男三瓶(おさんべ)と子三瓶(こさんべ)
三瓶山は島根県にある200名山で、標高1,126mの男三瓶を主峰に、女三瓶、子三瓶、孫三瓶などの峰々が円形に連なる活火山です。最終噴火は4000年前です。東の原登山口を日の出前に出発して、時計回りに周回しました。孫三瓶から、子三瓶と男三瓶を眺めます。
男三瓶山頂
山頂から西方向は石見銀山や温泉津方面です。三瓶山は「出雲国風土記」の国引き神話に佐比賣山(さひめやま)の名で登場し、神がこの山に綱をかけて新羅から島根半島を引っ張ってきたとされています。「佐比賣」は「オオゲツヒメの末娘」または「鋤を持つ乙女」という説があります。女性的な山容の三瓶山からの自然の恵みに感謝する名前だと思われます。
三瓶山
女三瓶からの、男三瓶、子三瓶、孫三瓶です。左から登り降りして、4時間と少しで周回しました。下山後はグレートトラバースの田中陽希さんにゆかりのある「三瓶温泉 そばカフェ湯元」で入浴し、お蕎麦をいただきました。
石見神楽
下山後は温泉津(ゆのつ)へ。この夜は、石見銀山世界遺産指定15周年記念奉納神楽として4演目が上演されました。写真は「大蛇」でヤマタノオロチとスサノオが戦うクライマックスシーンです。八拍子のお囃子と見事な舞に拍手喝采、素晴らしい伝統芸能です。
しまね海洋館アクアス
翌日、バブルリングをするシロイルカで有名な水族館に寄ってみました。北極海を中心に生息する、わりと大きなイルカで、白色は保護色だそうです。好奇心旺盛で知能は高く、日本で飼育されている多くの個体がバブルリングの「芸」を披露できるようです。
能郷白山
福井県と岐阜県の県境にある2百名山です。温見峠(ぬくみとうげ)は、福井県大野市と岐阜県本巣市根尾の境にある峠で、朝倉軍や信長軍も通ったところですが、現在では能郷白山への最短の登山口となっています。山頂まで標高差630m、1時間弱でした。
能郷白山山頂
岐阜県側登山口の根尾に泰澄創建の能郷白山神社があり、伝承された能狂言は国の重要無形民俗文化財に指定されています。山頂からは天気が良ければ白山や北アルプスが望めます。この日、眺望はありませんでしたが、途中のブナ林や山頂部の笹原の緑は爽やかでした。
越前大野城
この地の一向一揆を鎮めた信長配下の金森長近による築城。天守は江戸時代に焼失、現在の天守は昭和の推定再建ですが、石垣は創建当時の野面積みで趣があります。市内の歴史博物館では幕末の藩主、土井利忠公以降の藩政資料や岩佐又兵衛の絵が鑑賞できます。また市内には名水の里として多くの湧水があり、朝倉義景の墓も湧水のほとりにありました。
紫ゆかりの館
昨年4月、越前市にオープンした越前国府と紫式部を紹介する展示館です。国司として赴任した父とともに紫式部は若い日々をこの地で過ごしました。平安時代さながらの紫式部庭園も隣接しています。2024年NHKの大河ドラマ「光君へ」は紫式部の物語ですね。
御池岳(おいけだけ)コグルミ谷のシマリス
鈴鹿山系の登山道ではシマリスが見られるとのことで、滋賀県甲良町から倉掛峠へ。コグルミ谷コースから御池岳を往復しました。シマリスは動きが早いので、なかなか近くで撮影できません。倒木の下に隠れたシマリスさんをやっと撮影できました。
御池岳山頂
鈴鹿山脈の最高峰、1,247mです。駐車場からの標高差は825mでした。山頂は樹木で覆われており、晴れても養老山地の一部しか見えません。山全体が石灰岩であり、山頂台地にはカルスト地形が拡がっていました。鈴鹿にはヤマビルが多いのですが、親切な登山者のかたに「昼下がりのジョニー」というヤマビル除けの薬用液をトレランシューズに噴霧していただき、とても助かりました。感謝です。
飯縄山(いいづなやま)から戸隠山と北アルプス
長野市にある200名山の飯縄山(いいづなやま)です。松代SAで仮眠して登山口に6時に到着。山岳修験の飯縄権現のお山として古くから信仰登山が盛んで、登山道には石仏が並びます。8合目付近から荒々しい岩壁の戸隠山と北アルプスの山並みが見えました。
飯縄山山頂
一の鳥居から1時間40分で山頂につきました。好天なら南アルプスや富士山も見えるようです。昔、飢饉のときにこの山でとれた「天狗の麦飯」=「いいずな(地中の菌藻類)」で人々が飢えから救われた伝承が山名の由来だそうです。ちなみに、妙高山、高妻山、戸隠山、黒姫山と飯縄山で北信五岳です。登山後は戸隠でお蕎麦をいただきました。
