超絶技巧、未来へ
あべのハルカス美術展で開催中の超絶技巧アート展です。ポスターを飾っているのは、前原冬樹作「『木彫』スルメに茶碗」、一刀彫のスルメです。この日はトークイベントがあり、会場前で前原さん(私と同い年)を発見!気さくに写真撮影に応じていただきました。
月光
夏目漱石の「月がきれいですね」を形にした作品。作者は、1989年生まれの木彫作家、大竹亮峯(リョウホウ)氏です。1年に1度、夜に開花する月下美人の素材は、花びらが鹿角、花器は神代欅(ケヤキ)です。造形が素晴らしいだけでなく、花器に水を注ぐと花びらが開くという超絶技巧です。制作過程や開花の動画はSNS上で見られます。
民藝 大阪中之島美術館
建築中から外観のブラックキューブが話題になっていた美術館。内部の「パッサージュ」(遊歩空間)は贅沢な巨大空間です。
開催中の「民藝 美は暮らしのなかにある」を観覧しました。民衆的工藝=民藝を提唱した思想家の柳宗悦。名もなき職人により制作された日用品の中にしみじみとした美しさがあること、同時にその美を大切にしないと消滅してしまうかもしれないことに思い至り、民藝運動を提唱したのです。
日本民藝館「生活展」
柳宗悦は、1941年に東京・目黒の日本民藝館で「生活展」を開催。その際に民藝の品々で室内を装飾し、テーブルコーディネートを展示しました。柳が蒐集した日本民藝館の所蔵品がズラリと並び、また、岩手の鳥越竹細工や大分の小鹿田焼など、制作者の思いや制作風景を紹介するビデオ展示には、多くの人が見入っていました。
大江湿原から燧ケ岳
神戸から北陸道経由、10時間のドライブで午前5時に御池駐車場へ。仮眠して9時半のシャトルバスで沼山峠へ。40分歩いてニッコウキスゲで有名な大江湿原にやってきました。まだ1~2分咲きですが、ニッコウキスゲの向こうに日本百名山の燧ケ岳が見えました。
尾瀬沼から燧ケ岳
さらに進むと尾瀬沼の東側の湖畔に到着。梅雨明け前なので青空ではありませんが、絵葉書にも使われているところです。尾瀬沼は燧ケ岳の噴火でできた堰止湖、親子の競演です。
尾瀬沼と燧ケ岳
尾瀬沼南湖畔から水面に映る燧ケ岳も絵になるのですが、この日は曇りで風もあったので、歩くのは東湖畔のこの素敵なベンチまでとして、ここでランチを食べました。この日は桧枝岐村のいつものお宿に宿泊。早めに就寝して翌日に備えます。
帝釈山山頂
桧枝岐村の東側に日本二百名山の帝釈山(2,060m)があります。馬坂峠までの林道が整備されるまでは、東側の南会津町舘岩の猿倉登山口から田代山を越えて縦走するしか登れない秘境の山でした。馬坂峠からは標高差270m、45分ほどで360度の大展望です。
燧ケ岳と平ケ岳
帝釈山山頂からの展望です。南西側には燧ケ岳(2,356m)とその右側に平ケ岳(2,141m)が見えます。いずれも日本百名山です。
会津駒ケ岳
帝釈山山頂から、西側には、同じく日本百名山の会津駒ケ岳(2,133m)。この山は、桧枝岐村から標高差1,000m、3時間半ほどで登れます。山頂には池塘と湿原が拡がります。
日光連山
東側には日光連山が見えます。右から日本百名山の男体山(2,486m)、大真名子山、子真名子山、そして女峰山です。
会津朝日岳と飯豊連峰
北側には、左に会津朝日岳、右奥には、かすかに飯豊連峰が見えます。
田代湿原
帝釈山から東に続く稜線を歩いていくと花の百名山、田代山(1,971m)です。この山はプリンのような形をしており、山頂部は台地状で湿原が拡がります。地質的には火砕流台地に火山灰が堆積、低栄養状態のために泥炭層が形成され、湿原となったとされています。
トキソウ
トキソウの名前の由来は特別天然記念物のトキの羽の色です。前日の大江湿原で見たトキソウはもう少し濃いピンク色でした。この花は、2017年に新種として記載されたミヤマトキソウかもしれません。
