車山SKYPARKスキー場

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 車山は諏訪湖の北に位置し、山頂からは八ヶ岳、南アルプス、富士山を眺めることができます。1965年にできたスキー場のリフトが山頂へ運んでくれるので、徒歩1分で登頂できます。山塊全体の名称および百名山としての名称は霧ヶ峰で、その最高峰が車山(1,925m)です。ちなみにエアコンの霧ヶ峰は1967年の発売です・・・。

中っ原縄文公園

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 八ヶ岳南側山麓の5000~4000年前の縄文遺跡で、国宝の縄文土偶5点の中の「仮面の女神」が出土しています。出土状況はジオラマで再現されていますが、残念ながら冬季閉鎖中でした。土偶の実物は、遺跡近くの尖石縄文考古館に「縄文のヴィーナス」とともに展示されています。当時小学生だった息子が考古館での体験土偶づくりで、「仮面の女神」を上手につくりました。今も我が家の書棚に飾ってあります。

扉温泉

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 向坂逸郎訳「資本論(岩波書店)」の訳者まえがきに「『資本論』の訳稿は、信州松本の扉で始められ、ここで終わった。」とあります。また『愚者の道』という随筆集の中の「山の宿」や「美ヶ原」にも「私はこの宿を書斎と心得ているのである。」「毎年夏になると扉に行く。」「長いときに百二十日から百三十日くらい毎年すごしている。」とあり、宿の人々との交流や、ここから美ヶ原へ登ったことなども綴られています。  

扉温泉明神館はルレエシャトー加盟旅館へと変貌を遂げていて、躊躇しましたが、向坂逸郎ゆかりの温泉宿ということで宿泊してみました。ウェルカムドリンクのスパークリングとスイーツのオランジェットやストロベリーゼリーをラウンジで味わった後、案内された部屋の床の間には向坂逸郎の書があり、不思議な感じがしました。スタイリッシュな温泉からの自然の眺めは昔と同じ景色なのでしょう。

弘法山古墳

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 扉温泉から塩尻インターへ向かう途中の小山の上に全長66mの弘法山古墳があります。発見されたのは昭和49年(1974年)で、墳頂から河原石で築かれた石室が現れ、石室上から出土した多量の土器と完存していた副葬品から、3世紀末(古墳時代初期)の築造で、東日本最古級の前方後方墳と判明しました。出土品は松本市立考古博物館に展示されています。前期古墳の多くは領地を見渡せる高台に築かれています。古墳に行くと大抵は「貸し切り」なのですが、北アルプスの展望台として人気のスポットになっているようで、多くの観光客でにぎわっていました。

グランデコスノーリゾート

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 裏磐梯にあるスキー場で吾妻山塊の西大巓(にしだいてん1,982m)の南側斜面に作られています。美しい林の中に快適な中斜面が続き4,500mを滑走できます。スキー場の中間部では、北に西大巓と西吾妻山(2,035m、百名山)を、南側に磐梯山(1,816m 百名山)を眺めることができます。

グランデコから山スキーで西大巓へ

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 スキー場から磐梯山を眺めることが当初の目的でしたが、直前になって西大巓に登ると360度の大展望を得られることに気づいたので、山スキーでいくことにしました。9時間のドライブでグランデコへ、8時半に動き出したクワッドリフトを3つ乗り継いで9時過ぎにスキー場のトップに到着。滑り止めのシールをスキーに貼り、9時半から登り始めました。樹林帯を抜けてさらに標高を上げると磐梯山の左側に猪苗代湖も見えてきました。最近トレーニングもしていないので1時間半もかかってようやく山頂がみえましたが、予報に反して上空は雲に覆われてしまいました。

西大巓の山頂

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 樹林帯ではルートファインディングにとまどい、途中でシールがはがれるトラブルもあって、登頂に2時間弱もかかりました。吾妻山塊の上空は雲に覆われていますが、周囲は晴れており、水平線レベルは360度の展望がありました。上は磐梯山、中が安達太良山、下は西吾妻山です。雪は少なくアイスバーンの斜面もあり、スノーシューやアイゼンのほうが楽に登れるコンディションでした。

