に富士山や青木ヶ原などを望むことができます。
本栖湖からの富士山
本栖湖畔からの「千円札の富士山」です。右側の山が竜ヶ岳です。
根場(ねんば)からの富士山
富士五湖の一つ「西湖(さいこ)」のほとりにある観光施設「西湖いやしの里根場」からの富士山です。根場集落は昭和41年の台風による土石流で消滅したと復元された茅葺民家の中の砂防資料館に解説がありました。他の茅葺民家は染物や陶器などの工房や食事処となっています。
富士山レーダードーム館
かつて富士山頂にあった測候所のレーダードームが移設された、気象観測について学べる富士吉田市の施設です。レーダードームの設置がプロジェクトXの初回放送で取り上げられていたのは知っていましたが、建設の責任者が新田次郎だったことに驚きました。
クニマス展示館
かつて秋田県の田沢湖のみに生息していたクニマスは田沢湖では絶滅してしまいました。ところが、1935年に田沢湖から西湖に放流されていたクニマスが2010年に再発見されました。クニマスを生き残らせた西湖の水質は青木ヶ原樹海をとおってきた湧水であり富士山の賜物です。
身延山から富士山
本栖湖から日蓮宗総本山身延山久遠寺へ移動し参詣しました。奥の院のある身延山山頂へはロープウェイで登ることができます。富士山の手前に富士川と身延の町、右側には駿河湾と伊豆半島を眺めることができました。
ヤマトタケル その愛と死
本年は日本書紀編纂1300年でした。三重県の亀山市歴史博物館では上記の企画展が開催されていました。亀山市には日本武尊終焉の地である能褒野と能褒野王塚古墳があります。
ヤマトタケル-もうひとつの墓-
隣の鈴鹿市の考古博物館では上記の特別陳列がありました。本居宣長は古事記や延喜式の記載から「ヤマトタケル」の墓は白鳥塚であると主張し、明治初期まで、この考えが主流でした。
白鳥塚古墳
全長92m、5世紀前半の帆立貝式古墳です。ヤマトタケル伝説の最期の部分が、とあるエピソードを反映しているとするならば、皇子の現地墓として矛盾はないでしょう。宮内庁が日本武尊陵と指定している能褒野王塚古墳は4世紀末の前方後円墳であり、地域首長の墳墓の可能性が高いでしょう。
田中城址
滋賀県高島市の山城址です。熊本藩米田家に伝わる医学書「針薬方」に明智十兵衛高嶋田中籠城之時という箇所が発見され話題となりました。また「信長公記」にも、金ヶ崎の退き口の際の織田信長の宿泊記録があり、西近江の要地であったことがわかります。本丸跡からは高島市街や琵琶湖が見えます。
白髭神社
垂仁天皇の皇女倭姫命(やまとひめのみこと)の創建で猿田彦命がご祭神、長寿の猿田彦の白髭が御社名の由来。瓊瓊杵尊の道案内をされた導きの神でもあり、延命長寿・攘災招福のご利益があるそうです。湖上の鳥居は近江の厳島と呼ばれています。立派な古社があるのは高島が古代から重要な地域とみなされていた証なのでしょう。