ノンヌオックビーチ・ダナン

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 ベトナム中部のダナンを起点に、世界遺産のフエ、ミーソン、ホイアン等々を見学してきました。写真はダナンビーチの初日の出です。

ダナン マリオットリゾート

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 海と一体化したインフィニティプールをホテルにはじめて取り入れたのはスリランカの建築家ジェフリー・バワでそのホテルはスリランカのヘリタンス・アフンガラです。ダナンマリオットのプールには、海側にデッキチェアや植栽がありインフィニティではありませんが、ビーチを借景にした実に美しいプールでした。

カイディン帝廟

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 ベトナムはハノイを中心とする北部、ダナンやホイアンの中部、ホーチミンを中心とするメコンデルタの南部に分けることができます。歴史的には、北部がキン(ベト)族、中部がチャム族、南部はクメール族が支配的な勢力でしたが、1802年にベト族の阮氏が、南北統一王朝の阮朝(越南)を建国し、ダナン北方のフエに王宮や帝廟を建設しました。阮朝はフランスの傀儡になりながらも1945年まで続きます。

カイディンは第12代皇帝で在位は1916~25年。フランス統治下の親仏の皇帝で、文字を漢文からクオック・グーに改めました。このフランス様式の豪華絢爛な帝廟は1920年に起工され、死後6年経過した1931年に完成しました。フランスの傀儡王朝の皇帝が増税で自身のために建設した帝廟ですが、今では、ベトナム初の世界遺産「フエの建造物群」の構成資産として観光に貢献することとなりました。

トゥドゥック帝廟

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 阮朝第4代皇帝トゥドゥック帝(在位1847~83)の帝陵で大きな蓮池を中心に陵墓や寝殿があり、皇帝存命中には離宮として使用されました。在位中の1858年にフランス軍は14隻の軍艦と3000人の兵士でダナンを占領。1862年のサイゴン条約で南部3省の割譲、ダナン港、フエ港、メコン川の使用権を獲得します。皇帝はフランスの侵攻を許したことを恥じて自らの帝陵を謙陵と名づけました。石碑には、フランスとの協定の経緯や幼時に天然痘に罹患したために実子ができなかったことや将来の国の繁栄を祈念するなど、皇帝自らが記した文章が刻まれています。

ティエンムー寺(天姥寺)

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 広南朝時代1601年の建立、フエで最も古い寺院の一つで世界遺産の構成資産です。フエを象徴する建造物とも言われる八角形七層高さ21mの仏塔「慈仁塔」は1845年に阮朝3代皇帝のティエウチ帝が建立しています。

寺の奥の建物にクラシックカーとして人気のあるイギリスのオースティンがあります。ベトナム戦争時、フエは南部のアメリカ傀儡政権「ベトナム共和国」に属しており、ゴ・ジン・ディエム大統領は仏教を弾圧していました。ティエンムー寺のティック・クアン・ドック僧侶は、1963年にサイゴン(ホーチミン)まで、展示されているこのオースティン車で行き、新聞記者に事前告知した上、アメリカ大使館前で、自らガソリンをかぶって焼身自殺(供養)を行ない、抗議運動を世界へ発信しました。

グエン朝王宮(フエ王宮)

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 紫禁城をモデルに建設された王宮で世界遺産、午門(ゴーモン)は王宮の南にある高さ19mの正門です。1805年に初代ザーロン帝が築いた見張り台「南関台」を2代ミンマン帝が1833年に改築しました。1968年のテト攻勢で多くの建物が破壊されましたが、牛門、太和殿、建中殿などが修復・復元されています。ツアーではユネスコ無形文化遺産で雅楽に似たフエ宮廷音楽(ニーニャック)は見学できず残念でした。

五行山(マーブルマウンテン)

