菅平牧場から四阿山
四阿山(あずまややま)に登ります。長野県と群馬県の県境に跨る山。標高は2,354mです。残雪のこの時期は、あずまや高原からの登山ルートなら、崖や稜線がなく安全です。車中泊をして6時前にスタート、別荘地の林をぬけると菅平牧場に出ました。左から根子岳、中四阿山、四阿山。
浅間連峰
左端の浅間山から烏帽子岳までの浅間連峰です。浅間山が朝日に輝いています。
中四阿分岐
左に中四阿山(2306m)が見えます。道標はまだ雪に半分うずもれています。
山頂が見えた
2時間と少し登りました。8時です。山頂が見えました。
鳥居峠分岐から浅間山
右から登ってきました。左にも登山コースがあり、鳥居峠から源頼朝ゆかりの的岩を経由してくる道です。鳥居峠で、ヤマトタケルは東征の帰りに、オトタチバナ姫を偲んで三たび、「吾妻はや」となげかれた、と古事記にあります。それでこの付近に「あづま」という名前が残り、東日本は「あづま」となりました。
雪庇
大きな雪庇の横をとおります。崩落しませんように。
頂上直下
山頂直下、スノーシューのまま行くかアイゼン装着か、迷いましたが、スノーシューのまま続登します。
頂上稜線
山頂部は細長い稜線でした。右側は雪庇かな? 天気晴朗なれど、風強し。こわいこわい。
四阿山頂
8時45分、ちょうど3時間で登頂。ヤマトタケルにちなんで向こう側は群馬県吾妻(あがつま)郡、嬬恋(つまごい)村。左奥は草津白根山です。吾妻はや→あずまや→四阿、庭園にある正方形で、四隅の柱のみで壁のない「あずまや」の屋根に似ているので四阿山になりました。
真田本城跡
下山後、真田本城を訪問。左の山には武田晴信が村上義清に大敗した砥石崩れで有名な砥石城、眼下には真田郷が広がっています。振り返ると四阿山が見えます。山頂にあった信州祠は真田家の産土社でもあり、真田昌幸(大河ドラマ真田丸では草刈正雄が演じていました)は、天正15(1587)年に、四阿山の樹木伐採禁止令を出しています。今回登った四阿山は真田郷の大切な水源の山でした。
上田城 桜まつり
上田城、ちょうど桜が満開で桜まつりが開催されていました。真田昌幸が上杉への備えにと天正11(1583)年、徳川の財力で築かせた城です。その後、真田は上杉と同盟し、徳川軍を撃退。関ケ原合戦時にも秀忠軍を撃退したところです。この現在の魯と櫓門は江戸時代に入城した仙石家が築城したものです。櫓門の奥には真田神社があります。徳川の攻撃に2度とも落ちなかった上田城の神社のお守りは受験生に人気です。