西大巓から東北の名峰たち

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 私と同じ山スキースタイルのグループが登ってきました。厳冬期にはパウダー滑走をしているというスキー上級の皆さんです。北側には左から飯豊連峰、朝日連峰、はるかかなたに月山も見えます。中の写真が飯豊連峰のアップですがきれいな青空です。残念ながら、吾妻山塊の上空のみ雲に覆われているようです。

西大巓から福島の名峰

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 山スキーグループは西吾妻山を目指して出発していきました。私はスキルもありませんし徹夜ドライブで体力も不安なのでここで引き返します。写真をとるために、山頂の南側に移動しました。真ん中が安達太良山で、下が磐梯山です。磐梯山の右側が猫魔ヶ岳でその手前には檜原湖も見えています。

残念なスノーモンスター

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 西大巓から西吾妻山はスノーモンスターで有名なのですが、山頂南側の樹木の雪氷はすっかり溶けており、山頂北側にわずかにゴジラの面影が残っていました。少し上空が明るくなったので晴れないかしらと50分待ちましたが晴れません。中が西吾妻山、下は、左から飯豊連峰、朝日連峰、月山。上の写真の左下にグランデコのスキー場コースが見えています。アイスバーンや樹林帯の中をあそこまで降りなければなりません。横滑りや後ろ滑りでどうにかこうにか1時間ほどでスキー場に戻りました。

中ノ沢温泉と中ノ沢こけし

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 スキー場トップから20分ほど滑ってベースへ戻り、レストランで山菜うどんを食べて元気を回復しました。外へ出ると西大巓上空は晴れています。山アルアルでした。スキーの1日券を買ったので、もうひと滑りしてから、車で中ノ沢温泉に移動しました。山の神は宿のフロントで大きな中ノ沢こけしを見てごきげんです。大好きな中ノ沢温泉、濁り湯の露天風呂でまったり。山の神がお買い上げを熱望されていた「こけし最中」は売り切れで・・・残念でした。

猪苗代湖

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 猪苗代町の野口英世記念館は数年前に入館していますが、猪苗代湖畔は初めての訪問です。白鳥を期待しましたが、時期が遅かったようです。日本で4番目に大きな湖は、30,000~46,000年前に起きた磐梯山噴火の山体崩壊による岩なだれで、唯一の流出河川となる日橋川の谷が埋められ、堰き止め湖として誕生しました。なお、裏磐梯の湖沼の景観も1888年(明治21年)の噴火時の山体崩壊によるものです。火山は恐ろしい災害をもたらしますが、絶景と温泉という恩恵を与えてくれます。

土津(はにつ)神社

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 会津藩祖、保科正之公を祀る神社で奥の院が墓所です。「土津」は神道の奥義を極めた会津藩主という意味です。若松城(鶴ヶ城)の鬼門、磐梯山南麓に鎮座しています。保科正之は家光の異母弟ですが、お江が側室を認めていなかったので、密かに育てられ、高遠藩の養子となり保科姓に。善政と人柄を家光に評価され、32歳で会津藩23万石へ転封、ここでも殖産興業や農民が困窮したときのために穀物を備蓄する社倉制を設けるなど善政を行います。家光の死後、遺命により4代将軍・家綱の輔佐役(大政参与)。46歳、明暦3年(1657年)の明暦大火時には知恵伊豆といわれた松平信綱らとともに福祉政策・災害救済対策・都市整備などに注力し庶民を救済しました。

日進館

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 保科正之は家訓(かきん)十五ヶ条を定め、教育にも力を注ぎ、後の藩校「日新館」の基礎をつくりました。戊辰戦争で日新館は消失しますが、市街の山手に再現されています。六歳から九歳までの藩士の子供たちは町ごとに十人前後で「什(じゅう)」という集まりをつくり、その集団の決まりごとが「什の掟」で「ならぬことはならぬものです」で結ばれています。薩摩藩には「郷中(ごじゅう)教育」というしくみがあったことを思い出しました。八重の桜のポスターも懐かしいですね。

イクサガミ

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 『イクサガミ』は、明治初期を舞台に“元武士292名が京都から東京まで命を賭けて戦うデスゲーム”を描いたNetflixオリジナル時代劇で、昨年11月から公開されています。日新館がロケ地として使用されました。主演の岡田准一をはじめ、堺雅人、染谷将太、松坂桃李、杏、江口洋介など、豪華な出演者です。

