裏磐梯五色沼

5月連休後半、磐梯山をめざして福島県会津にやってきました。午前中は磐梯山噴火記念館の見学と五色沼のハイキングをしました。独特の色彩は水底に浮遊するアロフェンという粘土鉱物とウカミカマゴケという強酸性の水に強い原始的なコケによるそうです。

磐梯山山頂部

曇りのち時々晴れの天気予報で、時おり、雲がきれて山頂が見えます。12時に八方台駐車場を出発、13時に茶屋のある弘法清水に登ってきましたが、山頂部は冬景色です。

磐梯山山頂

13時40分に登頂しましたが、ガスの真っただ中、強風にあおられ、あられが顔に当たります。眼下に猪苗代湖が広がる絶景は・・・全く見えません・・・。居合わせた登山者と互いに写真をとったので手袋をはずしていますが、素手で登ってはいませんよ。悪天候の山頂でしたが、「百の頂に百の喜びあり(深田久弥)」、日本百名山70座目です。

磐梯山

山頂直下、弘法清水の茶屋で名物のなめこ汁をいただくと冷え切った身体が元気になりました。15時45分に登山口へ下山。猪苗代インター付近まで車で移動してくると天気はすっかり回復しています。よくあることですが、ちょっとくやしい・・・。

白虎隊自刃の地

会津といえば白虎隊ですね。「会津城が燃えている、もはやこれまで。」という像ですが、史実は「疲労困憊しているところを討たれるのは恥だから潔く自決しよう。」です。「若い人を死なせるような状況をつくらない。紛争にならないようにする。」知覧特攻会館に行った時と同じ思いがこみあげました。

会津大塚山古墳

全長114m、4世紀末の前方後円墳、『古事記』『日本書紀』の四道将軍説話を実証した古墳です。「崇神天皇は諸国平定のため4人の将軍を北陸・東海・山陽・山陰へ派遣した。このうち、北陸道へは大彦命、東海道へは武渟川別命が派遣され、やがて2人はこの地で合流、それで「相津」(あいづ)と名付けた。」

三角縁神獣鏡

卑弥呼が魏からもらった鏡ではなく、日本製が通説です。東北地方唯一の三角縁神獣鏡がこの大塚山から出土しており、同型鏡が岡山の古墳から出土しています。ヤマト政権が、地方の同盟または服属首長に配布したとされています。会津城の隣にある県立博物館に、この鏡ほか初期前方後円墳に特徴的な出土物一括が重要文化財として展示されています。

三島町生活工藝館

NHKの「趣味どきっ」で、4月に奥会津の編み物細工が放映されました。山ブドウ細工、ヒロロ細工、マタタビ細工は、国の伝統的工芸品に指定されています。生活工藝館での山ブドウ細工の展示販売コーナーです。丈夫で使い込むほどに光沢がでるそうです。

奥会津のヒロロ細工

写真のヒロロ細工は皇室お買い上げ品です。この土地の気候風土と人々の暮らしに根付いたぬくもりを感じます。民衆の日常品に美を見出したのは利休ですが、民衆的工芸品の中で「用の美」を放つものを柳宗悦は民芸と名付けました。奥会津の編み物細工はまさに民芸ですね。

西田記念館

安達太良山に登ろうと岳温泉に宿泊しましたが天候不良で登山は断念。このあたりは土湯系こけしで有名、土湯温泉近くの西田記念館は約1万点のこけしを収蔵、常時1300点を展示しています。由来、製造法、歴史、分類など、こけしのすべてを学び鑑賞することができました。絵付け体験もできます。よいお土産になりますね。

七尾城 桜馬場石垣

室町時代の能登守護である畠山氏の居城です。築城は1428年頃、戦国時代への推移とともに徐々に規模を拡大、標高300mの松尾山の山上に、本丸、桜馬場、二の丸、三の丸が広がっており、立派な石垣が残っています。

七尾城 本丸

本丸からは七尾湾と能登島を望めます。1577年に上杉謙信は七尾城を攻撃し、織田の援軍は間に合わず、畠山氏は滅びます。詩吟「九月十三夜」はこの攻城戦の際、勝利目前の謙信の心情を詠んだものです。

霜は軍營に満ちて秋氣清し
數行の過雁月三更(さんこう)
越山併せ得たり能州の景
遮莫(さもあらばあれ)家郷の遠征を憶うを