黒部峡谷鉄道

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5時間のドライブで宇奈月温泉に到着。10時発のトロッコ列車で、黒部の温泉巡りをはじめます。トロッコ列車の車両は開放感たっぷりで涼しく楽しいアトラクションでした。黒薙(くろなぎ)駅で降り、乗ってきた列車を見送ります。

黒薙温泉

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駅から20分ほど歩きます。始発列車ではありませんでしたが、大露天風呂は貸し切りでした。深山幽谷の湯として雑誌やテレビ等でよく紹介され、宇奈月温泉の源泉でもあります。手前には女性専用露天風呂もあります。このあと、鐘釣駅では、河原の鐘釣温泉、欅平では名剣温泉と温泉三昧の一日でした。

欅平駅

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黒部峡谷鉄道は電源開発のために建設された工事用の路線で、さらに先があり、エレベーターや小型トロッコ、インクラインなどで黒部第4ダムまでつながっています。2024年、一般観光コース「黒部宇奈月キャニオンルート」としてスタートするようですが、輸送力に制限があり、完全予約制となります。

おわら風の盆

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富山の山あいの小さな町になぜこのように格調高く美しい踊りがあるのでしょうか? 八尾(やつお)おわら資料館や越中八尾観光会館の展示によると、八尾は、かつて飛騨往還の中継地で、養蚕などの交易市場町として大いに繁栄し、町衆には財力がありました。

昭和初期のおわら保存会会長の川崎医師の努力で、洗練された歌詞、若柳流の優雅な振り付け、顔を隠す編み笠、絹羽二重の男性の法被、胡弓の哀愁を帯びた旋律など、完璧なコーディネートが完成しました。踊り手は25歳までの町の若者です。写真は諏訪町の町流しです。鏡町おたや階段の舞台踊りも優雅でした。

八海山の山並み

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 日本一のお米、魚沼コシヒカリで名高い新潟県の南魚沼地方に聳える信仰の霊山・八海山に登ります。麓のペンションに前泊。電信柱のところが、知る人ぞ知る連続する三十数か所の鎖場を登攀する八ツ峰、そして右のなだらかな入道岳が八海山最高峰です。八ツ峰左下のロープウェイ山上駅から往復します。

八海山ロープウェイ

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 翌朝、ロープウェイで標高360mから山頂駅1155mまで7分で駆け上がりました。南魚沼の町や田が眼下に拡がっています。ここから八ツ峰の最高峰大日岳、さらに八海山の最高峰であり、日本二百名山の入道岳を目指します。

八海山と中ノ岳

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 薬師岳(1654m)までの標高差500mを1時間半で登ってきました。右が千本檜小屋、小屋の奥が、八ツ峰の一つ目地蔵岳と2つ目不動岳。左にわずかに入道岳。左奥のなだらかな山は、越後三山の要、日本二百名山の中ノ岳です。

地蔵岳

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 千本檜小屋でヘルメットをかぶり、八ツ峰の鎖場登攀開始です。小さなルンゼ(岩壁の割れ目地形)の鎖場を登ると一つ目の地蔵岳山頂です。大河ドラマ「天地人」のオープニングで直江兼続役の妻夫木聡さんが祈るシーンのロケ地です。

不動岳

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 地蔵岳からさほど怖くない鎖場をゆるやかに登って八ツ峰の2つ目の岩峰の不動岳です。看板には、「ここから先は非常に危険、転落すれば助かりません。」等々の記載。ここからが核心部です。七曜岳、白河岳、釈迦岳、摩利支岳、剣ヶ峰、そしてラスボスが大日岳です。

ほぼ垂直な梯子

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 若いころに、槍、劔、不帰ノ嶮、を歩いていますが、40年ぶりの鎖場です。高所恐怖症気味なのによく行ったものです。垂直に近い鎖場を登って降りて、大日岳への最後の登りは、垂直はしご&鎖でした。足元は断崖絶壁です。大日岳の名前のとおり、お日さま(大日如来・天照大神)が迎えてくださいます。

大日岳山頂

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 八ツ峰のラスボス、八番目の岩峰にして八ツ峰最高峰の大日岳(1710m)に登頂しました。像は八海山大神で八海山信仰では大日如来の垂迹神かと思います。正面は入道岳(1778m)で八海山全体の最高峰なので八海山=入道岳が日本二百名山とされていますが、ここ大日岳には八海山神社奥宮があり、南魚沼の人々は昔からこの大日岳を八海山の頂上とみなしており、事実上の八海山山頂です。

左奥は中ノ岳、右の雲に覆われている山並みは尾瀬や谷川連峰です。

大日岳と魚沼盆地

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大日岳から20~30mはあろうかと思われる岩壁を、鎖を掴んで降りてきました。後続の登山者が大日岳山頂に見えます。左は魚沼コシヒカリの産地、魚沼盆地です。この景色を眺めることが一番の目的でした。晴れて最高でした。

