ヒマラヤの青いケシ

ヒマラヤの青いケシ

六甲山高山植物園の「ヒマラヤの青いケシ」です。ケシ科ではありますがモルヒネを含むアヘンがとれるケシではなく、「ブルーポピー」です。標高3,000~5,000mのヒマラヤ・中国奥地などが原産。日本での栽培成功は数か所、6月初旬、ちょうど見ごろでした。

比婆山(ひばやま)

比婆山(ひばやま)

テレビでイザナミの御陵のある山として紹介されていたので登ってみることにしました。広島県北部、立烏帽子登山口駐車場から20分ほどで「池ノ段」(1,279m)の山頂、360度の大展望です。北側に比婆山、咲いているのはレンゲツツジです。

古事記の冒頭部分に、「伊邪那美の神は、火の神を生みたまひしに因りて、遂に神(かむ)避(さ)りたまひし。・・・中略・・・、出雲の国と伯伎(ははき)の国との堺なる比婆の山に葬(おさ)めまつりき」とあります。

比婆山御陵

比婆山御陵

「池の段」から50分で比婆山山頂(1,264m)に到着。山頂部は樹木に覆われた広い平坦地で展望はありません。小さな社の右奥が伊邪那美の「御陵」です。山の北側は「たたら」で有名な奥出雲、火の神の母として、また出雲を黄泉の国とみて、出雲と伯耆の境界に葬られたとされたのでしょうか?島根県の安来市にも比婆山と神社があり、「真の比婆山」論争はこれからも続きそうです。

神籬磐境(ひもろぎいわさか)

神籬磐境(ひもろぎいわさか)

中央の巨石が磐境であり伊邪那美の墓石とされています。周囲は栂(ツガ)の巨木に囲まれています。ツガは字のごとく母なる木で、御神木として神社によくみられ、イチイ(一位?)とも呼ばれます。神籬としてのイチイは巨木であり、信仰の年月を実感できます。

帝釈峡の雄橋(おんばし)

帝釈峡の雄橋(おんばし)

比婆山登山のために帝釈峡の旅館に前泊して、早朝に帝釈峡を散策しました。帝釈川の浸食作用によって形成された石灰石の天然橋。鍾乳洞の地底川の侵食で洞門が大きくなり天井部分が落盤し、一部分だけが橋状に残された素晴らしい造形、天然記念物です。

寄倉岩陰遺跡

寄倉岩陰遺跡

帝釈峡の石灰岩地帯には,旧石器時代の岩陰・洞窟遺跡が多数分布しています。この寄倉岩陰遺跡は,縄文時代から鎌倉時代までの遺物を出土しており、とくに縄文早期から晩期にいたる各種の遺物が,きちんとした層序をなして出土し、時代考証の標準遺跡として、また、縄文晩期の多数の埋葬人骨の出土でも有名です。

帝釈峡の時悠館

帝釈峡の時悠館

帝釈峡遺跡群の出土遺物のほか庄原市の自然・民俗の総合展示施設、時悠館。企画展「知られざる比婆山信仰の世界」開催中でした。神話を考古学の観点から読み解く古代学は森浩一の提唱ですが、比婆山信仰を「四隅突出型古墳」や「たたら」等の総合的アプローチから解明を試みる興味深い展示でした。

熊野古道の牛馬童子

熊野古道の牛馬童子

熊野古道の中辺路です。駐車場から20分くらい歩いて牛馬童子に到着。牛と馬にまたがる僧服の石像は、延喜22年(922)に熊野御幸を行った花山法皇の旅姿。実は、石像は明治時代に作られたものだそうです。牛と馬は「阿弥陀仏」の両脇侍である「観音菩薩」「勢至菩薩」の化身、つまり阿弥陀三尊像というわけです。右側は役行者像です。

ギンリョウソウ

ギンリョウソウ

綺麗なのか、不気味なのか、小さな森の妖精か、それとも真っ白いお化けか?「ギンリョウソウ」は葉緑素を持たず、地下の菌から栄養をうばって生活している腐生植物です。別名は「銀竜草」。中国では、「水晶蘭」ともいうようです。熊野古道に咲いていました。

棚田百選 あらぎ島

棚田百選 あらぎ島

和歌山県清水町のこの棚田は有田インターから車で30分ほど。熊野古道の帰路に立ち寄りました。有田川が大きく湾曲した場所に扇状に広がっていて、島のよう。能登の白米千枚田か、それともこのあらぎ島か、日本の棚田で1,2位を競う素晴らしい景観です。

セヴィリアの理髪師

セヴィリアの理髪師

ボローニャ歌劇場大阪公演「セヴィリアの理髪師」を鑑賞しました。フィガロ役「ガザーレ」の「おいらは町の何でも屋」はもちろん楽しかったのですが、軽い声のテノーレ・レッジェーラでフローレスと双璧と称えられるシラクーザが凄かった。最終盤に歌われるベルカントの超難曲「もう逆らうのをやめろ」は鳥肌が立ちました。拍手が数分間鳴りやまず、これまでテレビでしか観たことがない感動的ライブを体験できました。ボローニャ歌劇場の設立は1763年、伝統のオケはこれぞイタリアというお洒落なサウンドでした。