紅葉の中尾山古墳
奈良県明日香村の八角墳です。八角墳は7世紀以降の大王(天皇)陵に特徴的な古墳で、この古墳は以前から文武天皇の檜隈(ひのくまの)安古(あこの)岡上(おかのえの)陵(みささぎ)ではないかと注目されていました。世界遺産登録を目指す「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」の構成遺産として調査され、11月下旬の土日に現地説明会がありました。
埋葬施設
石室ではなく、切り石を組み合わせた横口式石槨で、内部に火葬骨を納めた蔵骨器を安置した後に閉塞石をはめて手前の墓道を版築で埋め戻したそうです。奥に鎌倉時代の盗掘孔があり、右奥の隅石(柱石)は盗掘でなくなっています。
墳丘と外周石敷上の沓形石造物
墳丘が3段、外周の石敷が3重です。写真と反対側の発掘場所に石敷が八角形の内角である135度に並んでいるところが出土していました。沓形石造物は鎌倉時代の墓泥棒たちが落として、その後、土に埋もれたおかげで私たちの目前にあらわれました。左側が135度になっており、見えている面を上面にして他の7個とともに墳頂部に八角形を形作っていたのでしょう。古墳の石材は戦国時代、城の石垣に転用されていることが多く、他の7個を大和郡山城の石垣の中に探せば見つかるでしょうか?
国吉城
ここは織田信長と朝倉義景の金ヶ崎の戦いの際、織田信長の本陣となりました。福井県三方郡美浜町にあり、写真の本丸跡は標高197.3m。東西に若狭湾を望み、東側の峠の向こうは敦賀です。山麓には若狭国吉城歴史資料館がありそこから20分のハイキングです。
国友鉄砲ミュージアム
滋賀県長浜市の国友町は堺、根来と並び称される鉄砲の生産地です。種子島への鉄砲伝来の翌年、早くも天文13年(1544年)、将軍・足利義春は国友村に鉄砲製造を命じ、職人たちが6か月で作り上げたという記録が残っているそうです。大河ドラマ「麒麟が来る」で使用された国友の鉄砲が展示されていました。
丞天閣美術館
京都相国寺の美術館です。相国寺は足利義満創建の禅宗寺院で金閣寺や銀閣寺は相国寺の塔頭です。歴史的・学術的に価値のある書画等を多数所蔵しており、今回は長谷川等伯の竹林猿猴図屏風(重文)や狩野探幽の観音図などを鑑賞できます。
小野竹喬・春男 堂本印象美術館
小野竹喬は風景を描く日本画家でその明るい色彩は見る人を癒してくれる暖かさにあふれています。息子の春男の絵は信州上田の無言館ではじめてみましたが、菱田春草を思わせる繊細なタッチの「茄子」は素晴らしく、戦死したことは残念でなりません。晩年の竹喬が描いた空には鎮魂の思いがこもっているように見えました。
立命館大学国際平和ミュージアム
堂本印象美術館から南へすぐにあります。展示はテーマ1「十五年戦争」テーマ2「現代の戦争」テーマ3「平和をもとめて」の3部構成になっています。入ってすぐの右手には「ペンを銃に持ち替えない」決意を象徴する「わだつみの像」があります。
天野山金剛寺
河内長野にある金剛寺は行基を開祖とし空海が修行した古刹です。平安後期には鳥羽天皇の皇女、八条女院が祈願所とし、女人高野として信仰されました。写真右奥の本堂には、6mほどもある慈愛に満ちた表情の大日如来像と快慶の弟子、行慶による不動明王像と降三世明王像の三尊が鎮座しており、2017年に国宝に指定されたばかりです。大日如来像は興福寺南円堂の不空羂索観音像と同じお顔立ちで年代からも康慶作でしょうか?
雅楽 伶楽舎
伊丹アイフォニックホールでの演奏会です。伶楽舎は民間の雅楽演奏団体でCDや演奏会が数々の音楽賞を受賞しています。「越天楽」や源氏物語・紅葉賀(もみじのが)で光源氏と頭中将が舞った「青海波」など、音響の良い小ホールで優雅な音色を堪能しました。
宇陀松山城
飛鳥時代から阿騎野と呼ばれ柿本人麻呂がかぎろひの歌を詠んだ宇陀市です。伝統的建造物群保存地区に指定されている松山地区には森野吉野葛本舗や藤沢薬品ゆかりの「薬の館」などがあります。地区から20分で登れる宇陀松山城跡は続日本百名城です。
くずきりとくずもち
宇陀の国道沿いにある葛の館は森野吉野葛本舗が運営する直売店で茶房が「葛味庵」です。
葛切りも葛もちもつくりおきができないため注文してからカウンターの向こうでつくってくれます。風味、舌触り、食感がたまりません。