京鹿子娘道成寺

3月花形歌舞伎を観てきました。玉三郎の阿古屋以来2度目の南座でした。

 

まさか自分が古典芸能を観るようになろうとは10年前には想像もしませんでした。興味を持ったのは、愛地球博で宮内庁楽部による雅楽の抜頭を鑑賞したことがきっかけでした。 クラシック音楽一辺倒だった私が、ニッポンすごいぞと気が付いた瞬間でした。

歌舞伎は、富十郎のドキュメンタリー番組に感激し、勧進帳を観たいと思ったタイミングに、大阪松竹座で団菊祭がありました。団十郎の弁慶、菊五郎の富樫、藤十郎の義経という最高のキャストで、長唄というジャパニーズオーケストラにも感動しました。

 

3月の南座は松緑と菊之助の舞台でしたが、松緑はご贔屓勧進帳という大らかな荒事を若々しく演じていました。年を取れば、大きさがでてくることでしょう。今回は菊之助の京鹿子娘道成寺が圧巻でした。女形なら必ず踊らなければならないといわれている大曲ですが、幼いころからの精進が結実した芸に圧倒された1時間でした。大向こうが最後に「音羽屋!大評判!」とかけたのも最高でした。それにしてもどうして歌舞伎はカーテンコールしないのでしょうかね?もっと拍手したいのに残念ですよ。

 

一昨年に和歌山の道成寺に行った時の写真です。(写真;道成寺) 1359年道成寺で「安珍・清姫物語」以来永く失われていた鐘を再鋳し鐘供養を営むと、そこへ一人の白拍子が現われ、舞い終わると鐘は落下し、白拍子は蛇身に変わり日高川へと姿を消した、という伝説が残っています。これが娘道成寺の元々のお話しですね。その後、近隣に災厄が続いたため、清姫のたたりと恐れられた鐘は山林に捨て去られたそうですが、さらに200年あまり経って、秀吉が根来を攻めた時、家来の仙石権兵衛が鐘を掘り起こし京都に持ち帰り、妙満寺の偉いお坊さんが法華経で供養したところ、怨念は解かれ、鳴音美しい霊鐘となったのだそうです。妙満寺では、毎年春に鐘供養を営み安珍・清姫の霊を慰めており、本年は4月27日で、奉納舞は中村橋之助とのことです。