塔ノ岳から富士山
神奈川県の丹沢山塊にやってきました。場所は小田原市の北側になります。大井松井というインターで降りて大倉登山口で車中泊。6時から登り始め、9時に塔ノ岳(1491m)に登頂です。標高差は1200m、結構大変でした。
丹沢縦走路
3月中旬のこの日、塔ノ岳山頂の手前から雪の世界でした。軽アイゼンをつけて楽しく進みます。左手に富士山、正面は南アルプスです。
日本百名山 丹沢山
日本百名山53座目、丹沢山(1567m)です。10時に登頂しました。「私が百名山の一つに丹沢山を取りあげたのは、個々の峰ではなく全体としての立派さからである」と深田久弥は書いていますが、確かに山脈、山塊として、縦走すると楽しい山です。
丹沢最高峰 蛭ガ岳
丹沢山塊の最高峰(神奈川県最高峰)は、さらに奥の蛭ガ岳(1673m)です。コースタイムは1時間20分。アップダウンが続き、雪のついた鎖場では緊張しましたが、11時半に到着。富士は雲隠れしてしまいましたが、周囲の見晴らしはよく、気分爽快でした。下山時に塔ノ岳から道を間違えて1時間以上のロス。駐車場へ17時半に何とかたどりつきました。
MOA美術館
リニューアルオープンしたMOA美術館です。熱海にある宗教法人の美術館で、日本古美術のコレクションで有名です。広場ではイギリスの彫刻家ヘンリー・ムアの「王と王妃」が絶景を眺めています。熱海市街と初島、遠くに三浦半島、房総半島と大パノラマです。
国宝「紅白梅図屏風」尾形光琳
梅の時期にのみ展示されます。背景の金地の明と水流の暗、老熟した白梅の静と若々しい紅梅の動、両者の間を流れる川は「時の流れ」を象徴し、雅で優美な伝統的かつ写実的な左右の梅の中央にデザイン的な水流に満たされた川を据えた斬新な構図、誰も描かなかった画です。これぞ琳派と言われる光琳晩年1710年頃の傑作です。
国宝「色絵藤花茶壺」野々村仁清
作者が仁和寺の門前に御室窯(おむろがま)を開いたのが1645年頃なので、この茶壷は350年前の作品です。ルソン壺を模した美しい形で、造りが薄く、轆轤(ろくろ)の仁清と言われる技が冴えています。肩から胴にかけて垂れ下がる藤花文が、曲面に巧みに描かれています。野々村に生まれた清右衛門さん、仁清の号は、仁和寺の「仁」と清右衛門の「清」の字を一字取り、門跡より拝領したそうです。作品にサインをした最初の陶芸家です。ほかにも、国宝1点、重文多数の素晴らしいコレクションを鑑賞できました。
大阪市立東洋陶磁美術館
特別展「台北 國立故宮博物院 北宋汝窯青磁水仙盆」のキャッチコピーは、「人類史上最高のやきもの、海外初公開、初来日」 汝窯(じょよう)で宮廷用の青磁が焼かれたのは北宋の哲宗から徽宗時代の20年間(1086~1106)のみ。汝窯遺跡が特定され、2000年に膨大な破片が出土したことから、多くの陶工による挑戦・試行錯誤が明らかになりました。
青磁無紋水仙盆
北宋青磁の水仙盆で現存6点のうち、5点が展示されました。釉薬(ゆうやく)に希少なメノウの粉を混ぜ、特徴的な淡い青色を出すのは温度調節が難しく、中でもこの水仙盆には貫入(かんにゅう)がまったくなく、異次元の美しさなのです。「雨過天青雲破処」(うかてんせいくもやぶれるところ)は磁器の理想の色についての五大後周の皇帝柴栄(世宗)の言葉です。見る角度により雨後の空の色が微妙に変化します。完全な形と完璧な焼き上がり、5点を同時に鑑賞してこの水仙盆が「神品至宝」と呼ばれる理由がよくわかりました。
藤田美術館
東西線の大阪城北詰駅を降りたところにあります。藤田傳三郎は、萩の酒屋の四男で奇兵隊に入り、明治時代には西南戦争での兵站調達に始まり、鉱山、鉄道、電力、新聞など多くの会社を起業し、大阪商工会議所の第2代会頭にまでなった人物です。日本の書画骨董の価値に気付いた藤田のコレクション(国宝9件、重文52件を含む)による美術館です。
国宝「曜変天目茶碗」
曜変天目は、漆黒の釉薬や使われている土の特徴から、南宋時代(12世紀~13世紀ごろ)、今の福建省にあった建窯で焼かれたと考えられています。現存するのは世界で僅かに3つ。いずれも日本にあり、東京の静嘉堂文庫美術館、大阪の藤田美術館、そして京都の大徳寺龍光院が所蔵しています。曜変の「曜」には「星」や「輝く」という意味があり、窯の中で生じた美しい斑文の周囲が、青、緑、虹色に光ります。器の中央から星が放射状に広がっているようで、器の中に宇宙が入っていると評されるゆえんです。期間限定の公開で6月まで鑑賞できます。