河井寛次郎記念館

京都五条坂、河井寛次郎記念館の書斎です。記念館は大正から昭和の時代に活躍した陶芸作家・河井寛次郎(1890-1966)が実際に暮らしていた自宅兼工房です。

「仕事のうた」(河井寛次郎)

仕事が仕事をしてゐます
仕事は毎日元気です
出来ない事のない仕事
どんな事でも仕事はします
いやな事でも進んでします
進む事しか知らない仕事
びっくりする程力出す
知らない事のない仕事
きけば何でも教へます
たのめば何でもはたします
仕事の一番すきなのは
くるしむ事がすきなのだ
苦しい事は仕事にまかせ
さあさ吾等はたのしみましょう

日本民芸館

東京駒場の日本民芸館です。芹沢銈介(せりざわけいすけ1895- 1984染色工芸家)の作品展が開催されていました。初代館長の柳 宗悦(やなぎ むねよし1889- 1961)は、思想家、美学者、宗教哲学者で、1925年、民衆の用いる日常品の美に着目し、陶芸家の濱田庄司や河井寛次郎らとともに無名の職人達が作った民衆的工芸品を「民藝」と名付け、民藝運動を起こしました。彼は若いころ、手土産にもらった朝鮮陶磁器の美しさに魅了され、朝鮮半島を訪問するうちに、民族固有の造形美に目を開かれ、それを生み出した朝鮮の人々に敬愛の心を寄せ、当時植民地だった朝鮮に対する日本政府の施策を批判しています。正義感のある立派な文化人ですね。

天心記念五浦美術館

労働安全衛生センターの大会が福島県のいわき市であり、帰りに北茨木の五浦(いづら)に立ち寄りました。明治美術界の巨人、岡倉天心が、木村豊山、菱田春草、下村観山、横山大観を呼び寄せ「東洋のバルビゾン」と名付けた日本美術の聖地です。菱田春草の「落葉」を鑑賞できました。晩年の横山大観に「自分よりうまい」と言わしめた菱田春草。「黒き猫」など他の作品も鑑賞したいものです。

五浦海岸六角堂

六角堂は岡倉天心が明治38年に建設、太平洋に突き出した岩上に建つ朱塗りの建物で、岡倉自身は観瀾亭(かんらんてい)と呼んでいました。ここで彼は波の音を聞きながら、思索にふけったそうです。法隆寺の夢殿、中国成都市にある杜甫の草堂を模したものという説もあります。津波で流されましたが、再建されました。五浦(いづら)は、関東の松島ともたたえられています。絶景の地です。

芭蕉庵史跡展望庭園

浅草や両国から下流の隅田川の遊歩道沿いに芭蕉庵史跡展望庭園があります。松尾芭蕉が深川に移り住んだのは、延宝8年(1680)芭蕉37歳。元禄7年(1694)まで門人の杉山杉風(さんぷう)の生け簀の番屋を改築して、芭蕉庵として住んでいました。

江東区芭蕉記念館

芭蕉記念館です。芭蕉が植えてあります。解説によると、大正6年(1917)の大津波の時、付近から芭蕉遺愛のものとみられる石蛙が見つかったことから芭蕉庵跡を推定したそうです。津波災害は繰り返し起こっているのですね。有名な「古池の句」はこの地で貞享3年(1685)の春に詠まれています。庭には奥の細道冒頭の『草の戸も住み替はる代ぞひなの家』の句碑がありました。

新国立美術館

東京六本木の国立新美術館です。黒川紀章の設計で2007年1月に開館。巨大な逆円錐の最上部に広がる空中レストラン、波打つガラス壁が幻想的、壁面には木材を貼り付け安らぎと暖かさを演出。レストランから東京タワーがみえました。ニキ・ド・サンファル展を鑑賞。ニキ(1930-2002)は、戦後を代表するフランスの美術家。1961年発表の、絵具を入れた缶や袋を石膏によって画面に付着した絵画に向けて銃を放つことで完成する「射撃絵画」が美術史上高く評価されています。また「ナナ」シリーズでは鮮やかな色彩と伸びやかな形態を用いて解放的な女性像を示し、多くの人々に愛されています。