大地の芸術祭
翌日は新潟の妻有で開催されている「大地の芸術祭」に行きました。松代、十日町、津南などの各エリアに展示施設やアート作品が点在しています。松代では「まつだい農舞台」を基幹施設として、郷土資料館や松代城や里山アートが楽しめます。
松代城のインスタレーション
まつだい農舞台エリアの山頂にある模擬天守の最上階にある「脱皮する時」というインスタレーションです。最上階内部を黒く塗り、四方には丸窓、床と黄金の台座には彫刻刀の跡、
「時を刻むような彫刻刀の跡が、遠い場所、長い歴史に思いを誘う」と解説がありました。
楽聚第(らくじゅだい)
松代城2階のインスタレーションは漆黒の空間の中の金銀箔の幕(?)に囲まれた黄金の茶室です。内部も豪華で、花鳥画を思わせる、妻有の花や生き物の細密画で埋め尽くされています。聚楽第をもじった作品名ですが、この豪華絢爛さには秀吉も驚くことでしょう。
清津峡トンネル
全長700mばかりの観光用トンネルの4か所の展望所の終点のパノラマステーションは、壁がステンレス、床に浅い水たまりを作り、「トンネル オブ ライト」というマ・ヤンソンの作品です。渓谷の景色が魅惑的に映り込み、映えるスポットとして人気です。
清津峡渓谷
ここ十日町の清津峡と、富山の黒部、三重の大杉谷が日本三大峡谷です。柱状節理の渓谷は素晴らしいのですが、遊歩道での事故をきっかけに、平成8年に観光用として清津峡トンネルが完成。ところがトンネルが退屈と一時、観光客が減少。平成30年の大地の芸術祭で改修され、渓谷美とアートをダブルで鑑賞できるようになり注目のスポットとなりました。
津南町歴史民俗資料館
野沢温泉と十日町市の間にある津南町、南部の秋山郷は百名山苗場山の登山口です。資料館には、堂平遺跡出土の火炎型土器や、アンギン(編み衣)等、雪国の民俗資料が「秋山郷及び周辺地域の山村生産用具(1686点)」として重要文化財に指定され展示されています。秋山郷で明治まで編まれていたアンギンは一遍上人や上杉謙信も着用していたとのことです。
十日町市博物館
令和2年6月に新築オープンの博物館です。国宝の火炎土器(縄文時代)が有名ですが、織物(越後縮)、雪国の文化、3本立ての展示構成となっています。明石ちぢみは江戸時代に明石藩士の明石次郎が小千谷に移住して縮布の製織技術を伝えたと展示されていました。
へぎそば
魚沼地方発祥の「ヘギ(片木)」という剥ぎ板で作った四角い器に盛りつけられた蕎麦です。カラムシの織物の緯糸を張るために使用される布海苔をつなぎに使用したことでツルツルしたのど越しが生まれました。由屋は岡本太郎ひいきの蕎麦屋さんとのことです。
伊良子岬
島崎藤村の「椰子の実」の舞台を訪れました。この地に滞在した柳田國男が恋路ヶ浜に流れ着いた椰子の実の話を藤村に語って藤村が詩をつくったそうです。ここから西へ10分ほどの岬の灯台からは、三島由紀夫作「潮騒」の舞台になった神島や伊勢志摩が見えます。
田原城址
伊良子岬のある渥美半島のつけねにあり、徳川譜代の三宅氏田原藩の居城でした。城址内の市立博物館には、田原藩家老であり、幕末の先覚者・渡辺華山に関係する書画、遺品など(重要文化財指定)が展示され、崋山の生涯、蛮社の獄、没後のことが学べます。
豊田佐吉記念館
静岡県湖西市へ足を延ばしました。豊田佐吉の生家や、彼が両親のために建てた母屋、織機を研究した納屋、が点在しており、公園として整備・公開されています。名古屋にも展示館がありますが、今日のトヨタの礎が佐吉の粘り強い探求心にあることがよくわかります。
孤篷庵(こほうあん)
京都大徳寺の塔頭、小堀遠州の隠居所です。特別公開で初めて見学しました。茶室・忘筌(ぼうせん)は遠州が自分のために作った書院風「綺麗さび」の茶室。縁先の中敷居、上の明(あかり)障子、下方の吹き抜け、は写真で拝見するよりも安らぐ空間であり、上品でした。
如庵(じょあん)
犬山城の東にある有楽苑の如庵です。信長の弟、織田有楽斎による茶室で、山崎妙喜庵の待庵、大徳寺龍光院の密庵とともに、国宝茶席三名席のひとつです。古暦を腰貼りにした暦貼り、床板の三角形の鱗板、竹を詰め打ちした有楽窓、など大名茶人らしい風格ある茶室です。