サワラン
トキソウに近いランの仲間です。湿地のミズゴケの中に自生すると記されており、まさにそのとおりです。周囲には、イワカガミ、モウセンゴケ、タテヤマンンドウ、キンコウカが見られます。
田代湿原弘法沼
田代山上の台地は南から北に向かってゆるやかに傾斜しており、高層湿原の水分は、山上の北側に集まって沼となっています。木道の先のピークが会津駒ケ岳です。この雲上の楽園
は尾瀬国立公園の特別保護地区に指定されています。
キンコウカ
我が国の固有種で本州中部以北から北海道に分布、山地の湿地に生え、7月から8月が開花期です。漢字では金光花、または金黄花です。
キンコウカの大群落
以前、苗場山で見たときはチラホラ咲いていただけで、これほどの大群落になるとは思いもよりませんでした。会津駒ケ岳を借景とした黄金色の湿原を眺めていると、風の谷のナウシカの名場面が脳裏に浮かびました。「そのもの青き衣をまといて金色の野に降り立つべし」
桧枝岐村の裁ちそば
道の駅桧枝岐の食事処水芭蕉さん。天ざる2枚セットとイワナから揚げとイワナ天ぷら。天ぷらそばにイワナの天ぷらが入っているとは思わなかったので、山歩きの後とは言え、この量を山の神と2人で食べるのはちょっと大変でしたが、そばもイワナも美味しすぎ・・・。
前沢曲家集落
曲家は厩と家がくっついた伝統的建物で、この集落は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。会津の戦国大名山内氏が滅んだあとに家臣の小勝何某が移り住んで集落を造った由で、中世会津武士の隠れ里が起源とのことです。
忍城
帰路に埼玉県行田市を観光しました。秀吉の小田原攻めの際に北条方として籠城戦を展開した「のぼうの城」の忍城です。忍は武家町で行田は商人の町。行田の足袋が有名で、忍ではなく、行田市となった経緯などが展示されていました。映画関連の展示がまったくないことには少し驚きました・・・。
さきたま稲荷山古墳
右は将軍山古墳、墳丘長は90m、造られたのは6世紀中頃で、横穴式石室は付属の建物内から見学できます。左は稲荷山古墳で墳丘長は120m、5世紀後半の前方後円墳です。
一見ありふれたこの古墳からの出土物が日本の古代史を塗り替えます。
稲荷山古墳石槨
稲荷山古墳は1968年に発掘され、鉄剣、帯金具、鏡などが出土ました。出土時の状態が描かれ、解説板に簡単な説明があります。遺物は1983年に一括して国宝に指定され、古墳公園内の埼玉県立さきたま史跡の博物館に展示されています。
丸墓山古墳
6世紀前半の日本最大級の円墳です。一族の有力者の墓でしょうか。この墓は秀吉による小田原攻めの際の忍城の戦いで、石田三成が本陣を置いたことで有名になりました。写真22はこの古墳からの景観です。周囲に、水攻めのために築いた石田堤の一部が残っています。
埼玉県立さきたま史跡の博物館
5世紀後半から7世紀初めまでに作られた9基の前方後円墳はじめ大型古墳が密集する埼玉古墳群の解説とその出土遺物を展示しています。ガラスケースの中が金錯銘鉄剣で右に表裏の合計115文字についての解説、右のガラスケースには、帯金具、鏡、杏葉など。
金錯銘鉄剣
出土から10年後の1978年、保存のためのさび落とし作業中に、金色に光る部分を発見し、X線検査で表裏にびっしりと文字があることがわかりました。最上部に「辛亥年」とあり、西暦471年と推定されています。裏面には、「獲加多支鹵大王」(ワカタケルダイオウ)「斯鬼宮」(シキノミヤ)などの文字があり、磯城宮の大初瀬幼武天皇と日本書記に記されている雄略天皇の実在を証明する百年に一度の大発見となりました。熊本の江田船山古墳出土の鉄剣の文字のミズハワケ(反正天皇)と推定されていた「獲加多支鹵大王」の謎も解明され、ワカタケルが埼玉も熊本も支配していたことが明らかになったのです。