火打山と新潟焼山

日本百名山47座目は火打山です。土曜日の診療後に出発し、20時に長野自動車道姥捨SA到着。川中島の戦いで有名な善光寺平の夜景を見ながら信州サーモン丼をいただきました。妙高インターで降り22時に笹ヶ峰駐車場へ到着。5時に登山開始、7時半に視界が開け、火打山、影火打、焼山が見えました。

高谷池

8時、高谷池(こうやいけ)に到着。高谷池ヒュッテ前で小休止して登山道を進みます。振り返ると高谷池の池塘に朝の陽光が降り注いでいます。

高谷池と妙高山

さらに登ると、左側に同じく百名山の妙高山も見え始めます。

天狗の庭から火打山と焼山

木道を進み、天狗の庭に入ります。火打山、影火打、焼山が近づいてきました。新潟県で唯一の活火山である焼山の噴煙がくっきりと見えています。

天狗の庭から火打山

雲上の楽園とはよく言ったものです。天候に恵まれ池塘に火打山がきれいに映っています。

火打山山頂

9時30分、火打山2462mに到着しました。登頂時はガスに包まれて真っ白でしたが、小一時間山頂で待っていると晴れてきました。

雨飾山と新潟焼山

南側には噴煙たなびく焼山が眼前に見えます。その左側に稜線から顔を出している低い三角形の山が先月登った雨飾山です。焼山の右は糸魚川方面の日本海です。

天狗の庭と妙高山

10時30分に下山開始。ライチョウ平まで戻ってきました。天狗の庭と左奥には妙高山がみえます。この日、ライチョウさんには会えませんでした。

新潟焼山

高谷池をこえて「アルプス展望台」まで戻ってきました。11時45分、2000m付近にあったガスは完全に消えています。新潟焼山をアップで撮影してみました。13時15分に駐車場へ下山。インター手前の杉野沢温泉センター「苗名の湯」で汗を流して帰りました。

京都深草の石峰寺

京都は伏見・深草の石峯寺(せきほうじ)です。黄檗宗の寺院で伊藤若冲が最晩年を過ごし、五百羅漢を残した寺として有名です。五百羅漢石像は写真撮影禁止となっているので、紹介できず残念ですが、若冲の禅画の原本の雰囲気をよく伝えているのだろうと思いました。伊藤若冲は寛政12年(1800)に84歳で亡くなり、この石峰寺内にお墓があります。

藤原京701年の柱穴

奈良県橿原市の藤原宮跡で、朝堂院朝庭発掘の現地説明会がありました。柱穴が見つかっただけといえばそれまでですが、その7つの穴の配置が、続日本紀の701年の記述に一致するというのです。続日本紀巻第二のここです。「大宝元年春正月乙亥朔。天皇御大極殿受朝。其儀、於正門樹烏形幢。左日像・青竜・朱雀幡。右月像・玄武・白虎幡。蕃夷使者、陳列左右。文物之儀。於是備矣。」中央に八咫烏、左右に日月、四方に四神で、7つです。

キトラ古墳壁画体験館「四神の館」

国営飛鳥歴史公園キトラ古墳周辺地区の開園に合わせ,キトラ古墳壁画保存管理施設(キトラ古墳壁画体験館四神の館内)で壁画の公開をするというので予約して明日香村を訪れました。キトラ古墳は四神の館の右奥にあります。

キトラ古墳

キトラ古墳、その昔、石室に入って、北壁の玄武(亀)と西壁の白虎(トラ)を見た人が、名付けて、伝承されてきたのでしょうか。形態や出土物などから判断すると、7世紀末~8世紀初めの築造だそうです。先ほどの藤原宮朝賀の儀の旗と壁画が見事に一致しています。続日本紀に記載されている700年前後に没した人が被葬者なのでしょう。

キトラ古墳南壁壁画・朱雀

四神とは、古代中国の東西南北それぞれの方位をつかさどる神獣で、北に玄武、東に青龍、南に朱雀、西に白虎が描かれています。今回の公開壁画は、現存する世界最古の本格的な星図とされる「天文図」と「白虎」「朱雀」でした。朱雀の朱色も天文図の星を表す金色も1300年前の輝きを保っています。