対面石
静岡県沼津市のお隣の清水町です。頼朝は源氏再興の挙兵を成功させ、富士川の戦いで勝利。その翌日、黄瀬川の本陣で奥州平泉からはせ参じた義経と、頼朝が対面したという伝説の場所です。ここには2つの石が置かれていますが、安田靫彦の黄瀬川陣(重要文化財、東京近代美術館)では頼朝は畳に座し、義経は蹲踞しています。
駿府城跡
静岡浅間神社の「どうする家康 静岡 大河ドラマ館」と駿府城公園に隣接する静岡市歴史博物館を見学し、駿府城跡発掘現場にやってきました。慶長期の天守台は69×63メートルで日本最大、その地下からは、天正期の野面積みの石垣の天守台、金箔瓦が出土しています。さらに下層からは今川期の石垣も発見されています。
丸子宿の丁子屋
東海道五十三次の20番目の宿場が鞠子(丸子)宿、静岡県駿河区です。創業は1596年、秀吉の小田原攻めから6年後です。歌川広重の丸子宿の浮世絵に「名ぶつとろろ汁」とあります。現在の丁子屋は浮世絵に似た古民家を移築しており、浮世絵そのままの外観です。
白みそと出汁で味付けされたとろろ汁を麦飯にたっぷりかけて、おいしくいただきました。
蔦の細道 宇津の山
鞠子宿と西隣の岡部宿の間が、宇津の山越え(宇津ノ谷峠越え)です。平安時代はこの蔦の細道が山越えの道でした。時代が下がって、小田原攻めのために秀吉が整備したのが旧東海道、さらに、明治のトンネルや昭和のトンネルも残っています。伊勢物語9段の第2節の駿河の国に、「道はいと暗う細きにつたかへでは茂り」が、蔦の細道の由緒で、ここは歌枕の地です。「駿河なる宇津の山べのうつつにも 夢にも人にあはぬなりけり」
鳥取城跡 吉川経家像
ゴールデンウィーク前半は天候不良でしたが、鳥取県は晴れており、歴史山歩をしました。第1弾は鳥取城跡です。山頂の本丸跡に登り、鳥取砂丘や秀吉の本陣山を眺めました。天正9年(1581)、羽柴秀吉は2万の大軍で包囲、「鳥取の渇(かつ)え殺し」として知られる籠城戦です。二百日後、多くの餓死者を出し、毛利方の守将、吉川経家は自身の自刃を条件に城兵と避難民の命乞いをします。
経家の子供たちへの遺言状が胸を打ちます。「とっとりのこと よるひる二ひゃく日 こらえ候 ひょうろうつきはて候まま 我ら一人御ようにたち おのおのをたすけ申し 一門の名をあげ候 そのしあわせものがたり おききあるべく候 かしこ つね家 あちゃこ かめしゆ かめ五 とく五 まいる 申し給え」
投入堂
三朝温泉から車で10分、三徳山(900m)の麓から中腹に境内をもつ三佛寺。鳥取歴史山歩の第2弾は「日本一危険な国宝」と言われる投入堂です。投入堂は柱状節理の垂直の崖の窪みに建てられており、役小角が法力で投げ入れたとされています。木材の年輪年代法では平安時代後期の建立と判明しています。
文殊堂の鎖場
投入堂への道は修験の道です。友人ないしは家族と2人以上でないと入山が許可されません。境内から投げ入れ堂までの標高差は250m以上。小さな子供さんも登っていますが、この中間部の鎖場は垂直に近い一枚岩を鎖1本で登り降りしなければなりません。
谷川天狗堂の山菜料理
道路沿いの駐車場から境内への参道の途中にある豆腐や山菜料理が名物の食事処です。山菜の天ぷらや佃煮、手作りのお豆腐など、心のこもった手料理の数々は最高の味わいです。
船上山
鳥取歴史山歩の第3弾、船上山は大山の外輪山の北東端に当たります。柱状節理の断崖が600m続き、船をひっくり返したような形が名前の由来です。山頂部には広い溶岩台地が拡がり、往時には山岳宗教の寺院が立ち並んでいました。1333年、後醍醐天皇は、隠岐の島を脱出し、名和長年に庇護されて山頂部に行宮を置き、建武の新政の礎を築きました。
千丈覗き
道路は船上山の右の肩に通じており、山上台地に近い場所に登山口駐車スペースがあります。30分ほどのハイキングで行宮跡のある山上台地に登れます。そこから5分ほど降れば、柱状節理上部の絶景ポイント「千丈覗き」です。先端へは怖くていけませんでした。
月山スキー場
ゴールデンウィーク後半、初日は月山を山スキーで登ります。月山の南側の登山口、姥沢への道路が開通するのは春。月山スキー場は毎年4月10日にオープンします。姥沢駐車場で仮眠し、8時から動き出した月山ペアリフトで登ってきました。早速、スキーにシールを貼って右奥の山頂にむけて登りはじめます。