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 ダナンにある大理石でできた5つの山を阮朝2代ミンマン帝が陰陽五行説に基づき五行山と名づけました。そのうちの一つ水山の山中には多くの中国風の仏教寺院が点在し、エレベーターが設置され山頂部へ運んでくれます。仏像が祀られているフィエンコ洞窟の壮大な空間の上部にはアメリカ軍の空爆による穴があり、皮肉にも太陽光が美しく降り注ぎます。別の洞窟には、チャンパ王国(182年-1832年)時代のヒンドゥー教のレリーフがあり、どの時代にも「聖地」とみなされたようです。

ダナン・チャム彫刻博物館

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 当時のチャンパ王国の首都フエ出身の仏教僧の仏哲は、唐の長安へ遊学し、天平8年(736年)には、遣唐使船で日本へ渡ります。天平勝宝4年(752年)の東大寺大仏開眼法要では舞楽を奉納、「菩薩」、「抜頭」などといった林邑楽(インド系雅楽)を日本に伝えました。阿部仲麻呂は761年-767年の6年間、唐の安南節度使としてハノイに在任しており、北部は唐の支配下でした。

ベトナム中部ではチャム族主体のチャンパ王国(林邑)が繫栄し、中国よりもインドの影響を受けてヒンドゥー教が盛んとなります。ダナンの南西にある世界遺産のミーソン聖域(8-13世紀)にはヒンドゥー教の寺院が林立し、発掘・発見された彫像や碑文などが、ダナン市内のこの博物館に展示されています。

ダナン博物館

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 2025年4月にリニューアルオープンした博物館です。最初の映像コーナーでは1975年3月29日のダナン解放時の様々な写真が印象的です。自然や考古学や生活スタイルの変遷などにつづき、フランス軍のダナン上陸が大画面で上映されます。

ベトナム解放50年

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 アメリカは1954年のジュネーブ協定を無視して南ベトナムに傀儡政権をつくり、トンキン湾事件をでっちあげて北爆を開始します。アメリカによるベトナム侵略戦争は、ホーチミン作戦により4月30日にサイゴンが陥落して終結します。小学生のときにアメリカ軍のひどい攻撃シーンを連日のようにテレビで見ました。中学1年生の時、社会の先生が「みなさん、今日は歴史的な日です。」と興奮気味に語ったのをよく覚えています。ホーチミンの看板は2025年12月29日にタンソンニャット国際空港で撮影しました。ダナン博物館でも多くのスペースをさいて、独立闘争、第1次インドシナ戦争、ベトナム戦争の展示がありました。「独立と自由ほど尊いものはない」(ホーチミン)。正義は暴力に勝利しましたが、数百万人の犠牲者をだしました。

ダナン博物館の少数民族展示

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 ベトナムには53の少数民族が暮らしており、その人口は1440万人で全人口の15%とのことです。少数民族の文化を尊重しつつ、経済的格差に配慮してインフラ整備につとめている様子がみてとれます。ほかにも、宮廷古典劇(トゥオン)やライスペーパーづくり等々が紹介されており、興味深い展示にあふれた博物館でした。

ベトナム ダナン市の街角

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 若い人が多く、道路はバイクであふれています。信号はほとんどなく、うまくわりこんで前に進む交通ルールです。歩行者が道路を横断するにはアイコンタクトでバイクや自動車を減速させて同じスピードで歩き渡るのがコツです。右上は保育所のお迎え風景、バイクは夫婦と子供2人の4人乗りまで認められている由です。Grabというアプリでバイクやタクシーを呼ぶのが定番で、使いこなしている日本人観光客もいますが、私たちはホテルや博物館やカフェでスタッフに頼みタクシーを呼びました。ダナンのタクシー料金や飲食代は日本の物価の半額から3分の1でした。

ミーソン遺跡

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 182年から1832年まで、現在のベトナム中部にあった、チャム人によるチャンパ王国の8~13世紀のヒンドゥー教寺院群の遺跡です。チャム人はべト族(キン族)などに圧迫され、現在では、ベトナムに17万人、カンボジアに31万人の少数民族になっています。ベトナムのアンコールワットといえばイメージしてもらいやすいかもしれません。現地の展示館はJICAの技術協力で完成したとのことです。

