入江・高塚貝塚

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洞爺湖町にある世界遺産の縄文遺跡です。入江が4000~5000年前、高塚が4000~2800年前の遺跡で、至近距離にあります。入江からはイルカ、高塚からオットセイの骨、いずれの貝塚からも鹿の骨でできた銛が出土しており、漁労中心の生活だったようです。糸魚川のヒスイや琉球列島産と考えられる貝輪も出土しており、広い範囲の交流がうかがえます。

北海道駒ケ岳の剣が峰

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函館の北、車で40分ほどのところに日本二百名山・北海道駒ケ岳があります。6合目駐車場から1時間少し登ると馬の背という山頂部の台地に火山の風景が拡がります。噴火警戒レベルは1なので多くの登山者が登っていますが、地元協議会による自主規制ロープがあり、火口原への立ち入りは自己責任でと注意書きがありました。

山頂標識

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剣が峰の手前に、山頂の標識があります。この先やや危険なのでここで山頂ということなのでしょう。この先の最高点が1,131mのピークですが、無理せずここまでとしました。函館方面は雲海でおおわれ、展望はありません。火口原に戻ると再び晴れてきました。

昭和火口

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昭和4年に大噴火した火口です。死者2名、全半壊の家屋が約2,000軒という大災害でした。平成10年にも小噴火があったようです。滅多に噴火に遭遇することはないのですが、ロープ規制の先での長居は無用です。あまり接近せずに引き返しました。

馬の背から大沼

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ロープ規制外の安全地帯?に戻ってきて函館方面を眺めます。大沼と小沼、その右には蓴菜(じゅんさい)沼があります。これらは、3~5万年の駒ケ岳噴火による山体崩壊でできた堰止湖と考えられています。正面遠方には函館山も見えています。

大沼から駒ケ岳

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蝦夷地を「北海道」と命名した探検家、松浦武四郎は弘化2年(1845)にここを訪れ『蝦夷日誌』で「島が多くあるあたりは象潟・松島もものかわ、その風景は筆舌に尽くすことができないほどのものである。」と絶賛しています。耶馬渓、三保の松原とともに、新日本三景に選ばれている景勝地で、遊歩道、ボート、遊覧船などで楽しめます。

大船遺跡

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 地図で函館の右上、太平洋をのぞむ段丘上にある縄文時代(5,500~4,000年前)の拠点集落で、世界遺産です。竪穴建物遺構が大きくて深さが2m以上もあるのが特徴的です。

住居より浜側の盛土遺構と呼ばれる場所からは、クジラ・マグロ・クリ・クルミなど、また土器・石器も積み重なっており、盛土で祭祀・儀礼が行われていたようです。

垣ノ島(かきのしま)遺跡

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 大船遺跡のやや南の段丘上にある9,000~3000年前の縄文遺跡で同じく世界遺産です。竪穴住居の出現、世界最古9,000年前の漆製品、足形付土版の副葬などが有名です。居住域と墓域が分離し、国内最大級の盛土遺構は長期間の定住と命ある全てのものを尊重する思い、自然への畏敬を示しており、その精神性の評価から世界遺産に登録されました。自然への畏敬、獲物は神(カムイ)という考えは今日のアイヌ文化にも色濃く残っています。

足形・手形付土製品

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 写真は豊原4遺跡の6,500年前の土坑墓から出土した足形や手形を押し付けた粘土板で重要文化財に指定されています。幼くして亡くなった子どもの足形を押し付けたものと考えられており、子どもをしのぶ風習は縄文時代早期の北海道と東北で認められています。

国宝「中空土偶」

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 縄文時代後期(約3500年前)につくられ、2007年に北海道初の国宝指定を受けた土偶で、南茅野町出土の中空土偶なので、茅+空から「カックウ」という愛称で呼ばれています。

国宝の縄文土偶は、八ヶ岳山麓の縄文ビーナスと仮面の女神、青森の合掌土偶。山形の縄文の女神、と5点あります。足形土製品、中空土偶、世界最古の漆製品は、垣ノ島遺跡に併設された函館市縄文文化交流センターに展示されています。

知内(しりうち)温泉

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 函館と松前の間にある温泉です。源頼家の家臣の荒木大学が1247年に金山探索の際に発見した北海道最古の温泉とされていますが、荒木大学は15世紀の人物で、1428年という別の記録に説得力があります。複数の源泉があり、床は温泉成分で百枚皿のようです。

ちなみに本州では、古事記の允恭天皇(5世紀)の時に木梨軽皇子が伊予の湯に流された記載と日本書記では舒明天皇が631年に有馬の湯に行幸したという記事が最古の記録です。

