猿蓑塚

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  初しぐれ 猿も小蓑を ほしげなり  

元禄2年、芭蕉は奥の細道の旅を終えた後に伊勢遷宮祭を訪れます。そして年の瀬に、伊勢から長野峠を越えて故郷の伊賀へ向かうのですが、その際に詠まれたのが芭蕉の最高傑作のひとつとされるこの句です。

榊原温泉

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 枕草子に「湯は ななくりの湯、有馬の湯、玉造の湯」とあります。榊原温泉の少し南東に七栗神社の名前が見えます。アルカリ性の湯は「まろき美肌の湯」と評判で、31度の冷泉は夏に最適でした。以前は温泉が自噴していたようで、平安時代には恋の病に効く湯として、江戸時代には伊勢参りの湯垢離の地として栄えました。斎宮がこの地の榊を伊勢神宮に献上したのが榊原の由来で、徳川四天王の一人、榊原康政ゆかりの地でもあります。

津市香良洲(からす)歴史資料館

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 以前は一志郡、現在は津市。雲出川の三角州が香良洲町でここにかつて予科練教育を専門に行う三重海軍航空隊がありました。多くの若者が短期の飛行訓練の後に出撃、大戦末期には特攻。3階の遺品室には遺書・遺影が並びます。

 「赤い血潮の予科練の・・・」の作曲は古関裕而。古関は土浦海軍航空隊に1日入隊して「若鷲の歌」を作曲した由です。戦後に、「この歌に刺激され、何万という青少年が予科練に志願し・・・いたく責任を感じ、只、英霊の冥福を祈るのみである」(古関裕而)

鈴鹿市伝統産業館・石水博物館・津城

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 伝統産業館では伊勢型紙と鈴鹿硯を見学できます。

石水博物館は伊勢の豪商、川喜多家の16代当主、川喜多半泥子が設立した博物館で、川喜多家のコレクションと実業家・政治家としての傍ら、陶芸家として「昭和の光悦」と称賛された半泥子の作品が展示されています。粉引茶碗など実に上品で味わい深いがあります。

津城は関ケ原合戦での激戦地、江戸時代に藤堂高虎が改修し、立派な石垣が残っています。

二百名山 樽前山

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 新千歳空港からレンタカーで5合目へ。7合目への道路が工事通行止めで、登山自粛が呼びかけられており、標高差790m、往復15.5kmです。おまけに12時39分の登山開始なので、静かな山旅となり、山頂部カルデラは貸し切り状態でした。最終のマグマ噴火は1,909年(明治32年)、最終の水蒸気噴火は1,981年(昭和56年)。幸い噴火なし・・・。

写真6:樽前山点描

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 右上から時計回りに、樽前本山(溶岩ドーム1,041m)、カルデラ、風不死岳、支笏湖、イワギキョウ。樽前はアイヌ語でタオルマエ、崖の高い所、樽前川を指しています。駆け下りて17時過ぎに下山。18時に登別温泉に到着してすでに温泉三昧の山の神さまと合流です。

大湯沼・大湯沼川足湯

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写真上の大湯沼は日和山の爆裂火口の底から130℃の硫黄泉が噴出しており、表面温度は50℃、世界的にも珍しい周囲1kmの天然の湯沼です。危険なので大湯沼は立ち入り禁止ですが、流れ出た川のやや下流が40℃の適温で大湯沼川足湯(写真下)となっています。温泉街から緩やかな遊歩道を登ること30分、早朝5時半なので貸し切りでした。

登別地獄谷

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 アイヌ語のヌプルペツ(水色の濃い川)が登別の語源です。1905年(明治38年)日露戦争傷病兵の保養地に指定され全国区になりました。源泉地帯の地獄谷も大湯沼同様、爆裂火口で、1日1万トンという豊富な湯量と9種類の泉質でまさに「温泉のデパート」です。

有珠山・昭和新山

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 右上から時計回りに、ロープウェイから眺めた洞爺湖と羊蹄山。昭和新山を観測した郵便局長の三松正夫像、ロープウェイ山頂展望台、そして、昭和18年に麦畑から噴火して2年で盛り上がった昭和新山、左上は山頂遊歩道から眺めた大有珠(733m)です。

