瑠璃光院

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 京都市街の北東、比叡山の八瀬に佇む「瑠璃光院」を訪問しました。写真は書院の2階からの紅葉で、室内に配された黒漆塗りの机への反映が見事です。なお八瀬の語源は壬申の乱で矢を背に受けた大海人皇子(天武天皇)が当地で傷を癒し、矢背が八瀬になった由です。

実相院門跡

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 京都市街の北、岩倉にある実相寺は荒廃していましたが、徳川家光の援助により足利義昭の孫の義尊が再建します。現在の本堂は江戸中期に御所から移築された女院御所で内部に多数ある狩野派の襖絵が立派です。写真は床紅葉の部屋の外側の庭です。左の本堂の部屋の中からの景色が有名な実相院の床紅葉となりますが、残念ながら撮影禁止でした・・・。

源光庵

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 この日最後に、京都鷹峰の源光庵を訪れました。禅宗の寺で現在の本堂は元禄7年の創建です。写真の左が「悟りの窓」で『禅と円通』の心を表わし、円は大宇宙。右は「迷いの窓」で『人間の生涯』を象徴し、生老病死の四苦八苦を表わすとのことです。

和歌山県立博物館・近代美術館

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 黒川紀章設計で1994年の竣工、きれいな建物です。画面中央には惜しくも解体された「中銀カプセルタワービル」の1室が屋外展示されています。常設展では熊野詣、雑賀衆、紀伊藩、本居宣長・花岡青洲、などの展示で新しい発見がありました。

聖地巡礼

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 本年は「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されて20周年でした。その記念展が「聖地巡礼」で、第Ⅳ期展が開催されています。門外不出とされていた国宝の熊野速玉大神坐像と夫須美大神坐像はテレビの「日曜美術館」「国宝へようこそ」で紹介されました。

中国に造仏を学んだ日本ですが、平安の仏師が彫った神像の荘厳さに感銘を受けました。

和歌山城

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 この地に城を最初に築いたのは豊臣秀長(藤堂高虎)。そして浅野行長、徳川頼宜らが二ノ丸、西の丸を整備。天守閣は1846年に落雷で焼失するも徳川治宝(はるとみ)が再建。空襲で再度焼失し、現在の天守は鉄筋コンクリートの再建ですが、御橋廊下に映えます。

わかやま歴史館

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 2階の歴史展示館の北側は、秀吉による雑賀衆の籠る太田城への水攻めや和歌山城の歴史、そして紀州藩の茶の湯や能楽など武家文化の展示です。「石橋」の復曲をビデオで鑑賞できます。南側は南方熊楠、松下幸之助など和歌山出身の先人の展示です。不平等条約の改正に尽力した陸奥宗光の書は南宋の岳飛の漢詩です。堂々とした美しい字でした。

養翠園(ようすいえん)

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 江戸時代後期、文政元年(1818)に紀州10代藩主徳川治宝が造園した池泉回遊式庭園です。品川の御浜御殿と同様の汐入の池で黒松主体の庭園であることより三条実美の祖父三条公修(きんおさ)により「松の翠(みどり)を養う園」すなわち「養翠園」と名付けられました。中国蘇州の西湖の蘇堤に倣った三つ橋や狐山(こざん)に倣った狐山(きつねやま)を設けて不老不死の仙人が住むという蓬莱山を見立てています。

万葉館

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 和歌の浦の干潟を外海と隔てる砂洲は、山辺赤人(やまべのあかひと)の」和歌にちなんで、片男波(かたおなみ)と呼ばれています。ここに万葉館があり、紀伊万葉を解説しています。シアターでは里中満智子によるオリジナルイラストで有間皇子の悲劇が上映されています。入口には梅原猛の揮毫による山辺赤人の玉津島3首の陶板があります。

和歌の浦

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 片男波の砂洲の先端部から和歌の浦と名草山です。埋め立てられて住宅地となってしまったのは致し方のないことですが、赤人の和歌の風景を想像することはできました。

    和歌の浦に 潮(しお)満ち来れば 潟(かた)を無み 

葦辺(あしべ)を指して 鶴(たづ)鳴き渡る(山辺赤人)