坂東玉三郎の初春舞踏公演

 大阪松竹座です。阿古屋、天守物語に続き、3度目の玉三郎。「口上」から「傾城」まで「圧巻の美」でした。共演の中村壱太郎は、祖父坂田藤十郎、父中村鴈治郎、母吾妻徳穂という歌舞伎界のプリンス。鏡獅子等で踊りの力量は証明済みですが、海外でも絶賛された玉三郎の「伝説の鷺娘」をリスペクトしての初挑戦の爽やかな「鷺娘」でした。

フェスティバルで世界最高のテノール

 ヨナスカウフマンはドイツが生んだ現代最高のテノールです。テノールは高音ゆえに、やさしい柔らかな声の人が多いのですが、彼は男らしいドラマチックな声で有名です。「妙なる調和」や「花の歌」など恋の歌は「壁ドン」の雰囲気。「誰も寝てはならぬ」を力強く輝かしい声で朗々と歌い終わると、館内はブラボーの歓声に包まれました。

草間彌生 My Soul Forever

 祇園の八坂倶楽部での表記の企画展を鑑賞しました。歌舞練場の補修工事に伴い、普段は非公開の八坂倶楽部(登録有形文化財)が美術館として使用・公開されています。お馴染みの「南瓜」のお出迎えです。

「黄樹」

 入場すると最初の部屋に「黄樹」が展示されています。統合失調症を病み、耳なし芳一が幽霊から身を守るために全身を経で埋め尽くした様に、彼女が恐怖する幻覚や幻聴から身を守るために、作品全体を水玉(ドット)で埋め尽くす儀式・・・だそうです。

「私の魂を乗せてゆくボート」

 ドットとともに彼女の有名なモチーフである男根。笑っては失礼ですが、周囲が男根で埋め尽くされる幻覚ですか・・・。それをカラフルにユーモラスにボートとして表現するところが素敵ですね。松羽目の舞台に作品が映えます。

ミュージアムカフェ

 草間彌生コレクションをモチーフにした水玉スイーツやおしゃれなランチメニューなど、池泉回遊式の日本庭園を眺めながら、寛ぎのひとときを過ごせます。

八上城(高城山)

 冬の山城登城シリーズ、今回は父方の故郷の篠山です。八上城は、明智光秀の丹波攻めの際、波多野秀治が奮戦したところです。私のご先祖さんも戦いに参加したでしょうか?波多野秀治が同盟した赤井直正の黒井城は11月に訪問しましたよ。

本丸

 山頂の本丸には毛利氏による秀治公顕彰碑が建っています。秀治は光秀の猛攻を1年半しのぎますが、兵糧が尽き、寝返りも相次ぎ、天正7年(1579年)遂に降伏。弟の秀尚と共に安土城に送られ、信長により磔に処されました。その報復として人質だった光秀のお母さんが波多野の家臣により磔にされた松の跡地が中腹にあります。本能寺の変の原因はこの出来事が大きかったと私は思います。

造山古墳(つくりやまこふん)

 ここは岡山市北区。秀吉の備中高松城攻めの地は、古代吉備王国の中心地です。古墳の全長は350m、左が前方部、右が後円部です。現在全国第4位の大きさですが、5世紀前半の築造当時は堺市の上石津ミサンザイ古墳(履中陵古墳)と1位を競っていました。吉備の首長が河内王朝の首長と同じ勢力を誇っていた。いや、宋書にある倭の五王、讃、珍、済、興、武、の初代の「讃」は吉備の出身で、その地元の墓だ・・・ロマンチックな説です。

登れる巨大古墳

 後円部から前方部です。大阪平野の巨大前方後円墳は宮内庁の陵墓指定により立ち入りが禁止されています。ここは幸いにも指定外で、本来そうあるべきですが自由に立ち入ることができます。前方部は削られており、ある時期に盗掘されたとされる阿蘇凝灰岩製の刳抜(くりぬき)式の長持型石棺が風雨に晒されています。博物館に移動してほしいですね。

現地説明会

 岡山市教育委員会による発掘調査が2016年から始まっており、前回は前方部で葺石と埴輪片が確認されています。「考古学のおやつ」というサイトで現地説明会の日程をチェックして訪問しました。今回は後円部墳丘裾です。調査担当者が説明してくれます。

出土した葺石

 写真下部が発掘で掘ったトレンチで墳丘端部の葺石と考えられる石列が出土していました。上部は墳丘で後円部の高さは何と30mです。往時は、垂水の五色塚古墳のように、全体が葺石で覆われ、2段目と3段目(頂上部)には全周に埴輪が並べられていたのです。今後も10年以上発掘が続くようで、巨大古墳の構造の解明が楽しみです。