南アルプスの塩見岳
日本百名山45座目は南アルプス塩見岳です。20時に車で出発、中央道を松川インターで降り、登山口の駐車場へ午前1時に到着。5時半に登りはじめ、10時半に三伏山に到着すると「漆黒の鉄の兜、ズングリした入道頭」(深田久弥、日本百名山)が見えました。
塩見岳山頂より東峰
13時半に登頂です。塩見岳は双耳峰で、三角点のある西峰が塩見岳3047mです。右に見える東峰が3052mと5m高いのですが、測量の関係で明治時代に塩見岳の山頂はこちらと定められました。私の左手の上に富士山が見えるはずですが・・・残念、雲に隠れていますね。
白峰三山
ここは南アルプスの真ん中です。360度の絶景ですが、北側に、手前から農鳥岳、間ノ岳、北岳の白峰(しらね)三山が見えます。標高は、1位富士山、2位北岳、3位間ノ岳、ということで、山好きとしては、2位と3位を含む白峰三山が見えて感激です。
南アルプス北部の山々
北側全体の展望です。右下から伸びているのが仙塩尾根で左奥の仙丈ケ岳に続いています。仙丈ケ岳は山頂部に3つのカールを持ち優美な姿から南アルプスの女王と呼ばれています。右側の雲のところが甲斐駒ケ岳。正面から右がさきほどの白峰三山です。
南アルプス南部の山々
南側は左から荒川三山の東岳(悪沢岳)と中岳、前岳、その右に兎岳、中盛丸山、大沢岳。
山々の向こうに空気が澄んでいれば駿河湾が望めるとか。その昔、山麓の人々が塩不足に困っていると、弘法大師がこの山に登り海を見てその塩を谷へ呼んだのが、塩見岳の名前の由来だそうです。
大鹿村歌舞伎の舞台
塩見岳の登山口は大鹿村です。ここは塩泉の鹿塩温泉と大鹿歌舞伎で有名です。神戸の谷上にも農村歌舞伎舞台が残っていますが、ここ大鹿村では300年前から村人による歌舞伎上演の伝統が続いています。原田芳雄主演の映画『大鹿村騒動記』でご存知のかたも多いでしょう。この市場神社舞台は嘉永四年(1851年)の建立で年2回の定期公演のうち10月はここが会場になるそうです。
俺たちの国芳 わたしの国貞
神戸市立美術館です。浮世絵の何が楽しいのか? 浮世絵との出会いは、永谷園のお茶漬けカードでした。安藤広重の東海道五十三次です。浮世絵を大まかに捉える言葉に「豊国にかほ(似顔)、国芳むしや(武者)、広重めいしよ(名所)」というのがあります。国貞は後の3代目豊国であり、似顔、つまり美人画や役者絵で有名。ひと昔前にあてはめるとアイドルやスターのブロマイド。国芳は武者絵の大家、つまり水滸伝はじめ当時流行の冒険物語の主人公や名場面。私の時代にあてはめると仮面ライダーやウルトラマン怪獣のカードのような感じ。歌舞伎を数年前から観てきましたが、役者絵にも親近感がもてます。三代目菊五郎の菅原伝授手習鑑から車引きの段の桜丸とか、仮名手本忠臣蔵・九段目から坂東三津五郎の加古川本蔵とか・・・。
奈良国立博物館 忍性
生誕800年記念特別展 忍性-救済に捧げた生涯- です。忍性(にんしょう)は鎌倉時代の真言律宗の僧で、母親の教えである文殊信仰に基づき、病人(ハンセン病患者)や老人、貧者のために医療・福祉施設をつくりました。さらに、橋をかけ、井戸を掘るなどの公共事業も行いました。また、戒律を守ってこそ僧侶という固い信念で鑑真を尊崇し、晩年には鑑真の一生を描いた「東征伝絵巻」を作成させています。
行基墓
忍性が尊敬した奈良時代の僧侶、行基のお墓です。生駒山ろくの竹林寺にあります。朝廷が仏教の民衆への布教活動を禁じた時代に、民衆の中で救済事業と社会事業を成し遂げ、晩年には、聖武天皇により奈良の大仏(東大寺)造立の責任者として招聘されました。
忍性墓
忍性も晩年、鎌倉幕府や朝廷に認められ、行基さながらの人生を送りました。権力に取り入ったのではなく、福祉公共事業を国家に受け入れさせました。行基が母を看取った草庵の地が竹林寺であり、忍性は鎌倉極楽寺と故郷の寺のほか、この地での分骨を望みました。