スヌーピーミュージアム

東京での研修前に、武相荘に行ってみることにしました。ルート途上の町田市にスヌーピーミュージアムがあることに気づいたので寄ってみました。
コミックのタイトル「PEANUTS」は配信会社のユナイテッドがつけたもので、スラングでは「はした金」「取るに足らないもの」という意味があり、作者のシュルツはタイトルに不満を持っていたそうです。ピーナッツは1950年10月2日に新聞連載が始まり、作者が亡くなる翌日まで、50年間連日連載されました。ミュージアムでは「ピーナッツ誕生75周年 ザ・スヌーピー展 世界のともだちになった犬」が開催されていました。私のピーナッツとの出会いはミニピアノでベートーベンを弾くシュローダーでしたが、小学生の時に飼っていた犬がビーグルで、後にスヌーピーもビーグルと知って驚きました。予約なしで入れたPEANUTS Caféのバーガーは美味でした。
泰巌(たいがん)歴史美術館

戦国時代の歴史資料を展示する私設の美術館で、泰巌は織田信長の戒名です。1、2階は安土城天守の復元、3階には古文書や肖像画、4階は刀剣・甲冑・合戦図屏風、5階には茶道具が展示されています。企画展「全国の武将 津々浦々」が開催中で、有名武将はもちろん、龍造寺隆信や立花宗茂などマニアックな人も納得の多くの書状に驚きました。狩野元信の屏風、太刀銘「来国光」(重要文化財)、利休や織部や遠州の茶杓、長次郎の黒楽茶碗など、素晴らしいコレクションを拝見できました。
武相荘(ぶあいそう)

テレビ番組で白洲次郎と白洲正子を知りました。第2次大戦後の食糧難を見越して武蔵と相模にまたがる農家を購入し武相荘と名づけ、カントリージェントルマンとして過ごした戦前。敗戦後に自分の出番が来るとの予想通り、官僚として活躍した戦後にGHQ草案のシンボルオブステーツのシンボルを象徴と訳した逸話など、白洲次郎はカッコよすぎるのです。妻の白洲正子の著書「日本のたくみ」は、藝術新潮に連載された随筆集ですが、日本各地のモノづくりの素晴らしい物語に引き込まれます。
深大寺(じんだいじ)

講演会研修の翌日、調布に向かいました。東京で浅草寺の次に2番目に古いお寺で、天平2年(733年)の開基です。銅造釈迦如来倚像は法隆寺の夢違観音と共通点が多く、2017年に白鳳仏として東京都でただ一つの国宝仏に認定されています。白鳳仏をこの地にもたらしたのは聖武朝から桓武朝で活躍した高麗福信(こまのふくしん)という説を見かけました。お寺ができた背景ですが、この地は多摩川の河岸段丘で国分寺崖線から湧水が湧き、水神「深沙大王」を崇拝する深大寺が創建されたようです。武蔵野台地のやせた土地がそば栽培に適していたことと湧水でそば粉を挽き、締めることが出来ることから深大寺そばは名物となりました。朝ドラの「ゲゲゲの女房」では、水木しげる夫婦が結婚後の初デートに深大寺を訪れていました。
府中市美術館

府中に移動して、「フジタからはじまる猫の絵画史展」にいきました。藤田嗣治は、乳白色の肌の「五人の裸婦」などでエコール・ド・パリの寵児となりましたが、裸婦像だけでなく、「自画像」「秋田の行事」「アッツ島玉砕」「カフェ」など、趣のまったく異なる絵画を描き分けたことでも有名です。フジタ以前の猫として菱田春草の黒猫やエドゥアールマネのオランピアが紹介されていましたが、「猫」を主人公として描くことはフジタに始まったといえるようです。「猫を抱く子ども」「猫の教室」など素晴らしい筆致と発想にくぎ付けになりました。美術館併設の「府中乃森珈琲店」はとてもおしゃれで、開催記念限定メニューの「猫とフジタのプレート」を楽しみました。
豊島区立熊谷守一美術館

