(1)安達太良山の「ほんとの空」
「智惠子抄(高村光太郎)」の「あどけない話」に、「智惠子は東京に空が無いといふ ほんとの空が見たいといふ。・・・阿多多羅山の山の上に 毎日出ている青い空が 智惠子のほんとうの空だという。」と詠われた「ほんとの空」です。
(2)安達太良山 山頂部
山頂直下は広場のようになっていて、ここに山頂標識があります。あだたら山ロープウェイの山頂駅から「ほんとの空」の薬師岳まで5分、さらに山頂直下まで75分です。ちょっとした岩登り5分で「ほんとの山頂」に着きます。標高1700m、日本百名山76座目です。
(3)沼ノ平火口
山頂直下から北の箕輪山へ続く稜線を15分で西側に火口を望めます。絶景ですが、明治33年の噴火では硫黄採掘所が全壊して72名の死者を出し、平成9年にも火山ガスによる死亡事故があったところです。左に磐梯山、右に吾妻山、正面奥に飯豊山が見えます。
(4)智恵子の生家
長沼千恵子は二本松の裕福な「花霞」の醸造元に生まれ、洋画家として「青鞜」(元始女性は太陽であった「平塚らいてう」)の表紙絵を担当。高村光太郎と同棲、統合失調症を発症後に結婚。晩年は精神病院に入院、粟粒結核のために52歳で亡くなりますが、治療をかねて制作した紙絵の「あじさい」は神戸文化ホールのモザイクタイル壁画として私たちにはなじみ深い作品です。彼女の没後3年に、光太郎は「智恵子抄」を発表しました。
(5)奥州安達ケ原「黒塚」
猿之助の舞踏「黒塚」や文楽の「奥州安達ケ原」を通し狂言に近い形で鑑賞して「黒塚」の伝説を知りました。奉公先のお姫様の病気を治すためには胎児の生肝が必要で、ここに隠れ住んで、訪れた妊婦を殺したら我が子だった・・こわいお話ですねえ。
(6)野口英世記念館
磐梯山の見える猪苗代湖の湖畔にあります。貧しい農家だったとのことですが敷地内に保存されている生家は結構立派です。写真右下が赤ちゃんの英世がやけどを負ったいろりです。以前に読んだある伝記では、世話になった人への感謝が足りないという記載が協調されていましたが、展示に見る業績には感銘・脱帽です。
(7)湯の台口登山道から鳥海山
夏季休暇は鳥海山へ遠征です。酒田市内に前泊して、登山口駐車場に午前4時半に到着。2時間半で雪渓地帯を登ると眼下は絶景です。右端は日本海、緑の陸地が水田の美しい庄内平野、正面左が月山、その左に朝日連峰、さらに吾妻連峰まで見えています。
(8)鳥海山の山頂部
山頂部は荒々しい火山です。手前はイワギキョウ。左が新山2236mで鳥海山の最高峰です。1800年に噴火した溶岩ドーム。正面奥が七高山で三角点あり。右が行者岳。
(9)鳥海山新山山頂
午前9時に鳥海山新山に登頂、日本百名山77座目です。登山者であふれていましたが、この溶岩ドームは結構こわい登山路でした。この時間帯は雲の上昇が盛んで象潟や男鹿半島方向が見えずちょっと残念でした。
(10)鳥海フスマ
高山植物のピークは7月中旬ですが、固有種の鳥海フスマは山頂部にまだ咲いていました。直径50cmくらいにつつましやかに群生していてうっかり見落としてしまいそうな小さい花です。
(11)河原小屋から鳥海山
外輪山から再び急斜面を下り、写真(7)に小さく写っている河原小屋へ帰ってきました。登りでは暗かった鳥海山がきれいに見えます。夏でも雪渓が残っていて、若者のグループがスキー&ボードをしていました。あそこまで担いで登るなんてすごい体力です。
(12)象潟(きさかた)
鳥海山の北麓、秋田県のいかほ市です。芭蕉が奥の細道で訪問した最北の地、当時松島と並ぶ景勝地は紀元前466年に鳥海山の山体崩壊でできましたが、惜しくも1804年の象潟地震で2m隆起して陸地になってしまいました。芭蕉はこの地に舟を浮かべて奥の細道に往時の風情を残してくれました。
松島は笑ふが如く、象潟は憾む(うらむ)が如し
象潟や雨に西施がねぶの花