ホイアン名物料理

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 チャンパを南に駆逐したフエ王朝(広南国)時代にホイアンは貿易港として栄え、中華街や日本人町が形成されました。写真はホイアン名物料理で、ベトナムと中国と日本の文化が調和・融合したできた料理とのことです。右上のカオラウは朱印船でやってきた日本の商人が伝えた伊勢うどんがルーツという説があります。確かに似た味でした。左上のホワイトローズはおしゃれなエビワンタンでした。

貿易陶磁博物館とペーパークイリングの絵

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 世界遺産のホイアン旧市街にある19世紀の民家が博物館になっており、食器や花瓶等の陶磁器や当時の貿易船の模型が展示され、中庭は京町屋のようです。各国語の堪能な障害者がペーパークイリングを制作されており、来遠橋(らいえんばし)(日本橋)の描かれているホイアン情緒たっぷりの絵などを購入させてもらいました。

ホイアンの旧市街

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 インバウンドであふれる大混雑の飛騨高山と同じ状態です。シルクのランタンが名物です。右下の福建会館は華僑の集会所兼寺院で航海の守り神である媽祖を祀っています。右中のフンフンの家は築200年の貿易商の商家で、柱は中国、壁はベトナム、屋根は日本が混ざり合った独特の様式で建てられています。大火のため現在の建物は19世紀以降のもので、朱印船貿易当時の日本人町の建物は残っていません。

ホイアンの来遠橋(日本橋)

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 1593年に日本人が建設した瓦屋根つきの石橋です。来遠の名は、1719年に広南国王が論語の「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」から名付けたそうです。この橋も創建時のものではなく、19世紀以降の再建とのことですが、ベトナムの2万ドン紙幣(=120円)の裏に描かれており、ベトナムでは名所と認知されているようです。橋の柱にあるランタンにはカタカナで「ホイアン」と書いてありました。

ホイアンのトゥボン川

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 往時、日本や明やポルトガルの貿易船は河口から7km上流のホイアン港まで遡上しました。しかし、土砂の堆積で川は浅くなり、港の機能はダナン港に移ってしまいます。経済的に衰退したことで戦禍を免れ、今では旧市街とトゥボン川は観光資源として、夜のライトアップと灯篭流しが、多くの観光客を魅了しています。

馬冑(ばちゅう)出土で有名な大谷古墳

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  午年なので大谷古墳に行きました。5世紀末頃の全長約70メートルの前方後円墳で、紀ノ川河口北側の丘陵にあります。墳頂からの眺めは一族の領地を見下ろす絶景です。写真左下、副葬品の馬冑(ばちゅう)、馬甲(ばこう)などの馬具(ばぐ)が有名で、顔面を覆う馬冑は日本で3例、朝鮮半島で10例ほどしか出土していません。古代豪族紀氏一族で、朝鮮半島に出陣した武人の墓と考えられています。

3世紀の倭国を記述した『魏志倭人伝』では、「其地無牛馬虎豹羊鵲」(その地には、牛、馬、虎、豹、羊、鵲なし)とありますが、馬の骨や歯は、4世紀末から九州・関東で、古墳時代中期には馬具が、その後、関東では埴輪馬が出土します。『日本書紀』応神15年に、「百済の王、阿直伎を遺して、良馬二匹を貢る」とあり、応神の在位を5世紀初め頃とすれば、400年頃、高句麗の騎馬部隊に完敗した後に、国策として馬を輸入繁殖し、馬具は当初は輸入だったでしょうか? 日本在来馬はDNA解析から、古墳時代に百済から対馬経由で導入された蒙古系家畜馬とされています。。

稲むらの火の館

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 安政南海地震(1854)に和歌山県広川町を襲った大津波の際、村の実業家・濱口悟陵が田に点在する稲むら(稲の束)に夜間に火をつけ、逃げ遅れた村人を高台に誘導した実話に基づいた物語が「稲むらの火」で、11月5日は津波防災の日に制定されました。小泉八雲が小説化し、中井常蔵の訳文は小学校の教材となっています。非常に見ごたえのある施設で、万人に見学を勧めたいと感じました。