2017年の東京近代美術館「没後40年熊谷守一生きるよろこび」で熊谷守一を知りました。翌年公開された映画「モリのいる場所」も印象的でした。故郷の中津川にある「つけち記念館」には2021年に行っています。今回、映画で描かれた住居跡に建てられた美術館を訪問し、「自画像」「白猫」「蟻」などを観ました。晩年の「へたも絵のうち」の作風にたどりつかなかったら・・・それは田中一村も同じですね。
伊勢物語 根津美術館

根津美術館の「伊勢物語 在原業平生誕1200年記念特別展」を鑑賞しました。伊勢物語の和歌と逸話が、絵画やデザインとして広まる歴史をたどる展覧会です。根津美術館所蔵の尾形光琳「燕子花図」が伊勢物語第9段(東下り)の「かきつばたの歌」を背景としていることはあまりにも有名です。「蔦細道蒔絵文台」は同じく(東下り)の宇津の山が下敷きです。江戸時代初期の慶長13年(1608年)に、本阿弥光悦や角倉素案らにより刊行された伊勢物語嵯峨本が、伊勢物語を人口に膾炙しただけでなく,以降の挿絵本の出版に大きな影響を与えたことは初めて知りました。
さんま祭り1

本年は阪神淡路大震災30年です。ろっこう医療生活協同組合の職員は約200名ですが、震災を体験した職員は私を含め数名となってしまいました。震災の経験を語り継ぐのは簡単なことではありません。30年はある意味ラストチャンスと考え、数年ぶりとなる「さんま祭り」を提案し、皆様に賛同していただきました。
さんま祭り2

実際の運営は灘診療所のMさんはじめ事務管理職が担いました。数年前の経験を引き継いだとはいえ、彼らの実行力には感嘆しました。大船戸からのさんまの仕入れ、能登の地酒の仕入れ、参加者の募集、事前の段取り、当日の段取り。日常業務をこなしながらイベントを成功裏に開催いただいた功績を称えたいと思います。
神戸新聞や東海新報の記事にとりあげていただいたこともありがたいことでした。
個人的には、被災後に温かい食べ物を久しぶりに食べられたときのうれしさや、「頑張れ」よりも「寄り添うよ、忘れないよ」の声掛けのほうがありがたく感じられたことなどをメッセージとして伝えたいと思っていました。心を寄せていただき、参加いただいたすべての皆様に御礼申し上げます。来年は東北大震災15年、熊本地震10年です。先月号の南阿蘇村の震災ミュージアムの記事もお読みいただければ幸いです。
大ゴッホ展 夜のカフェテラス

ルノワールのムーラン・ド・ラ・ギャレットもそうですが、見る人を幸せな気分にしてくれる絵です。自分もそのイスにすわりたくなるのです。ところで、一部の美術史家は、この作品は「最後の晩餐」を暗示していると言います。カフェの白い人物がキリストで、12人の客が使徒という解釈です。カフェを出ていくのがユダ・・・。
初期の農民や働く人を描いた姿勢にも惹きつけられますね。ちなみに来年には、「アルルの跳ね橋」などを含む後期展があるので大ゴッホ展なのだそうです。
顔見世 尾上菊五郎襲名披露

初めて歌舞伎を観たのは大阪松竹座での団菊祭でした。三津五郎の河内山で、歌舞伎はスゴイと感激したのですが、三津五郎がすごかったのです。菊五郎、団十郎
左団次というすごいメンバーでの浜松屋店先にも感激したものです。
今回の演目では、幸四郎の一条大蔵卿が2回目、作り阿呆の長椅子が大好きです。八代目菊五郎の「鷺娘」ははじめて観ました。数年前に菊之助時代の「道成寺」を観た時にも感じたのですが、真面目なお人柄が踊りにも出ているように思います。話題の「国宝」で吉沢亮が踊っているとのことですが、私は映画はまだ見ておりません。