東山温泉「向瀧」

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 登録有形文化財指定の旅館には何とも言えない趣があります。有名な玄関はじめ廊下や庭園などすべてに風情があります。会津藩の上級武士が湯治に来たというきつね湯は45℃の源泉かけながしです。この宿には、伊藤博文、竹久夢二、与謝野晶子、

野口英世などが逗留し、書や和歌を残しています。

会津郷土料理

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 「こづゆ」「にしんの山椒漬け」「鯉甘煮」など郷土料理を堪能しました。野口英世が宿泊した際に揮毫した「美酒佳肴」の扁額が特別室に飾られているそうです。向瀧のスタッフの皆さんが榮川酒造で醸すお酒が「美酒佳肴」として提供されています。

右上は猪苗代町の店でいただいた馬刺しです。熊本・長野・会津が「日本三大馬刺し」で、戦争や飢饉が馬肉食のきっかけだったようです。会津の馬刺しは力道山がプロレス興行で来た際に、若松市街の食堂で生食したのが始まりだそうです。2021年、百名山の百座目、飯豊山に登った前日の夕食は坂下ドライブインの馬刺しでした。

会津漆器

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 奥州仕置に伴い蒲生氏郷(がもううじさと)が会津藩主となり黒川の名称を故郷の氏神の森の名前にちなんで若松としました。この時に近江の木地師や塗師を連れてきたのが会津漆器の始まりで、産業として保護育成したのは保科正之でした。会津塗の特徴は「花塗」といって、アマニ油や荏油を混ぜた漆で上塗りをし、研磨をしないので柔らかい艶が生まれます。刷毛痕が目立たないように上塗りをするには熟練の技が必要とのことです。漆器に詳しくはないのですが、いい色だなあと思いました。

野口英世青春通り

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 写真下の左は、若き日の野口英世が左手の手術を受けた後、書生として住み込みで働き、医学や語学を学んだ会陽(かいよう)医院です。現在、1階は風情のある喫茶店、2階が野口英世青春館として博士ゆかりの資料が展示されています。

会津絵ろうそく

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 菊や藤、牡丹などの草花の絵が色鮮やかに描かれた会津の伝統工芸品。室町時代の1,449年に蘆名氏第十一代の盛信が漆樹(うるし)の栽培を勧め、漆塗りとともにその実から採れる蝋(ろう)でろうそくを作らせたことが始まりといわれています。

江戸時代には「南天と福寿草(難を転じて福となす)」の描かれた絵ろうそくが、将軍綱吉に絶賛され、明治にはウイーン万博に出展され、宮内省が買い求めました。会津の婚礼の際には絵ろうそくが灯され、『華燭の典』の語源とも言われています。

戦後、バーナード・リーチと浜田庄司が会津を訪れた時、この小澤ろうそくの手仕事を絶賛し、会津を代表する民藝として紹介したそうです。私どもがお店を訪問した直前にNHKの取材があったと伺いました。4月1日に「美の壺」で放送されました。

蒲生氏郷の墓

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藤原秀郷流の蒲生氏は近江日野を根拠地とし、六角氏の家臣でした。信長上洛の時に、氏郷は人質として信長の小姓となり、目をかけられ、配下の武将として数々の武功を挙げます。本能寺の変の後には秀吉に仕え、松阪に商業重視の城下町を形成、会津には日野や松阪の商人や技術者を移住させ、会津発展の基礎を築きました。

蒲生氏郷には多くの逸話があります。会津若松城の別名の鶴ヶ城は蒲生氏の家紋と秀郷の幼名に因んだものです。利休七哲の筆頭で利休切腹後、その子の少庵を会津に匿い千家復興に尽力しています。キリシタンであったことや、起き上がり子法師を藩士の内職としてつくらせたという逸話もあります。そんな氏郷ですが40歳で病死してしまいます。死因は大腸がんまたは肝臓がんと言われています。墓の手前の石碑に時世が刻まれています。「限りあれば咲かねど花は散るものを 心短き春の山風」