豊川油田跡の天然アスファルト
ブラタモリで紹介された場所です。アスファルトは古く縄文時代に土偶などの接着剤として使われていました。日本書紀には、668年「燃える水(石油)」と「燃える土(アスファルト)」が越の国から天智天皇に献上されたとあります。日本初のアスファルト舗装は明治11年に施工された神田川の橋で、ここ秋田県豊川の天然アスファルトが使用されました。
角館の武家屋敷通り
奥州藤原氏の郎党、戸沢氏が応仁の乱後に本拠地とし、関ケ原合戦後は蘆名氏が入部、1620年にこの城下町は建設されました。蘆名氏断絶後は佐竹北家が入部します。武家屋敷通りは、江戸時代そのままの区割りが残され、重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
松本家
幕末期の下級武士の家です。「たそがれ清兵衛」のロケ地であり、クライマックスシーンの始まりの場面で、主人公の真田広之がこの家から決闘に向かいます。
岩橋家
中級武士の家屋です。「たそがれ清兵衛」では、清兵衛が再婚する幼馴染の朋江(宮沢りえ)の実家として登場しました。
青柳家
上級武士の屋敷で3000坪の敷地があり、母屋の他に、藏を利用した刀剣や秋田蘭画等の展示館があります。映画「隠し剣 鬼の爪」で、母屋のこの縁側のシーンがあります。角館では、他に平福記念美術館や樺細工伝承館を見学。有名なしだれ桜は葉桜で残念でした。
秋田犬の武家丸
飼い主さんのご厚意なのでしょう。通りに面した駐車場を観光客用に開放して、武家丸くんと触れ合えるようにしてくれていました。ポーズをとってくれます。忠犬ハチ公や最近ではザギトワのマサルが有名ですが、元々はマタギが熊猟に連れていく狩猟犬だったそうです。
山麓から秋田駒ケ岳
田沢湖から乳頭温泉郷への道路沿い、水沢温泉郷の手前の公園からの秋田駒ケ岳です。角館の桜は終わっていましたが、標高の高いここの桜は4月末時点で、まだ咲いていました。
除雪中のドライブウェイ
たざわ湖スキー場付近から秋田駒ケ岳8合目までの登山用観光道路は11月から5月までは積雪で冬季閉鎖されています。積雪期の秋田駒ケ岳登山では、ドライブウェイ起点より少し山側にある、駒ケ岳の自然と火山防災を紹介するコーナーと温泉の複合施設「アルパこまくさ」前の駐車場から、旧田沢湖高原スキー場跡地をたどって観光用道路に合流し、8合目へ。そして山頂を目指すのが一般的なコースとなっています。
秋田駒ケ岳8合目
9時半に「アルパこまくさ」を出発し、2時間登って8合目まで来ました。正面奥が、秋田駒ケ岳の最高峰、男女岳(おなめ岳、1637.1m)です。ここから雪が深くなります。
秋田駒ケ岳9合目
40分で9合目まで登ってきました。山頂部の北側なので雪がたくさん残っています。正面の斜めの線はスキー登山(BC:バックカントリー)の人たちが登ったルートです。
秋田駒を登るBCの人たち
山頂直下まで来ました。BCの人たちは、なだらかに登らなければならないので斜面をトラバース気味に登っていきます。この日、BCの人が10人くらい、わかんやアイゼン使用の一般登山者が15人くらいでした。正面奥は岩手山です。
秋田駒ケ岳山頂
8合目から1時間強、登山口から合計3時間、12時半に登頂です。北東に岩手山、北に八幡平方面、肉眼では、さらに遠くに青森県の八甲田と岩木山も見えました。
秋田駒ケ岳から岩手山
正面右、笊森山。その左が烏帽子岳(乳頭山)。その左下が乳頭温泉郷。右奥が岩手山、そこから左へは八幡平まで縦走できる山々が連なります。奥正面が三石山。左端が八幡平。
岩手山
岩手山のアップ写真。片富士の名のとおり盛岡市方面へなだらかな斜面を伸ばしています。
男岳と田沢湖
南側正面には男岳、その左に女岳。右には田沢湖。秋田駒ケ岳は活火山で、私が登った男女岳は、明治23年、昭和7年、昭和45年に噴火しています。そろそろ噴火しそうで恐いですが、乳頭温泉郷はじめ周囲の温泉は火山のおかげです。
阿弥陀池
山頂の南側は窪地になっており、雪が融ければ阿弥陀池が現れ、高山植物が咲き乱れます。男岳の左奥に鳥海山が見えるとのことですが、この日は雲で見えませんでした。男岳と奥に見えている女岳や子岳でカルデラを形成しており、最高峰の男女岳はカルデラ外の寄生火山とのことです。また、正面奥には和賀山塊が見えます。
乳頭温泉 鶴の湯
日本秘湯を守る会の名湯です。乳白色のにごりの露天風呂、湯治場の雰囲気を伝えるいろりのある宿泊棟、テレビや電気がないことでも有名です。ゴールデンウイークの日帰り入浴はかなり混雑していました。
田沢湖のたつこ像
昔、村の美しい娘たつこが、永遠の美しさと若さを願うと観音菩薩により龍神に化身させられ、湖の底深く、姿を消してしまいました。娘を探す母親が松明を湖に投げ入れると松明は鱒になり、国鱒(クニマス)と呼ばれるようになりました。ブロンズ像は戦前を代表する彫刻家、舟越保武の作品で気品に満ちています。右奥にかすかに秋田駒ケ岳が見えました。
田沢湖のクニマス未来館
戦前に食糧増産と電力確保のために強酸性の玉川の水の希薄化を期待して田沢湖に引水。しかし、田沢湖の水質は酸性化してしまい、水力発電や米生産もうまくいかず、クニマス他ほとんどの魚類も死滅してしまいます。戦前に放卵していたクニマスが近年山梨県の西湖で再発見され、再びクニマスが生息する田沢湖を目指して水質中和化に取り組んでいることや、日本一水深の深い田沢湖の成り立ちがカルデラ湖であることなどを学びました。
玉川温泉の自然探求路
田沢湖を酸性にしてしまった、我が国で最も強酸性の玉川温泉に日帰り入浴しました。源泉に数分浸かっていると皮膚がピリピリして強酸性を実感しました。源泉地帯には日本一の噴出量を誇る噴泉があり、また多くの噴気孔からの湯気で一帯はかすんでいます。小屋の中では多くの人々が持参したゴザの上に寝転んで地熱による岩盤浴をしていました。
阿仁のマタギ屋敷
熊鍋を食べてみたくて、阿仁マタギ温泉に宿をとりました。手作りのどぶろくも美味でした。マタギ博物館や秋田内陸線資料館で、マタギについて学びました。写真は資料館のマタギの部屋で、熊の毛皮の上にすわらせていただきました。熊猟の目的は熊胆(ゆうたん)、いわゆる熊の肝(くまのい)で、秋田藩では薬として販売することに力を入れ、マタギ猟は地域の生活の糧でした。富山の奇応丸や半魂丹などにも熊胆が配合されているそうです。