松前城

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 鎌倉幕府被官の津軽安東氏が室町時代15世紀中ごろ、南部氏に追われて道南へ。1457年コシャマインの戦いで、安東氏が敗れる一方、安東氏統制下の蠣崎(かきざき)氏が若狭出自の武田信広の働きで戦いに勝利し勢力を拡大。信広は出自が同じ甲斐源氏蠣崎氏の婿養子となり、5代慶広の代に豊臣・徳川に臣従し松前に改姓。慶広は福山館(後の松前城)を築城して松前藩が成立します。

 山側の松前藩屋敷というテーマパークには、奉行所、近江商人の商家、廻船問屋、にしん漁の番屋などが立ち並んでいます。また、再建天守の内部は資料館となっており、写真右下は、北前船で賑わう1760年頃の松前城下を近江商人が描かせた松前屏風(複製)です。

横綱千代の山千代の富士記念館

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 松前町の東隣が福島町で、2人の横綱の出身地です。千代の山は戦前に相撲界に入門し、戦後に横綱として活躍、引退後は九重部屋を起こし、北の富士や千代の富士を育てました。

千代の富士はスピードとパワーでウルフと呼ばれ角界初の国民栄誉賞に輝きました。彼の生い立ちや横綱への道のりの展示や数々の名勝負のビデオに見入ってしまいました。

函館市北方民族資料館

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 アイヌ、ウイルタ、アリュートなどの北方民族の研究の大家による2つのコレクション「馬場コレクション」と「児玉コレクション」が展示されています。また、旧イギリス領事館は1913(大正2年)の再建ではありますが、開港時の雰囲気をよく伝えています。

五稜郭

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 五稜郭タワーからの五稜郭の眺めは格別です。幕末に徳川幕府が艦砲射撃にも耐えられる新時代の要塞として大洲出身の俊才、武田斐三郎に設計・建設を依頼し誕生しました。戊辰戦争時には、榎本武揚率いる旧幕府軍が入場し箱館戦争の舞台となります。

展望階には16景の小さなジオラマ模型で開港から箱館戦争までの激動の歴史と人間ドラマが展示されています。開陽丸が座礁沈没しなければ歴史は変わっていたでしょうか?

函館市北洋資料館

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 函館は北洋漁業の基地として栄えました。北用漁業の先駆者は高田屋嘉兵衛。明治以降は、ロシア・ソ連との厳しい交渉の末、函館は、サケ・マス漁業やカニ漁業などの基地としての役割を果たしました。ニチロのサケ缶・カニ缶を懐かしく眺めるとともに、小林多喜二の蟹工船とは母船であり缶詰工場であることに初めて思い至りました。

 函館山の麓にある市立函館博物館は、考古・美術・歴史・民俗など函館とその周辺を総合的に展示する充実した博物館でした。特別展では見事なアイヌが清との交易で得た見事な蝦夷錦(明の官服)を鑑賞できました。

湖畔の宿

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 道南は南北に火山が並びます。渡島半島には駒ケ岳と大沼、噴火湾沿いには有珠山と洞爺湖、樽前山・恵庭岳と支笏湖など、火山と堰止湖やカルデラ湖が美しい景観を作り、各所に温泉があります。支笏湖畔の宿からは、恵庭岳や樽前山を眺められます。大沼湖畔のホテルのバーは、中央に函館本線のジオラマ、周囲にはかつて北海道を走っていたSL写真が飾られ、重厚なインテリアもあいまってノスタルジックな雰囲気でした。

ニセコアンヌプリ

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 「ニセコ・アン・ヌプリ」はアイヌ語で「切り立った崖とその下に川がある山」という意味で標高は1,308m、東南斜面には世界から観光客を集めるスキー場が拡がります。東側には蝦夷富士と呼ばれる百名山の羊蹄山(後方羊蹄山=しりべし山)を眺めることができます。

 曇天続きで最終日の午後が晴れの予報、もう少しで晴れそうですが新千歳へ戻ります。

ニセコアンヌプリと羊蹄山(後方羊蹄山=しりへし山)

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 羊蹄山の南側は真狩村でジャガイモ、ユリ根、大根、ニンジンなどの農場が拡がります。

羊蹄山を降りて新千歳空港へレンタカーを走らせていると晴れてきました。左が午前に登ったニセコアンヌプリで右が羊蹄山です。日本書記の斉明天皇5年(659年)に阿倍比羅夫が後方羊蹄(しりへし)に渡嶋の政所を置いたとあります。正しくは後方羊蹄(しりへし)山です。地元自治体が、羊蹄山(ようていざん)を提案して定着したのは残念なことです。

細川たかしの像

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真狩川沿いの公園に真狩村出身の細川たかしの銅像があります。銅像の土台には5つの手形があり、手形に手を合わせると北酒場、心のこり、矢切の渡しなどの曲が流れます。

「北緯50度」がないのは残念でした。函館市北洋資料館ではぜひ流してほしい・・・。