神仙沼・五色温泉

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 天候不良にて山登りをあきらめ、ニセコ湖沼の一つ、神仙沼に行きました。寒冷のため植物が腐敗せず泥炭層を形成してできた高層湿原で高山植物の宝庫です。駐車場から遊歩道を歩いて25分ほどで気軽に行くことができます。五色温泉はニセコアンヌプリやニセコ高原・湖沼の登山口。曇天ですがニセコアンヌプリを眺めながらの入浴はたまりません。

洞爺湖・火山科学館

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 明治の有珠山噴火の際に洞爺湖畔に温泉が湧き、ホテルが立ち並んでいます。洞爺湖は東西11km、南北9km、日本で3番目に大きなカルデラ湖で、形成は11万年前。見えている中島は5万年前の溶岩ドームです。火山科学館では周期的な有珠山の噴火と噴火予知による防災の歴史が展示と映像で説明されています。ビジターセンターでは洞爺湖や有珠山の成り立ちと動植物の営みを学ぶことができます。

ウポポイ 民族共生象徴空間

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 北海道の先住民であるアイヌ民族。歴史、言語、衣食住などの生活様式、用の美を放つ道具の数々、カムイに感謝をする祭りとその精神世界など、世界的にも稀にみる素晴らしい文化を持った民族です。誤った同化政策で消滅させてしまうところでした。

 国立民俗博物館での展示解説、伝統芸能の上演、木彫りや刺繍の体験プログラム、慰霊施設など充実した施設です。「ウポポイ」は「おおぜいで歌うこと」を意味します。

焚火ダイニングカフェ・ハルランナ

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店名は「ハルランナ!食べ物が降るよ!」カムイと人間がいっしょに楽しむ行事を指すアイヌ語だそうです。鹿肉、北海道ラム、白老牛の焚火ローストをいただきました。フレンチレストラン「ル・ミュゼ」のプロデュースで、ウポポイの入り口にあります。

知里幸恵 銀のしずく記念館

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 アイヌ民族であり「アイヌ神謡集」を著した知里幸恵(ちりゆきえ1903~1922)は登別(ヌプㇽペッ)で生まれました。序は「その昔この広い北海道は、私たちの祖先の自由の天地でありました。」で始まります。全文をお示しできず残念ですが、19歳の少女がこんな素晴らしい文章を綴るのかとその洞察力と文才に感動します。

 ‘’Shirokanipe ranran pishkan、konkanipe ranran pishkan‘’ 「銀の滴降る降るまはりに 金の滴降る降るまはりに。」ノートには「あたりに降る降る銀の水・・・」と記されており、推敲の後に、かの有名な「銀の滴」の日本語訳となったことがわかります。昨年が生誕120周年、出版100周年だったのですね。「アイヌ神謡集」をお勧めします。

史跡 北黄金貝塚

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 2021年登録の世界文化遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産で伊達市にあります。縄文前期(約6000~5000年前)の遺跡で、台地上の貝塚と低地の水場遺構があります。貝塚には貝・魚・鹿・オットセイの骨、そして人の墓もあり、ゴミ捨て場ではなく「すべての生き物の墓地」というアイヌの人々に繋がる感謝と祈りの場所でした。水場もすり石や石皿など道具が生まれる神聖な場所として、感謝と再生を祈った場と考えられています。

 右下の写真の左はクジラの骨でつくった世界最古の刀との説明がありました。

だて歴史文化ミュージアム

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 伊達政宗のいとこ(伊達成美)を祖とする亘理伊達家は、明治初期に有珠の地に開拓団として入植しました。伊達市の由来です。ミュージアムは有珠モシリ遺跡のクマ彫刻のスプーンや鹿角製の銛(約2,000年前、いずれも重要文化財)などの続縄文文化遺産と伊達成美所用の黒漆五枚胴具足や正宗直筆の書状などの伊達の武家文化遺産を展示しています。