駒形どぜうと浅草寺

安全センター総会後に東京を観光します。駒形どぜう(どじょう)は1801年創業の老舗です。どじょうを丸ごと煮込む「丸鍋」が名物で、ささがきごぼうと煮て卵でとじた「柳川鍋」よりも、どじょうそのものの味わいが感じられます。
芝全交は蔦谷重三郎と同い年の戯作者で、1791年に刊行された黄表紙の京鹿子娘鯲汁(きょうかのこむすめどじょうじる、娘道成寺のダジャレですね)に、十六文(300円くらい?)のどじょう汁を食べる人々を描いています。時そばのそばと同様当時のファストフードだったようです。ところで、駒形どぜうの現代の「丸鍋」のほうは、ファストフードではなく、ちょっとお値段のはるグルメとなっています・・・。
浅草寺本堂の天井画が気になってあとで調べると堂本印象と川端龍子でした。写真を撮っておけばよかった・・。写真右下、浅草寺の二天門は、1649年頃、浅草寺の東門として建立され、第二次世界大戦の戦火にも焼け残った貴重な建築物で重要文化財とのことです。ここから境内をでて大河ドラマ館にむかいます。
江戸たいとう大河ドラマ館

台東区民会館9階に大河ドラマ館がオープンしています。横浜流星さんという俳優さんが素晴らしい。それと小芝風花さんの瀬川かっこよかったですね。
「お前は吉原のために何かしているのか」(田沼意次)「お前さんは書をもって世を耕すんだよ」(平賀源内)は、印象的なセリフでしたね。耕書堂と吉原細見がリアルに再現されていました。ドラマでは曲亭馬琴と葛飾北斎の出会いが描かれ、喜多川歌麿の「大首絵」も登場しました。脚本も時代考証も実に素晴らしく楽しめますね。
大阪・関西万博 ファイナル

4月、会場は閑散としており、あのときに住友館に入っていれば全館制覇できていたのに・・・。夏以降数回予約チャレンジするもすべて敗退しました。それで、並べば入れる中国館に再度入ってみました。乾隆帝好みの色彩には癒されます。
お昼は、入口がわかりにくいのが幸いして、行列の短いアメリカ館のレストランに入ってバーガーを食べてみました。バーガーでした・・・。バーガーのあとはデザートへ。愛想のよいお兄さんたちが頑張っているパキスタンレストランの隠れメニューはマンゴーかき氷。これが美味、2回目のマンゴーかき氷がファイナル万博でした。
すみだ北斎美術館

別の週末に、また東京で慢性腎臓病の講演会があり、学習前後に美術館などを訪れました。すみだ北斎美術館の印象的な建築は、21世紀金沢美術館やシグネチャーパビリオン「Better Co-Being」の妹島 和世さんの設計。特別展「北斎をめぐる美人画の系譜」という展覧会が開催されていました。右上は北斎が勝川春朗と名乗っていたころの処女作のひとつ「四代目岩井半四郎 かしく」。中段左上、喜多川歌麿の「歌撰恋之部 物思恋」。その下は、北斎には珍しい大首絵「風流無くてなゝくせ ほおずき」。左下は40代後半の「新年風俗図」。右下は娘の応為とともに散らかった部屋でひたすら描き続ける北斎のジオラマです。時々手が動くのでビックリしますよ。
両国国技館

北斎美術館から移動して、初めての国技館です。柱のない巨大空間に驚きました。おみやげを予約しなくても色々なお弁当も生ビールも買えます。マス席に2人で座るとゆったりできますが割高になるのは仕方ないですね。歌舞伎も同様ですが、せっかくの1階席ですが、半分より前のマスでないと土俵からはやや遠かったです。
貴景勝引退相撲

どちらかと言えば小柄な貴景勝関、怪我を抱えながらよく頑張られました。先に引退した同世代の阿武咲に「俺たち頑張ったよな」と声をかけた逸話は有名になりましたね。引退相撲のハイライトは断髪式ですが、初切(しょっきり)や相撲甚句も楽しく、本場所と同じように幕の内や横綱の土俵入りがあり、形式的ではありますが十両と幕内の取り組みもあって、初めての国技館を満喫しました。
国立歴史民俗学博物館