月山の大斜面
山頂までのコースタイムは2時間です。今年は雪が少なく、山頂手前の一部には雪がないようです。スキーで登れるところまで登り、あとはスキー靴で登らなければなりません。
月山から朝日連峰
だいぶ登ってきました。振り返ると正面遠くの白い山脈が朝日連峰です。この先の鍛冶月光という坂を登ったところで、雪のない地面となってしまい、スキーを脱ぎました。その昔、月山派の刀工たちは毎春、参拝登山をし、9合目に鍛冶神社を祀りました。その手前の急坂が鍛冶月光です。湯殿神社への坂道が神社から見て左側、即ち、月光菩薩側なので、月光坂と名付けられ、出羽三山で月光と言えば坂を指すようになりました。
月山の山頂台地
百名山、月山(1,984m)の山上は広い台地です。手前は月山小屋、奥は月山神社です。リフト終点からの標高差は474m、2時間強でした。台地の端に、奥の細道の旅で、羽黒山・月山・湯殿山を参拝登山した芭蕉の碑があります。「雲の峰 いくつ崩れて 月の山」
月山スキー滑走
登るのはけっこうしんどいのですが、大斜面を滑る楽しさを味わうとなかなかやめられません。転倒して怪我をすると山岳遭難扱いになりますから、慎重に滑ります。
前神室山から神室山
この日は山形市内に宿泊。翌日、午前3時半にホテルを出て、2時間のドライブで神室山の西ノ又登山口に着きました。6時前にパノラマコースという尾根道を歩き始め、3時間で標高差912mを登り、前神室山(1342m)に着きました。正面の黒いのが神室山です。
神室山から月山と鳥海山
神室山は秋田・山形県境にある日本二百名山で、春には残雪とブナの緑が美しく、日本海側には、左に月山、右に鳥海山が見えます。稜線手前のざんげ坂は、この時期、雪壁の急坂で軽アイゼン装着でやや緊張しましたが、稜線に上がると期待していたとおりの絶景です。
前神室山と鳥海山
神室山の山頂手前から振り返ると右に前神室山、左奥に鳥海山。鳥海山はどこから眺めても実に美しい山です。
神室山山頂
前神室山から1時間、登山口から4時間で登頂しました。東側は、手前右が虎毛山、左が高松岳。正面奥が栗駒山、左奥に焼石岳。なお、虎毛山は、タイガースファンが優勝祈願のために集団登山をしたことがあり「虎の聖地」と呼ばれているそうです。
川原毛地獄
この日は横手に宿泊。翌日は、秋田県湯沢市の噴気地帯、川原毛地獄と下流の大湯滝を散策しました。恐山、立山、川原毛地獄を日本三大霊場と言うそうです。川原毛地獄、子安峡温泉、泥湯温泉は、三途川カルデラ内にあり、高松岳がカルデラの中心とのことです。
子安峡大噴湯
子安峡渓谷の地層の割れ目から98度の熱湯が噴き出しています。遊歩道に向けて真横に噴き出しているところもあります。ゴーッという噴出音、岩盤を流れる熱湯、立ち込める蒸気、地下のマグマを実感できる素晴らしい源泉です。みやげ処のいぶりがっこは地元のお母さん方の手作りとのことで、見るからにおいしそうであり、買って大正解でした。
強首温泉樅峰苑
大正6年に建築された豪農の館で登録有形文化財に指定されています。当主の小山田家は17世紀以来の村の肝煎で、江戸時代は藩主の宿泊所を務めており、資料館には貴重な古文書や佐竹公使用の茶弁当(箱)等が展示されていました。温泉はヨウ素を含む珍しい泉質、食事は雄物川の川ガニや鯉の甘露煮、ゼンマイのかやき(貝焼)など秋田の郷土食でした。
秋田市立赤れんが郷土館
旧秋田銀行は重要文化財で昭和60年から郷土館として活用されています。管理棟3階にある勝平徳之(かつひらとくし)記念館では秋田の自然や風俗を版画で表現した見事な作品群を鑑賞できます。
秋田竿灯のねぶり流し館
ねぶり流しは秋の収穫前に睡魔を人形(ひとがた)に委ねて祓い流す祭りが起源です。ねぶり流しが灯籠流しとなり、それが変形して竿燈まつりに発展したとのことです。秋田市内のこの展示館では、子ども用の竿燈を支える体験ができます。
秋田県立美術館
安藤忠雄設計の建物はエントランスの吹き抜けの階段や千秋公園を眺める水庭のミュージアムラウンジなど魅力に溢れています。2,3階吹き抜けの展示室では、藤田嗣治の大壁画「秋田の行事」(高さ3.65m、幅20.5m)が圧倒的な存在感を放っています。
勝平と藤田、秋田の風俗や祭りを見事に表現した至芸に心満たされる時間でした。