奈良国立博物館 源信

「地獄・極楽への扉 源信 1000年忌特別展」を鑑賞しました。源信は942年生まれ1017年没で、今年が1000年忌です。平安時代の中期、藤原道長や紫式部と同時代の僧侶で、源氏物語宇治十帖で浮舟を助けた横川の僧都のモデルです。奈良の当麻の出身で父親は卜部性ですから、出自は葛城一言主神社の卜部氏でしょうか?

比叡山 横川中堂

源信展の前に、ゆかりの地、比叡山横川を訪問しました。源信は9歳で比叡山横川の元三大師良源に入門し13歳で得度、15歳で『称讃浄土経』を村上天皇に講じた早熟の人です。天皇からの下賜品を母に贈ったところ、立身出世よりも求道者となれと窘められて、恵心堂に籠り、念仏修行と仏経典の研究に精進します。

比叡山横川 恵心堂

984年、42歳の時、この恵心堂で「往生要集」を完成します。多くの仏教の経典から、極楽往生に関する重要な文章を集めた仏教書で、死後に極楽往生するには、一心に仏を想い念仏の行をあげる以外に方法はないと、地獄・極楽の観念、厭離穢土・欣求浄土の精神から説き、現在に至るまで、日本人の人生観、死生観に大きな影響を与えています。

国宝 六道絵 阿鼻地獄

源信展の入口では六道絵が迎えてくれます。古代インド仏教では生き物は六道を輪廻するという宇宙観があり、中国や日本への仏教の伝播とともに死後世界の概念が徐々に具体化していったようです。六道とは、天、人、阿修羅、畜生、餓鬼、地獄であり、地獄の中でも最も罪の重い罪人の行く先が阿鼻(無間)地獄です。今回は六道絵全15幅が展示されており壮観です。拷問する鬼には恐ろしさとともに愛嬌もあり、何だか笑ってしまいます。

国宝 来迎図(知恩院)

知恩院では通常、模写が展示されており、初めて実物を鑑賞しました。仏法に従い、念仏すれば、六道の輪廻から解脱して極楽往生でき、臨終に際して阿弥陀如来が西方浄土からお迎えに来ると源信は説いたのです。邪念を捨てよと言いながら、脇侍の25菩薩が「きれいなおねえさん達」なのはどうしてでしょうか? 末法の世に平等院や浄瑠璃寺は阿弥陀仏を本尊にして来迎を視覚化、また、源信の故郷の當麻寺の練供養も来迎を視覚化した儀式だったのですね。

岡崎城

厭離穢土 欣求浄土と言えば徳川家康。岡崎にやってきました。天守閣は岡崎の歴史博物館になっています。城内には、「家康産湯の井戸」や「三河武士のやかた家康館」があります。家康館では、家康の出生から天下統一までを、今川での人質時代、桶狭間、三方が原、小牧・長久手、関ケ原など、時代を追って、ジオラマやビデオなどで解説してくれます。

大樹寺山門

松平家の菩提寺です。三代家光が伽藍を造営した際に、本堂から山門、総門をとおして岡崎城が望めるように直線的に配置し、現在では、大樹寺と岡崎城を結ぶ約3キロメートルの直線が岡崎市公認で「ビスタライン」と呼ばれています。確かにどちらからも眺めることができました。

大樹寺本堂内陣

桶狭間で今川勢総崩れの後、家康は大樹寺に逃れ、先祖の松平八代墓前で自害しようとしました。住職の登誉天室が「厭離穢土 欣求浄土」の教えを説いて諭し、今後は一族のためではなく、衆生にあまねく浄土をもたらすために、戦国時代を生き抜く決意を固めたとされています。「厭離穢土 欣求浄土」の旗印の出典は、源信の「往生要集」でした。

北川村「モネの庭」

梅雨のため山の旅をあきらめて、室戸岬方面へドライブ。ここは、フランス、ジヴェルニーにあるモネの庭を高知県北川村の自然を生かし再現した観光庭園です。睡蓮の咲く池、藤棚の太鼓橋など、モネの絵画の世界に浸れる庭園でした。