小佐渡山地

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 佐渡には日本三百名山の金北山があり、島全体がジオパーク、トキが復活し、順徳上皇や世阿弥が流され、もちろん金山もあり、見どころ満載の島です。8時間のドライブで新潟へ。佐渡フェリーの駐車場料金は1日800円、2等は片道2,690円。始発6時のフェリーの2等スペースで2時間仮眠の後、両津港手前にて、フェリーの左側に小佐渡山地を眺めます。

二の岳の通信施設と金北山

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 両津港で予約したレンタカーの手続きをして大佐渡山地を横断するドライブウェイの展望台で登山口でもある白雲台に向かいました。そこから防衛相が管理する車道が金北山まで続いており、登山目的の徒歩での立ち入りは自由です。少し歩くと、左に二の岳、正面に金北山が見えます。

ガメラレーダー

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 こちらはコースのすぐ横にある妙見山にある自衛隊のレーダーで航空機やミサイルを監視しているそうです。亀の甲羅のような模様からガメラレーダーと名付けられています。

防衛相管理道路

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 山登りという感じはなく、まさにお山歩です。白雲台から金北山まで距離は4.5km、標高差は500mです。

妙見山と真野湾

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 山頂手前から振り返ると右側に二の岳の通信施設群と、その左に妙見山のガメラレーダーが見えます。見えている海は佐渡島の左側(西側)にある真野湾です。

金北山山頂から国中平野

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 佐渡島最高峰の金北山(1171.9m)は、元々は北山と呼ばれていましたが、1601年、佐渡金山が発見された後、金北山と改名されたとのことです。白雲台から1時間半でした。平野は国中平野、右は真野湾で左には加茂湖と両津湾、正面が小佐渡山地です。

二ツ亀

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 佐渡島は、3000万年前に大陸プレートから分離したものの日本海に沈んでいた部分が、300

万年前からのフィリピンプレートによる東西圧縮で隆起してできた島です。様々な岩石で成り立っており、海岸では多くの絶景が見られます。

二ツ亀の手前の島は柱状節理のある粗粒玄武岩で1~3億年前に太平洋の海底でできた崖下の白い泥岩に2000~3000万年前の日本海の海底火山のマグマ由来の玄武岩が貫入してできたそうです。陸繋島と言って、ちょうど干潮で砂の道(砂洲)でつながっています。トビシマカンゾウの咲き乱れる大野亀とともに佐渡を代表する海岸の景勝地です。

小木港のたらい船

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 佐渡島の南側の海岸は浅い海が入り組んでおり、サザエ漁などに、小舟よりも小回りの効く「たらい船」が使用されました。小木港、元小木、宿根木で体験できます。宿根木では、味噌樽を半分に切って造っていたとして「半切り」と紹介していました。「千と千尋の神隠し」にも登場していましたね。

宿根木の三角家

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 江戸時代に北前船で繁栄した宿根木。入江に面して船板壁の民家が密集する集落は国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されています。土地にあわせて船大工が建てた三角家は吉永小百合さんがモデルの観光ポスターにも使用された宿根木を象徴する建物です。

佐渡博物館

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 「金とトキの島でたどる3億年の旅とひとの暮らし」をテーマに、地質、考古学、文化、歴史を紹介しています。3億年前の地層を基盤としている佐渡島、岩石好きにはたまらない展示です。

佐渡金山 道遊の割戸(われと)

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 江戸初期の露頭手掘り跡です。佐渡金山の入り口に行くと、道遊坑(所用40分)と宗太夫坑(所用30分)の2つのコースがありますが、両方行くのが正解です。幕末までは、上杉氏の家臣にちなみ、青柳の割戸と呼ばれていたようですが、露頭掘りの後、深部採掘用に道遊によって道遊坑が掘られ、それに伴い道遊の割戸となったようです。

宗太夫坑

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 1601年に新たな金鉱脈が発見され、徳川家より大久保長安が代官として派遣されます。彼の家臣に岩下惣太夫という人物がおり、宗大夫坑と名付けられたようです。実物大の人形が多数配置され、江戸時代初期の作業が再現されています。

資料館の金鉱石

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 坑道見学後は資料館に入ります。写真は金鉱石の展示ですが、メインは鉱石から金を取り出し、小判を製造するまでのリアルなジオラマ展示です。資料館の一番人気は12.5kgの純金延べ棒の取り出し体験コーナーです。時価1億円の金塊に触れることができます。

