蔵王の御釜
百名山東北旅の一番手は蔵王です。蔵王といえば樹氷と御釜。御釜は噴火口に水がたまってできた火口湖で、エメラルドグリーンの水面で有名ですが、4月末のこの時期は雪景色でした。右奥に刈田岳レストハウスが見えます。そこの駐車場から歩いてきました。
熊野岳山頂
蔵王という山はなく、南北に連なる峰々が蔵王連峰で、一番高い山がこの熊野岳(標高1841m)です。眼下は山形市街。左に飯豊山、右に朝日連峰、石碑は斎藤茂吉の歌碑です。
陸奥(みちのく)をふたわけざまに聳(そび)えたまふ
蔵王の山の雲の中に立つ
山頂で茂吉の詩の世界に浸りつつ、日本百名山83座となりました。
山寺
山寺は、正式には宝珠山立石寺、貞観2年(860)清和天皇の勅願、慈覚大師開山の天台宗の寺院です。右の開山堂には慈覚大師の木像が左の納経堂の下部には入定窟があり、昭和23年の調査で金箔押しの木棺、人骨、慈覚大師の木彫頭部が発見されています。
芭蕉記念館から山寺
山寺の対岸にあり、丁度桜が満開でした。さきほど登拝した開山堂や五大堂を望みます。記念館では芭蕉関連の展示、直筆の懐紙などを鑑賞できます。
「立石寺と云、山寺有。殊に、清閑の地也。岩ヲ這て、仏閣を拝し、佳景寂莫として、こころすミ行のミ覚ゆ。 閑さや岩にしみ入る蝉の声 」(奥の細道)
閑(しづか)さは清閑さのこと、岩は慈覚大師はじめ高僧たちの入定窟のこと、蝉の声は納経堂にある慈覚大使請来の経典の読経のように聞こえたのではと感じました。
弥治郎こけし村
刈田岳駐車場に至る蔵王エコーラインの宮城県側起点、遠刈田温泉郷に宿泊。南隣の弥治郎こけし村からは蔵王連峰南部が望めます。弥治郎系こけしは優しくあどけないお顔立ち。展示室を見学し、工人の新山吉紀さんの工房でこけし創作への思いを伺いました。
小岩井農場の1本桜
約100年前に、夏の日差しから牛を守る「日陰樹」として植えられたエドヒガンという種類の桜です。GWに見頃になる有名な1本桜、残雪の岩手山と最高のコラボです。
小岩井農場の桜並木
こちらは1本桜の少し南側、県道沿いの桜並木と岩手山です。小岩井農場では重要文化財指定の明治時代の牛舎や倉庫などを見学しました。宮沢賢治も愛した風景です。
八幡平アスピーテライン
八幡平は岩手と秋田の県境に広がる楯状火山(アスピーテ)でここを東西に貫く道路が八幡平アスピーテラインです。例年GW前に開通し、雪の回廊は東北随一、高さ8mです。
八幡平から岩手山
アスピーテラインの頂上、見返り峠の駐車場から八幡沼方向へ雪上ハイク。早朝に小岩井農場から眺めた岩手山を今度は反対側から眺めます。楯状火山地形の八幡平はどこまでもなだらかです。
八幡平山頂
八幡平には目立ったピークがありませんが、ここが八幡平山頂(1613.3m)です。日本百名山84座目です。蒸(ふけ)の湯までスキーツアーができるようで、大勢のBCスキーヤ-で賑わっていました。私は車で移動して蒸の湯の露天風呂を満喫しました。
山麓から岩木山
盛岡から弘前へ移動。車窓から弘前城の花筏を眺めて岩木山スカイラインへ向かいます。
北側からなら「津軽富士」の名のとおり、「左右の均斉を正しく、決して高い山ではないが、透きとおるくらいに嬋娟(せんけん)たる美女」(太宰治の小説津軽)ですが「弘前から見るといかにも重くどっしりして・・・」(太宰治)のとおり、火山らしい姿です。
岩木山から白神山地
岩木山神社からの「岳参り」は有名ですが、1合目から登るのは大変です。岩木山スカイラインで8合目駐車場(写真中央下部)へ、さらに9合目(同左下部)までリフトにのりました。40分ほどで頂上直下まできました。正面には世界遺産の白神山地が拡がります。
岩木山山頂
岩木山山頂(1625m)です。日本百名山85座目。ここにも多くのBCスキーヤーが登ってきました。山スキー靴で残雪の登山路を登るのですからすごい人たちです。岩木山神社方向には快適そうな雪原が続いていました。ガイドツアーがあれば滑ってみたいですね。
垂柳遺跡
青森と言えば、三内丸山や是川、亀ケ森など縄文遺跡が有名ですが、ここは世界最北の水田遺跡、すなわち弥生時代の遺跡です。洪水による八甲田の火山噴出物がタイムカプセルをつくってくれました。発掘された、約2100年前の水田・水路跡がそのまま化学処理され、自由に歩けます。稲作は九州からわずか300年で青森まで伝わったのです。四メートル四方の水田六百五十六枚と数千の弥生人の足跡が発見されました。足跡はおとなから子どもまで、家族みんなで働いたのですね。
津軽こけし館
黒石市へ移動。青森津軽系のこけしをはじめ、全国11系統のこけし約3000点が展示されています。「津軽美人の原点。日本一のこけし」と棟方志功が激賞した津軽系こけし初期の名工「盛秀太郎」のこけしや盛秀太郎の成形に棟方志功が絵付けしたこけしもありました。「温泉土産」は最高の藝術作品でした。ここにも柳宗悦の「民藝」がありました。