清里より斜里岳
美しい独立峰です。斜里(シャリ)はアイヌ語で「葦が生えているところ」で、交易港である場所の特徴がわかります。斜里の山だから斜里岳はニホン人がつけた名前。アイヌの人たちはオンネヌプリ(大きい山)と呼んでいたようです。
斜里岳への沢沿いの「旧道」コース
雌阿寒岳に登って川湯温泉に宿泊した翌朝、道東百名山の旅の4日目です。1時間のドライブで登山口へ移動、8時20分に歩き始めました。沢を登っていくコースで、少年時代によく歩いた裏六甲の地獄谷や石楠花谷を思わせます。沢歩きになれない人はてこずるかもしれません。次から次へと小さい滝があらわれる涼しく楽しいコースでした。
斜里岳神社より山頂
2時間半で馬の背という稜線へでると南北の眺望が開け、急登をのぼると山頂は目前です。白い小さな祠は斜里岳神社です。昭和10年の創建でオオヤマツミとアメノミクマリが御祭神とのことです。山頂をご神体に漁業と農業の神様を祀ったのですね。
斜里岳山頂
11時半に登頂しました。斜里岳1,547m、日本百名山90座目です。登山口の清岳荘からの標高差は880m。ちょっと手ごわい沢歩きと後半は急登の連続で結構ハードなコースでした。後方には全国農村景観コンクール特選20選に選ばれた清里の美しい農地が見えます。
斜里岳より阿寒・摩周
南側の眺望です。左から摩周湖、中央にうっすらと雄阿寒岳・雌阿寒岳、右に屈斜路湖。
斜里岳から知床・国後
北側は、左から中央のなだらかな山が海別岳、左奥が知床連山、右の雲海の上に国後島。
熊見峠から斜里岳
下山は新道コースと呼ばれている旧道の南側の尾根につけられた快適な道です。南側から仰ぎ見る斜里岳は別の表情でした。溶岩ドームが3つ見えて、中央が斜里岳山頂です。下りは2時間弱でした。
翌日、台風でフライトが危ぶまれましたが、釧路から羽田、そして伊丹へと予定通り無事に帰神できました。
特別展「三国志」
国立東京博物館です。展示室では、NHK人形劇の、曹操、劉備、孫権の人形がお出迎え。写真の関羽像は明時代の像ですが、奥へ進むにつれ、劉備の先祖とされる中山靖王・劉勝の満城漢墓遺物などなど、三国志に関連する考古遺物等がズラリと並んでいます。
魏武王(曹操)の石牌(せきはい)
曹操は、横山光輝『三国志』や「レッドクリフ」では悪者ですが、王欣太『蒼天航路』では英雄です。劉備や孫権は豪族の利益を代表しているにすぎませんが、曹操は黄巾軍を傘下に入れる、屯田制を導入する、求賢令を出すなど、庶民の生活を保障する政治を実行しました。今回の特別展のハイライトは2009年に発見された曹操高陵の遺物です。曹操高陵の決め手となったのがこの石碑、魏武王が常に用いるところの虎をも打ち取る大戟、一級文物。発見した人は魏武王という文字を見てどんな気持ちだったでしょう? 感激しました。
曹操高陵出土の白磁
墓に金銀財宝を副葬してはならぬという曹操の遺言は有名ですが、曹操高陵の出土物で最も高価なものが世界最古のこの白磁です。愛用の酒壺に違いないと私は思うのですが。
對酒當歌 酒に對して当に歌ふべし
人生幾何 人生 幾何ぞ
何以解憂 何を以てか憂ひを解かん
惟有杜康 惟だ杜康(=酒)有るのみ
「短歌行」(曹操)より
しょうけい館
東京九段下に池波正太郎ゆかりの寿司屋を訪ねたのですが、その向かいに「しょうけい館」はありました。戦傷病者とその御家族の体験された労苦を承継するための戦傷病者資料館で国立の施設でした。出征、負傷、搬送、帰還後の労苦など、写真・ジオラマ・義足の実物など胸に迫る展示内容でした。多くの人に知ってほしい資料館です。