きらりうむ佐渡

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 相川にある真新しい佐渡金銀山ガイダンス施設です。佐渡には3つの鉱山があります。11世紀から砂金採りが続いた西三川砂金山、1542年発見された鶴子銀山、1596年に発見された相川金銀山です。4つの映像コーナーで見るだけで概要を理解することができます。

佐渡奉行所

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 発掘による成果に基づき、再現された奉行所です。相川金銀山(佐渡金山)で新たな鉱脈が見つかったのが1601年ですが、1603年には大久保長安が陣屋、後の奉行所を相川の地におきます。

勝場(せりば)

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1759年からは、相川町中に散在していた勝場を一箇所に集めた寄勝場(よせせりば)という選鉱工場が奉行所の敷地内に設けられます。金鉱石を鉄槌で砕き、石臼で磨り潰し、水槽で金を採取し、舩(水槽)の底の沈殿物は「ねこ流し」にて木綿に金を付着させます。

北沢選鉱場のライトアップ

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 昭和15年に完成した浮遊選鉱場の跡は夜にライトアップされます。宿泊した旅館から無料の見学用送迎バスに乗りました。兵庫県には明延鉱山の神子畑(みこばた)選鉱場跡がありますね。

黒木御所跡

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 承久の乱は幕府側の勝利となり、後鳥羽上皇は隠岐の島に、次男の順徳天皇は佐渡島に流されます。順徳院は24歳から46歳で崩御するまでの22年間を、この黒木御所で過ごしました。20歳時の和歌は百人一首の最後の和歌として藤原定家に取り上げられています。

   百敷や 古き軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり

 この地で詠んだ辞世の和歌は

   思いきや 雲の上をば 余所に見て 真野の入り江に 朽ち果てむとは  

正法寺 世阿弥の腰掛石

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 黒木御所にほど近い正法寺に、室町時代、一人の芸術家が流されてきます。世阿弥です。

世阿弥は足利義満に寵愛されましたが、6代将軍義教には弾圧され、72歳のときにとうとう佐渡へ流されます。寺宝として伝わる鎌倉後期作とされる「神事面べしみ」は世阿弥が雨乞いの舞に使ったとされています。

朱鷺の道から

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 国中平野の中央に拡がる水田の真ん中を東西に貫く道路は朱鷺の道と名付けられており、田んぼでドジョウやカエルなどのエサをついばんだり、飛んで移動するトキを見ることができます。

トキの森公園

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 トキ資料展示館では保護増殖、野生復帰の取り組みなどの資料が展示されています。トキふれあいプラザは生育環境を再現したケージの中のトキを比較的近距離で観察できます。朝夕の採餌時間にはガラス越しに近接して採餌姿を観察できるようです。

野生のトキ

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 トキのテラスの北側の水田で、放鳥され自然の中で生活しているトキを見つけることができました。水田にはトキのために水が残されており、農家の人々は無農薬や低農薬の稲作に取り組んでいます。

トキのテラス

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 里山の小山の上にあるトキを望遠鏡で観察するための施設です。屋内にはトキの生態を説明するパネル展示もあります。

1871年(明治4年)大英博物館のグレイによりトキはNipponia nipponと命名されます。しかし、美しい羽を目当ての乱獲や農薬使用などのために、日本のトキは2003年に絶滅します。

トキ放鳥地

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 1981年、中国でトキが発見されます。1985年、中国からトキの貸し出しが開始。1989年中国が人工ふ化に成功。1999年、贈呈されたトキによって日本での人工繁殖に成功。そして2008年に、繁殖させた10羽のトキがこの地で放鳥されます。2012年には自然界でヒナ誕生。現在、佐渡島および本土にて約500羽が自然界にて生存中。写真の山は大佐渡山地で正面には金北山が見えます。

佐渡おけさ

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 おけさ節は越後の酒席での「はやり歌」で、「おけさ」という女性にちなむ歌詞を甚句やハイヤ節の節で唄っていました。一方、相川の金山の鉱夫が歌う選鉱場節が、明治に「相川おけさ」に、1921年(大正10年)の全国民謡大会で「佐渡おけさ」にと、おけさという言葉を借用したようです。はじめての本場のおけさ節は旅情たっぷりでした。