黒井城、別名保月城

 日本百名山の旅は冬山の便りでお休みです。今月は山城へのハイキングです。丹波の春日インターから見える黒井城、別名保月城、へやってきました。楠木正成とともに建武の新政の立役者である赤松円心がこの地を獲得し、次男の赤松貞範筑前守が築城。筑前が保つ城なので保築城(ほづきじょう)、転じて保月城(ほげつじょう)となりました。春日町の黒井にあるので黒井城のほうが一般的で国指定史跡の名称も黒井城です。

本丸から二の丸

 写真は本丸から南西・氷上方面、この写真は本丸から南東方向の二の丸、山の向こうは篠山です。本丸、二の丸、三の丸が山頂部にあり、絶景です。竹田城には及びませんが、野面積みの石垣も残っています。地元の人たちによりきれいに手入れされていて、良いコーヒータイムを過ごせました。

黒井城のある猪ノ口山

 春日インター付近から撮影しました。標高356mの猪ノ口山、その山頂部の中央に石垣が見えています。麓に駐車場があり、山頂までは1時間弱です。戦国時代、赤松氏の支配は終わりを告げ、清和源氏の流れをくむとされる赤井直正の居城となり、曲輪群を配置し全山は要塞化されました。

風雲急をつげる黒井城

 赤井直正が山名氏の竹田城を攻略したことで、信長による丹波征討戦が勃発、直正は八上城の波多野秀治と連携して、天正4年(1576年)に一度は明智光秀を撃退。しかし、2年後に病死してしまい、その翌年、まず八上城、続いて黒井城も落城しました。なお、ボクサーの赤井英和さんは直正の弟の末裔だそうです。

興禅寺、春日局生誕の地

 丹波攻略後、明智光秀は重臣の斎藤利三に西丹波を統治させ、斎藤利三の娘である春日局(幼名:福)はこの地で生まれました。七間濠と白いねり塀で囲まれたこの興禅寺は当時、黒井城の下館でした。境内には、お福産湯の井戸、お福の腰かけ石があります。寛永の三筆、近衛信尹が作庭したと伝わる庭園も見事でした。

金剛山頂

 大阪の毎日登山の山、冬はロープウェイで樹氷を楽しめる山として有名です。歴史的には役行者が開山した修験道の山で明治の廃仏毀釈以前、山頂部には転法輪寺の堂宇が立ち並んでいたそうです。雄略天皇、空海、秀吉なども訪れたとされています。眼下は富田林市街、遠くに淡路島や六甲山、神戸市街も見えました。

千早城址

 金剛山から千早赤坂村へ延びる尾根上に楠木正成の籠城戦で有名な千早城跡があります。本丸部分が千早神社、写真は本丸から2段下った三の丸跡で広い台地になっています。1333年(元弘3年)、後醍醐天皇の倒幕運動に呼応した楠木正成が一千の兵で、10万人の鎌倉幕府軍を90日間釘付けにし、鎌倉幕府崩壊のきっかけを作った歴史の舞台です。

奥河内くろまろの郷

 金剛山と千早城址の帰りに、道の駅で新鮮野菜を買おうと立ち寄ると、ガイドセンターのそばに高向玄理ゆかりの地の石碑、そして植物園方面にマスコット人形が立っています。敷地内の河内長野市立ふるさと歴史学習館で高向玄理(たかむこのげんり)の別名がくろまろであり、渡来人でここ河内の錦織部(にしこりべ)の高向(たかむこ)に住んでいたと教えていただきました。大化の改新に登場する人物です。「くろまろくん」は歴史学習館のマスコットでした。楠木正成を育んだ河内は古代から豊かな土地だったということがよくわかる素敵な学習館でした。

国宝展

 2014年東京での国宝展では安倍文殊院の善財童子立像が新指定国宝で印象に残っています。今回は楠木正成ゆかり、金剛寺の大日如来坐像と不動明王坐像が新指定国宝のお目見えでした。雪舟の国宝6件の勢ぞろいや、伝源頼朝像ほか神護寺三像の勢ぞろいも壮観、長谷川等伯の松林図屏風、薬師寺の吉祥天像、中宮寺の天寿国繡帳、法隆寺の四騎獅子狩文様錦、龍光院の曜変天目、書跡では三跡の勢ぞろい、などなど、全855件国宝の中で、未鑑賞のお宝をたくさん鑑賞できました。

「法性寺」特別公開

 毎年11月に開催される京都非公開文化財特別公開ですが、本年は国宝展の帰りに東福寺駅に、ほど近い法性寺(ほっしょうじ)を拝観しました。藤原時平の弟、忠平の創建。本尊の千手観音菩薩立像は法性寺殿と呼ばれた藤原忠通ゆかりの国宝です。本像は菅原道真公の写しという説もあります。ふっくらしたお顔立ちでした。