八ツ峰の鎖場

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最後の鎖場を振り返ります。後続の登山者が鎖をつかんで降りています。八ツ峰を形成している岩は礫岩で、海底で堆積してできた堆積岩です。300万年前にフィリピンプレートが太平洋プレートと衝突し北西に進路を変えたので、東日本では東西圧縮がおこり、日本海の海底が300万年で2000m隆起してできたのが八海山です。たくさんの小岩が固まってできているので、登降の際の手がかり足がかりとなるホールドが豊富でした。高度感はありますが、鎖をしっかり掴めば、ボルダリング経験のない私でも問題なく登降できました。

八ツ峰と薬師岳

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写真中央の岩峰群が八ツ峰、右下に連なる丸いのが薬師岳で薬師岳の向こう側にロープウェイの山頂駅があります。3時間強でここまで歩いてきました。冬に日本海からやってくる大量の雪が山頂で氷となり左右の山肌を削って、急峻な断崖ができました。自然がつくった美しくも険しい山容で、昔の人々が神仏の降臨する霊峰と崇め、八海修験が生まれたのもうなずけます。

日本二百名山、八海山の入道岳

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 さらに進むと八海山全体の最高峰で、日本二百名山の入道岳(1778m)が、目の前です。山頂の左には、同じく二百名山の中ノ岳、さらに左に日本百名山の越後駒ケ岳が見えます。八海山と中ノ岳と駒ケ岳の3つの山は越後三山とも魚沼三山とも呼ばれています。

八海山(入道岳)山頂

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八海山は中ノ岳から西へ延びる尾根上の高まりで、狭義には八ツ峰ですが、八ツ峰の東のこの丸い山のほうが標高が高く、日本二百名山の八海山の山頂は入道岳とされました。写真は西方向で大日岳とその左が魚沼盆地です。登った日本二百名山を数えてみると33座目です。百名山とあわせると133座です。

う回路から八ツ峰

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帰路は八ツ峰の西側につけられたう回路を歩きました。う回路とは言っても、長い梯子、長い鎖場、鎖を頼りに横切るトラバースなど、スリル満点の登山路です。

行きはあの岩峰の上を左から右に歩いて行ったということです。

千本檜小屋の八海山Tシャツ

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 千本檜小屋でのみ販売している限定Tシャツです。八ツ峰を歩いた記念に購入しました。この日は山上も30度近くの気温で熱中症気味になりましたが、小屋で冷たい麦茶を購入して休憩し、何とかロープウェイ山上駅へ下山しました。

直江兼続公伝世館

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八海山の地蔵岳が大河ドラマ「天地人」のオープニングのロケ地であるのは、上杉景勝と直江兼続が南魚沼出身だからです。八海山から少し南の坂戸にある伝世館には上田長尾氏の居城・坂戸城のジオラマや川中島合戦等々で武勇をとどろかせた上田五十騎の解説、直江兼続の変兜や軍扇などが展示されています。

坂戸城址

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戦国時代は、山のふもとに居館があり、背後の山に逃げ城があります。ここが上田長尾氏の居館跡で、左の石碑に、上杉景勝・直江兼続生誕の地とあります。長尾氏は桓武平氏で、現在の横浜市長尾台が出自の鎌倉御家人です。のちに関東管領上杉家の家臣となり、後北条氏に追われて越後の地にやってきたのです。

雲洞庵

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越後守護の家に生まれ、関東管領となった上杉憲実が1429年に創建した曹洞宗の寺です。この赤門からの参道には法華経が石に記されて埋められており、「雲洞庵の土踏んだか、関興寺の味噌嘗めたか」とご利益が伝承されています。

五歳の家臣

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直江兼続が主人公の大河ドラマ「天地人」の第一回。加藤清史郎さんが兼続の幼年時代の子役として出演。史実でも五歳で上杉景勝(当時十歳)の小姓として雲洞庵に入れられ、共に学び成長していきます。「わしはこんなところに来とうはなかった」の加藤清史郎さんの台詞が印象的でした。

雪国の高半

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 八海山登山のあと、越後湯沢の老舗旅館「雪国の高半」に宿をとりました。言うまでもなく、川端康成が「雪国」を執筆した旅館であり、建物は建て替えられていますが、川端が滞在した部屋はそのまま移築されています。

新潟の地酒

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 東日本の旅館では、飲み物メニューに「地酒飲み比べセット」をよく目にします。すべて火入れなしの生酒で素晴らしいのですが、左の鶴齢は、南魚沼の中でも最高の米産地とされる塩沢地区の酒米を使った無濾過生原酒です。