南方熊楠顕彰館

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 南方が後半生を過ごした田辺市の旧宅に隣接する展示館です。天皇陛下に進講したときに粘菌(変形菌)をマッチ箱に入れて献呈した破天荒なキャラのおじさんというイメージでしたが、彼の生涯と「知の巨人」であったことがよくわかりました。生涯で『ネイチャー』誌に51本の論文を掲載、これは現在に至るまでの最高記録だそうです。ロンドンで孫文と意気投合したり、ディキンズと『方丈記』を共訳したり、柳田國男と文通し書簡で「植物棲態学 ecology」という言葉を用いたり・・・。ただ、独学だったため粘菌についての論文はなく、新種も他の学者が論文にして発表しています。蒐集して自己流に記録することで彼は満足だったように見えます。

椿温泉

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 白浜の南隣の温泉です。30年前ダイビングをした後、椿温泉元湯の日帰り入浴を楽しみました。pH9.9アルカリ性の単純硫黄泉で、すべすべの美肌の湯です。残念ながら元湯をはじめ何軒かあった旅館はすべて廃業となっていました。小規模ですがおしゃれな最近できた宿泊施設に泊まってみました。泉質もロケーションも最高でした。

天神崎

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 ナショナル・トラスト運動の先駆けとして有名な「天神崎」に行ってみました。田辺湾の北側に突き出た岬で、日和山を中心とする緑豊かな丘陵部と干潮時に顔を出す平らな岩礁で形成されています。この素晴らしい自然景観が開発から守られてよかったと思います。西側はウユニ塩湖のような写真がとれると話題になっています。

ふるさと自然公園センター

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 今回の南紀の旅の主目的地を訪問します。田辺市街の北側に「ひき岩群」と呼ばれる奇岩の絶景地があります。ここは、「ひき岩群」の東側の入口にある、地形と植物相などこの地の自然を紹介する小さな博物館です。「ひきがえる」が並んでいるように見える岩山の地形は独特の生物環境をも形成しました。南方熊楠はこの地域をしばしば訪れて、多くの植物、特に粘菌(変形菌)を採集しました。

吉野熊野国立公園「ひき岩群」

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 吉田類さんの「日本百低山」というテレビ番組でここを知りました。砂岩、礫岩、泥岩が隆起し傾斜し風化してできた地形で「ひきがえるが並んでいるような岩」にも見えますし、三角定規が並んでいるようにも見えました。地質学ではケスタ(左右で非対称な勾配をもつ地形)と呼ぶそうです。落ち込んだところを歩くとジメジメしており、恐竜時代の森に迷い込んだようなちょっと不気味な感じでした。

吉野熊野国立公園の核心は、大台ケ原、大峰山、熊野川、那智山ですが、2015年に、三段壁、千畳敷、天神崎等とともに「ひき岩群」も国立公園に編入されました。

「ひき岩群」自然観察路

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「ひき岩山群」は東西1.5km、南北1.0kmに拡がる岩山の丘陵地で、標高はせいぜい100mくらいです。中心からやや北側にある一つの岩山のピークに登り、一旦、低地に降りて、今度は丘陵の南西部に東西に延びる岩山にとりつき、その稜線を縦走するように、岩肌を削って遊歩道が整備されています。砂岩の岩山は滑りにくく、緩い斜面は容易に昇り降りができ、楽しい「岩山遊び」ができました。並びたつ「ひき岩」(三角定規)とともに、田辺湾やみなべ方向の海も見えて、絶景でした。

道の駅 みなべうめ振興館

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 帰路、南高梅で有名な南部町の観光施設に立ち寄りました。1階は歴史民俗資料、2階は梅の資料館で、南高梅や、梅や、梅干しの由来・歴史など。小野妹子が鳥梅を持ち帰ったとか日本最古の医書の医心方に村上天皇が梅干し昆布茶で回復した話がある等々・・・。3階は物産館で、みなべ町のすべての(?)梅干し生産者の梅干しが売られており、どれを購入すればいいのか迷いました。