苗場山 ワタスゲ咲く池塘
日本百名山59座目は苗場山(なえばさん)です。東側は新潟県南魚沼郡湯沢町、川端康成「雪国」の舞台です。湯沢町の「かぐらスキー場」が登山口です。西側は長野県栄村の秋山郷です。関西からはこちらが近いので、長野道から上信越道の飯山インターを降りて小赤沢3合目登山口駐車場へ。6時に登山開始、標高差800mの樹林帯の急登2時間、8時に空が明るくなったかと思うと天上の湿原に到着していました。
苗場山 天上の湿原
山頂付近は1km×4kmの広大な湿原です。ヤチスゲやミヤマイなどのカヤツリ草が草原をなし、池塘が点在し、ワタスゲがそこかしこで揺れています。ゆるやかに伸びる木道が湿原に映えます。8月初旬、まだ雪田が残っています。黄色いキンコウカの群落や紅色のチングルマの群落もありました。サウンドオブミュージック冒頭の気分でしたよ。
苗場山山頂
山頂は湿原の北東隅にある小高い丘の中です。標高は2,145m。「絶頂に天然の苗田あり、依って昔より山の名に呼ぶなり」と北越雪譜という鈴木牧之という人が天保6年、すなわち1,835年の本にすでに記されています。ミヤマイやヤチスゲが苗のように繁って苗代田のような外観を呈していることから、山名が「苗場山」となったのです。
魚沼駒ケ岳
日本百名山60座目です。お盆休み、天気予報は曇り時々雨でしたが、海抜2000mの晴れを念じて小雨の中、登山口の枝折峠(しおりとうげ)駐車場を6時に出発、小雨はミストになり、ガスになり、9時半に駒の小屋に到着すると、一瞬、雲が切れました。
魚沼駒ケ岳山頂
別名は越後駒ケ岳、標高2,003m。晴れていれば、手前に越後三山の八海山と中ノ岳、遠方には右から、先週登った苗場山、明日登る巻機山、それに谷川岳、武尊山、至仏山…。
1時間弱、粘りましたが、ずっとガス、真っ白の世界でした。11時に下山開始。下りの長く感じるのは毎度のこと、サウナのようなミストの中を3時間、14時過ぎに登山口に戻りました。
巻機山 織姫の池
日本百名山61座目は巻機山(まきはたやま)1,967mです。登山口の南魚沼市(旧塩沢町)清水の桜坂駐車場へ浦佐駅前のビジネスホテルから早朝に移動。小雨の中、5時50分に登山開始です。本日の標高差は1,367m。美しいブナ林ですが粘土質でドロドロの登山道をひたすら登り、9時半に織姫の池につきました。山頂の稜線が見えています。
巻機山 御機屋
本当の山頂はここから北へ10分なのですが、信仰登山では広場が必要だったのでしょう、ここを御機屋とし山頂とされました。前巻機山からこの巻機山、そして西に割引岳、東に牛が岳と女性的ななだらかな草原の稜線が続いているのですが、ガスが次々とやってきて展望はありませんでした。
巻機山と三ツ池
三ツ池は、登山者のせいで池塘が埋まったのをボランティアが自然回復させたそうです。さて、山名の由来です。山麓の越後上田庄はかの直江兼次の生誕地としても有名ですが、越後上布、塩沢つむぎなど、機織りの里でした。
柳田國男著「日本の伝説」に『機織り御前』の説話があり、「越後の山奥の大木六(おおぎろく)という村には、村長で神主をしていた細矢という非常な旧家があって、その主人がまた代々すがめでありました。昔この家の先祖の弥右衛門という人が、ある夏の日に国境の山へ狩りに行って路を踏み迷い、今の巻機(まきはた)山に登ってしまいました。この山は樹木深く茂り薬草が多く、近い頃までも神の山といって、おそれて人のはいらぬ山でありましたが、弥右衛門はこの深山の中で、世にも美しいお姫様の機を巻いているのを見かけたのであります・・・・」。機を巻くという作業が機織りの下準備にあるのです。巻機山という名前は、機織りの女神さまの説話に由来しているようです。
国宝 火焔型土器
縄文時代中期、約5,000年前の土器である。大袈裟な突起は煮炊きする具の出し入れには邪魔になる。にもかかわらず何故このような造形を生み出したのか? あの岡本太郎が「なんだ、コレは!」と叫んだという。「火焔土器の激しさ優美さ」という言葉も残している。十日町市博物館が誇る国宝であり、「信濃川の流域の火焔型土器と雪国の文化」は日本遺産にも認定されています。
西福寺開山堂
西福寺は室町時代後期1,534年に創建された曹洞宗の古刹で、幕末の名匠、石川雲蝶(いしかわうんちょう)の彫刻で埋め尽くされているのがこの開山堂です。雪から守るための覆い屋が景観としては残念ですが、外観は茅葺二重層、上部入母屋、下部唐破風向拝、そこに雲蝶の彫刻、内部天井には「道元禅師猛虎調伏の図」が圧倒的な迫力でした。「何でも鑑定団」の中島誠之助が「新潟のミケランジェロ」と称えた雲蝶、一世一代の大作です。
へぎそば
へぎそばは、新潟県魚沼地方発祥で、つなぎに布海苔(ふのり)という海藻を使った蕎麦をヘギといわれる器に盛り付けた切り蕎麦。越後の織物業では、緯糸(よこいと)をピンと張るために布海苔を使っており、これを蕎麦のつなぎに使用。一口ずつ美しく盛ったそばは、“手振り”と呼ばれ、織物をする時の糸を撚り紡いだ“かせぐり”からきた、手ぐりの動作を言ったもので、織りの目に模した並べ方も織り文化の賜物のようです。太い田舎蕎麦はふのりがたっぷり入っていてズルズルしており、食べ応え良し、のど越し良し。
名代生そば由屋
流れるような曲線は、火焔型土器の渦巻き文様にも見えますね。へぎそばをいただいた新潟県十日町市の「名代生そば由屋」は、岡本太郎が愛した名店で、看板の字は岡本太郎筆だそうです。待ち時間は1時間でしたが、味、接客、料金(写真のへぎそばはたったの800円)ともに、素晴らしいお店でした。