入笠山(にゅうかさやま)山頂
諏訪湖の東側、富士見パノラマリゾートのゴンドラ山頂駅から山頂まで2km、1時間弱のハイキングコースとなっています。標高は1995m、日本三百名山。山頂部は広々としており360度の展望台です。冬季は雪山トレッキング入門の山として人気があります。
入笠山から八ヶ岳全景
夏はスズランで有名な入笠湿原を通り、冬もランチ営業のマナスル山荘前から、標高差200mを登れば山頂です。右の南八ヶ岳から左の蓼科山まで、八ヶ岳連山を一望できます。
南八ヶ岳アップ
正面左に八ヶ岳の主峰である赤岳2899m、日本百名山です。その左に阿弥陀岳。正面の右に権現岳。学生時代に縦走した山並みです。右下のL字型は富士見高原スキー場。
蓼科山と北横岳
八ヶ岳連山の左端は北八ヶ岳と呼ばれる山々です。左の富士山型の山が日本百名山の蓼科山(2,531m)。その右は北横岳。明日は北横岳に登る予定です。
南アルプスと富士山
南東方向には南アルプス、右から仙丈ケ岳、北岳、鋸(のこぎり)岳、正面の最も高いのが甲斐駒ヶ岳、鳳凰三山。さらに左に富士山。鋸岳は二百名山、他はすべて百名山です。
富士山アップ
富士山アップで写すと肉眼で見るよりもくっきりと模様が見えました。
サルオガセ
山頂一帯の樹林帯の針葉樹からとろろ昆布のように何か垂れ下がっています。サルオガセといって地衣類で藻類と菌類の共生体。空気中からの水分と光合成で生きています。
富士見パノラマリゾート
山頂から40分ほどで、スキー場トップのゴンドラ山頂駅に戻ってきました。ここからはスキーで帰ります。八ヶ岳を眺めながらの3kmのダウンヒルでした。
北横岳から南八ヶ岳
翌日はビーナスラインを蓼科山方面へ。北横岳ロープウェイで、標高2,237mの横岳坪庭山頂駅へ。そこからアイゼンをつけて小1時間で北横岳山頂(2,480m)です。正面は南八ヶ岳、右に南アルプス、さらに中央アルプス。画面右3分の1のあたりの山肌に見える白いスジが、昨日訪れた、富士見パノラマリゾートです。
南八ヶ岳アップ
正面やや左が、八ヶ岳の主峰、百名山の赤岳(2,899m)、右が阿弥陀岳。
蓼科山
山頂から北側には蓼科山。女性的な山容です。野菊の墓で有名な伊藤佐千夫はしばしば蓼科温泉を訪れ、蓼科山を女の神山と見て次のように詠んでいます。
信濃には 八十の高山 ありと云へど 女の神山の 蓼科我れは
北横岳ロープウェイ山頂駅
山頂駅付近まで戻ってきました。右に御嶽山。左は中央アルプスで、その中央が木曽駒ケ岳、左に空木岳(うつぎだけ)。山頂駅前で、デポしていたスキーに履き替え、ピラタス蓼科スノーリゾートのロープウェイ沿いの4kmのコースを滑って下ります。
ゴンドラと蓼科山
コースは中間部でロープウェイと交差します。ゴンドラの左は蓼科山、右はさきほど登った北横岳です。山上駅からこのあたりまでは樹氷コースという名前でしたが、標高が高くパウダースノーでした。
藤森照信「空飛ぶ泥船」
建築家藤森照信が故郷茅野市に造った茶室です。背景の山は八ヶ岳。ここには高過庵と低過庵という茶室もあり、遊び心たっぷりの3つの茶室にほほえんでしまいます。神長官守矢資料館ほか、味わいのある建築作品群なので、公園として整備されたらと
思いました。
原田泰治美術館
諏訪湖畔にある美術館です。原田泰治さんは諏訪市で生まれ伊那で育った画家・グラフィックデザイナー。1歳で小児麻痺に罹患し、車いすで日本の原風景を描き続けました。昨年3月に亡くなられましたが、やさしい風景画の数々は人々を魅了し続けることでしょう。
高島城
小田原攻めの後、家康は関八州へ移封され、諏訪は家康に臣従していた諏訪家から、秀吉の家臣である日根野氏の支配となります。日根野氏が新たに築城したのが高島城で、諏訪湖畔に島状にせり出していたので「諏訪の浮城」と呼ばれていました。江戸時代に諏訪氏が復帰し、高島城は幕末まで諏訪氏の居城でした。北斎の富嶽三十六景に描かれる景勝地であり、模擬天守の最上階からは南に諏訪湖、北には富士山がうっすらと見えていました。
神子柴遺跡(みこしばいせき)の石器群
伊那市創造館で「日本で最も美しい石器」を鑑賞しました。後期旧石器時代末期から縄文草創期への移行期、1万5千年ほど前の遺跡で、1958年に発掘されました。局部磨製石斧、打製石斧、尖頭器など非常に高い技術で作られた87点の石器群は国重要文化財に指定されています。狭い範囲から整然と出土した遺跡の性質について多くの解釈があるようです。
顔面付釣手形土器
創造館のもう一つのお宝。伊那市御殿場遺跡の竪穴式住居から出土した縄文時代中期4700年前の土器で高さは39.5cmです。内面にタールが付着しており、照明のための土器として祭祀に使われたのではないかという説があります。これも国重要文化財です。
飯田城本丸跡
長野県南部「南信州」の中核都市であり、天竜下りで有名な飯田に立ち寄りました。武田信玄はここから峠を越え、遠州・三河へ攻め込みました。江戸時代は堀氏の城下町です。城址には、日本民俗学の創始者 柳田國男の書屋が東京都世田谷から移設されていました。
菱田春草誕生の地
城址には美術博物館もあり、伊那谷の自然と文化を展示する博物館と飯田出身の日本画家、菱田春草の美術館があります。美術館は「菊慈童」「春秋」など40点の春草作品を収蔵しています。東京国立近代美術館で初めて「王昭君」を見たときの感動は忘れられません。