夜の講演会で学習した翌日は佐倉にある博物館へ行きました。展示物はほとんどがレプリカですが、我が国の歴史と民俗学で重要な事項をジオラマも使って体系的に展示しており、半日以上見学しましたが、すべての解説を読むことはできませんでした。平安貴族の御帳台や装束、洛中洛外図に基づいた京の町並み、北前船やその積み荷、宇出津あばれ祭神輿など、国立博物館ならではの展示を満喫しました。
CREATIVE MUSEUM TOKYO

佐倉から直通バスで八重洲に戻りました。アーティゾン美術館に隣接する「TODA BUILDING」の6階に、ソニー・クリエイティブプロダクツによる「CREATIVE MUSEUM TOKYO」が昨年11月にオープンしていました。アニメ、マンガ、音楽といったポップカルチャーや現代アート、デザインなどの展覧会が開催されています。「マンガ」と「アニメ」の原点としての「HOKUSAI」展を観てきました。
ぜんぶ、北斎のしわざ でした 展

北斎は晩年の「富嶽三十六景」に代表される風景画が有名ですが、ありとあらゆる物、森羅万象を描いています。19歳から勝川派で役者絵を学び、34歳からは俵屋一門で琳派を学び、39歳で独立。1805年45歳、曲亭馬琴と提携して読本の作画をはじめ、1807年47歳「椿説弓張月」で、現代アニメに通じる集中線や効果線を描き、超絶技巧かつ力強い描写で彼の真骨頂を表します。その後も1815年55歳「北斎漫画」、1823年63歳「富嶽百景」、1830年70歳「富嶽三十六景」と傑作を描き続けました。
知名度は低いもののまさに元祖アニメと言える「椿説弓張月」「新編水滸画伝」などの読本挿絵、そしてもう一つ、構図やデザインのアイデアに溢れる「富嶽百景」、この2つの作品群にスポットをあてた発見と感動の展覧会でした。
この展覧会に北斎の娘、葛飾応為の作品はありませんが、大森立嗣監督で長澤まさみ主演の「お-い、応為」が10月17日公開なのでその宣伝が会場の最後にありました。2017年NHKの特集ドラマ「眩~北斎の娘~」(くらら ほくさいのむすめ)での宮崎あおいさんの好演を思い出しました。
栂池自然園

栂池から登って白馬大池を初めて見たのは大学2年生の夏でした。後立山連峰を針木岳までテントで縦走したのは懐かしい思い出です。最近では春スキーで白馬乗鞍に2回登っています。北アルプス北部が晴天予報なので山の神と栂池自然園を紅葉散歩しました。白馬岳の火山活動で断層ができ平坦面に高層湿原が形成されたものが、栂池自然園や天狗原とのことです。ロープウェイで行ける標高2000mの楽園です。
燕温泉日本秘湯を守る会の宿

燕温泉から妙高山に登ったのは2016年でした。その時、登山口に秘湯を守る会の宿があることに気づきました。以降、妙高周辺の黒姫山や飯綱山を登るたびに泊まらせてもらっています。栂池から車を走らせ戸隠を越えて妙高へ移動しました。到着したらすぐに温泉へ。山菜料理と地酒と濁り湯とオーナーのお人柄、満点の宿です。
富山市民俗民芸村

ゆっくり帰宅ドライブの予定でしたが性分ですね。富山で寄り道しました。農具を展示する民俗資料館、国重要有形民俗文化財指定の製薬用具や行商用具を展示する売薬資料館、民衆的工芸品や富山の民藝資料を展示する民芸館と合掌館、さらに陶芸館や考古資料館など、すべての建築が江戸後期から明治の移築農家や移築板蔵で、展示物も見ごたえがありました。
富山市篁牛人記念美術館

現地で美術館に入って、2021年12月の日曜美術館で大倉集古館での篁牛人(たかむらぎゅうじん)展が「発掘!放浪の水墨画家篁牛人(たかむらぎゅうじん)」として放映されたのを思い出しました。「黒潮の画譜 異端の画家 田中一村」も日曜美術館の「発掘」でしたね。ただし、彼の場合は生前に東京や京都で個展が開催されており、没後に有名になった田中一村よりは幸せだったと言えそうです。寒山拾得、老子出関、西王母、山姥と金時、など水墨画や禅画の伝統、和漢の故事・伝説を踏まえつつ、独自の境地を開拓し強烈な個性を放つ作品群でした。建物も素晴らしく、検索すると建築は菊竹清訓事務所で九州国立博物館や島辺県立美術館の設計者でした。





