天神平より谷川岳
土曜日午後に車で神戸を出発、深夜に群馬県の谷川岳ロープウェイ駐車場に到着して車中泊。朝7時始発のロープウェイは長蛇の列、20分並んでロープウェイ山頂の天神平に7時半に着きました。谷川岳は双耳峰で左がトマの耳、右がオキの耳です。
肩の小屋
天神尾根の標高差600mを登って9時に肩の小屋に到着、万太郎山に続く稜線がきれいです。
トマの耳からオキの耳
肩の小屋から10分ほどでトマの耳(1963m)に到着。
トマの耳
オキの耳に向かいます。耳と耳の間へ下降。この稜線は高山植物がいっぱいでした。ピンクの花はハクサンコザクラ。振り返るとトマの耳には続々と登山者が登ってきています。
ウスユキソウ(エーデルワイス)
エーデルワイスはいつも岩陰にさりげなく咲いています。
谷川岳山頂(オキの耳)
オキの耳(1977m)に登頂。日本百名山74座目です。
谷川岳からの眺望
西側の眺望です。左に尾瀬の燧ケ岳、右には日光白根山が見えました。
一の倉沢
北西は深い谷で一の倉沢といいます。屏風のような岩壁は、穂高や剣岳とともにクライマーの聖地と呼ばれています。ここから世界的なアルピニストが輩出したのです。
甲(よろい)を着た古墳人
6世紀、榛名山の噴火による火砕流で埋没した群馬県渋川市の金井東裏遺跡。発掘調査の全容が群馬県埋蔵文化財センターで公開されており、谷川岳下山後に訪問しました。写真は甲(よろい)を着けたまま榛名山の方向にうつむいた姿勢で発掘された成人男性のレプリカで、古墳時代のこの地域の首長と考えられています。もちろん、実物の人骨や甲(よろい)も展示されていました。馬の飼育やベンガラの生産なども発掘で明らかになりました。
駿府城跡天守台
徳川家康が将軍を秀忠に譲って大御所として過ごした駿府城跡の発掘現場を訪問しました。今回の調査で駿府城の天守台が江戸城よりも大きく、日本一の規模であったことが判明しました。
竹千代手習いの間
駿府城では二の丸の東南角に巽櫓(たつみやぐら)が再建されており、内部は駿府城に関連する歴史博物館になっています。写真は家康が今川の人質であった少年期に勉強した部屋を再現したものです。
臨在寺大方丈
今川義元の軍師(執権)であった太原雪斎(たいげんせっさい)が開山の臨済宗の寺院で、この大方丈は重要文化財に指定されています。残念ながら江戸時代の再建であり。この建物内で家康が勉学したわけではありませんが、この地で学んだことは確かです。
安倍川もち「せきべや」
安倍川は駿府すなわち静岡市の西側を流れています。石部屋(せきべや)は旧東海道の安倍川橋の袂に文化元年(1804年)から続く老舗、安倍川もちの元祖で風情たっぷりです。
あべ川もちとからみもち
あべ川もちはきなことあんこ。からみもちはワサビ醤油でいただきます。おもちは、注文を受けてから、ちぎっています。温かくやわらかいこの食感はお店で食べないと味わえません。京都の粟餅所・澤屋さんと同じ情緒、老舗の実力をひしひしと感じました。